七話
「それじゃあ、私も失礼します」
隣から聞こえてきたその声で、イーライはミアの存在を思い出した。
伯爵から森の状態の説明を求められるかと連れてこられたのに、出番がなかった案内人。流石に気の毒だ。
すたすたと村長の家を出て行くミア。せめて見送ろうと外に出て、とっぷりと日が暮れていることに気づく。
「待ってください。今から戻るのはよしたほうがいい。今日はこちらに泊めてもらえるよう頼みましょう」
村の中でこそ月明かりが届いているが、頭上を葉が覆う森の中では方角さえ危ういだろう。
「大丈夫です」
ここ数日で聞き慣れた言葉だ。
手を貸そうとすると即座に断られる。
(こいつなら本当に大丈夫そうだな)
とはいえ、この状態で一人、森に帰しては聖騎士の名折れである。
「いえ、今回ばかりは引けませんよ。村長に話してきますから」
食い下がれば思いっきり嫌そうな顔をする。
「いえ、本当に大丈夫ですから」
「狼もでるのでしょう? 絶対に大丈夫だとは言えないじゃないですか。それともこちらに泊まると何か不都合でもあるのですか?」
動物でも飼っているのなら、仕方ない。イーライが護衛がてらミアの家についていき一泊世話になるという手もある。
ミアはびくりと肩を揺らした。
およそ喜怒哀楽というものを感じ取れないミアが初めて見せた動揺だった。
イーライは目を眇めてミアを見た。小さな嘘も逃さぬように。
「不都合が?」
「村長の負担をこれ以上増やしたくないだけです」
しかしミアは綺麗にそれを隠す。
確かに村長は伯爵の相手でいっぱいいっぱいだった。
「聖騎士様、ミア。どうした?」
ちょうどそこへ村長が戻ってくる。
イーライは事情を説明した。
「もちろんですとも。ミア、呼び立てて悪かったな。遠慮せず泊まっていきなさい」
ミアは眉を寄せて黙り込んだ。
遠慮しているのではなく嫌がっている顔だ。
「ミア、お前の母からようよう頼まれとるんじゃ。森に住まうのは許したが、日も落ちてから一人で帰らせるわけにはいかん」
ミアは頷いた。眉を寄せたまま。そして頭を下げる。
「お世話になります」
(どうにも訳ありのようだな)
イーライはミアの赤い頭を見下ろした。
珍しい鮮やかな赤い髪。近くに住みやすそうな村があるのに一人で森に住まう娘。
村人との間に確執でもあるのかと思ったが、村人はミアを気にかけている。母の話を出されてようやく折れたが、そうまで村を頑なに拒否する理由はなんだ?
その晩、イーライはミアが森に住む理由を考えながら眠った。
翌朝の目覚めは良くなかった。夢見が悪かったのだ。ミアと森に考えを巡らせながら寝入っただめだろう。暗い森と、狼の遠吠え、森にひっそりと暮らす赤い髪の母と娘の夢を見た。題材が題材だけに、夢の結末は物悲しい。親子に忍び寄る銀の影に「やめろ!」と叫んで目が覚めた。
(俺になびかん娘をなぜこうも気にかけないといけないんだ)
夢に見るなら、豊かな肢体の絶世の美女が良い。そう言えばユクシは華やか美女が多いんだったか。この村の娘こそ純朴さが目立つが、船が着いた港町では確かに目をひく美女を、それも世慣れていそうな者を多く見かけた。
(ヴィーシに戻る前に、楽しんで帰るか)
聖騎士といえど、男である。
顔を洗い、身支度を整え部屋に運ばれてきた朝食をとる。
馬の様子を見に馬房を訪れると、ミアと会った。
イーライの馬に餌をやりながら鼻面を撫でている。葦毛のその馬はユクシの神殿から貸与されていた。馬が好きなのかと思ったが、その顔は無表情で慈しみも喜びも浮かんではいない。
「おはようございます。餌をやっていただいたのですね」
イーライはにこやかに声をかけた。
ミアはぺこりと頭を下げた。
「村長にはお世話になりましたから」
イーライはミアの隣に並ぶと、餌桶から根菜を手に取って馬の口元に差し出した。馬は鼻先を近づけ匂いを嗅ぐと、そっぽを向いてしまう。
「根菜より豆のほうが好きらしいですよ」
ミアが底に溜まった豆をすくい取ってやると、馬は嬉しそうに食む。
「馬に慣れているのですね……」
意外だった。森の家に馬を飼っている様子はなかったし、村にいる馬の数も多くはない。どこで馬に関する知識を得ているのか。
「別に普通です。騎士様、私は一度家に戻ります。いつもの時間に森の外れで」
日は昇っている。イーライにミアを止める理由はない。けれど昨日見た夢のせいで、一人、帰すのが躊躇われた。
「お待ちください。それでは二度手間でしょう。少し早いですが、森に参ります。貴女が家に寄られる間は、外で待っていますよ」
「別にどちらでも」
ミアは今日も愛想がない。これも四日目ともなると慣れた。
「では、参りましょうか」
イーライは笑顔で促した。
村の朝は早い。猟師や薬草採りの人間はとっくに森に入っている。親が仕事に出たのだろう、幼い子供が井戸の周りで駆け回っていた。そのうちの一人、先頭を走っている六歳ぐらいの男児が頭上に手を掲げる。
「すごいだろ! 俺が見つけたんだから、俺のだぞ!」
「いーなー」
「兄ちゃん、俺にも見せて!」
朝日を受けてキラリと男児の手の中のものが光る。
その青い光を見て、イーライはぎくりとした。
「待ちなさい!」
子供を追いかける。子供たちは突然聖騎士に声をかけられ驚いたようだ。ぴたりと固まった。
「その手の物を見せて!」
叱責を受けると思ったのか、子供の顔はこわばっている。
目線を合わせ、もう一度声をかけた。
「それを見せてもらえますか?」
得意とする柔和な笑顔を浮かべる。子供は恐る恐るイーライに手を差し出す。その小さな掌に乗っているものを見て、思わず舌打ちをしそうになり、慌てて止める。怯えている子供の前で取るべき態度ではない。
「まずいですね」
イーライの気持ちを代弁するような声がすぐ隣から聞こえた。ミアが掌の上を覗き込んでいる。これが何かわかったようだ。金の台座に嵌められた大振りの青い石。おそらく首飾りだろう。一目でとんでもない額の代物だと分かる。
「こ、これ、昨日拾ったの。家の前で母さんを待ってたら、落ちてて……。こいつらに自慢しようと思って……」
何やらまずいものを手にしていると理解したらしい、子供の声は震えを怯えている。
イーライは子供の頭を撫でた。
「大丈夫ですよ」
言って立ち上がる。
「至急、こちらから出向きましょう。誤解を受ける前に、話したほうが良い。ミアさん、申し訳ありませんが、この場をお願いできますか、村長に事情を話し、馬をとって参ります」
「……残念ですけど、遅いみたいですよ」
ミアは村の入り口を指差した。
遠くから聞こえる車輪と馬の蹄。イーライは頭を抱えたくなった。
「カッセル伯爵の人柄はご存知ですか?」
ミアに問う。
昨日受けた印象では、この展開は非常によろしくない。
「見たままです。強欲で自己顕示欲が強い。民は所有物だと思っていて、誰も関わりたがりません」
最悪だ。




