十一話
歩きながらミアの横顔を覗き見る。いつになく硬い。
(直球すぎたか)
ミアの境遇がどうにもソーストの乙女に被って仕方なく例とし話したが、遠回しに太陽の乙女の話にしておけばよかった。
もともと閉じていた扉に何重にも鍵を掛けられた気分だった。
(手段は悪いが、聖騎士に垂らし込まさせるか?)
この年頃の娘なら忠誠を誓う自分だけの騎士に憧れるはずだ。しかしイーライでさえダメなのである。イーライには自分以上の男に心当たりがない。
「誰かいますね」
次の手を考えていたイーライは、前方に人がいるのに気づくのに遅れた。
あの球体はカッセル伯爵だ。アンネリーエに護衛の騎士。執事もいる。
(昨日の今日でごくろうなこった)
あれだけ恥をかいておきながら、次の日には満面の笑みでやってきてイーライに手を振っているのだから、その厚顔さは恐れ入る。
イーライはため息を飲み込んでいつもの笑顔をつくる。
近づくにつれ、娘の顔色が悪いことに気づく。
おかしいとはっきり思った瞬間、娘が胸に手を当てぐらりと体が傾いだ。背後の騎士がかろうじて支えたが、アンネリーエは足が立たないようで、その場にうずくまる。
異変を察知しイーライはアンネリーエの元に走った。
アンネリーエは苦しげに呻いたかと思うと、体を曲げて吐く。
「ア、アンネリーエ? ど、どうした。アンネリーエ!」
伯爵が隣にしゃがみ込む。しかしどうしてよいか分からないのだろう。手を差し出してはひっこめるを繰り返している。
「どいて!」
その伯爵を押しのけたのはミアだった。吐瀉物に目をやり、イーライを振り返る。
「殺鼠剤です。村に運んでください! 乳を飲ませて、吐かせなくては」
「殺鼠剤だと!? なぜ、そんなものを」
伯爵の声には困惑と怒りが入り混じっていた。
「今はなぜだとか言ってる場合じゃないです。急いで!」
ミアの声は厳しい。それだけ緊迫した状態なのだろう。
イーライはアンネリーエを抱き上げた。本来はお付きの護衛がするべきだろうが、彼らは伯爵の指示がないと動けないらしい。
アンネリーエを横抱きにして走る。すぐにミア……と伯爵が巨体を揺らしながらついてきた。はあはあと荒い息をしながらそれでも必死でイーライのあとを追う。強欲で横暴でも人の親なのだ。それが良い目にでるか悪い目にでるか……
運ぶ間、アンネリーエは二度三度と嘔吐を繰り返していたが、ミアによれば吐かせなければいけないらしいから、吐いたほうがいいだろう。
「イーライ様、吐瀉物で窒息しないようになるべく上体を起こしてください」
「わかりました」
真横を走るミアに言われ、抱き方を変える。
「村長の家までいく時間がおしいです。トマスさんの家へ」
村につくと、ミアは近くのトマスの家の戸を叩いた。その手には力が入っていた。ドンドンドンと大きな音が響く。すぐにトマスの女房が顔を出した。名をエラといったか。今朝、顔を合わせたばかりだ。ふっくらとした体型の気さくな女性である。
「ミアちゃん? どうしたね。……伯爵のお嬢さんかい!?」
エラはミアを見て首を傾げたあと、すぐ後ろでイーライに抱えられぐったりとしているアンネリーエに気づく。
「殺鼠剤を誤飲したみたい」
「なんだって! そりゃ大変だ。そこに寝かしな。声をかけてすぐに斑牛の乳を集めてくるよ」
エラはそう言うと家から飛び出した。
イーライは板の間の上にアンネリーエを横たえる。上着を脱いで、汚れた部分が内側になるように畳み、顔が横向きになるように頭に添える。
「アンネリーエは……無事か……」
少し遅れて伯爵が姿を見せた。戸口に手をつきぜえぜえと肩で息をする。その伯爵を押しのけ、エラが戻る。
「邪魔だよ!」
その手には白い液体の入った椀。
「今みんなに集めてもらってるからね。聖騎士様、伯爵のお嬢様の上体を起こしとくれ。ミアちゃん、これを飲ませて」
エラは椀をミアに渡すと桶と布を用意する。
イーライは言われた通り、アンネリーエの体を起こす。ミアが椀を口にあてがった。
「飲んで!」
しかしアンネリーエは顔を背けてえずいた。
「イーライ様」
ミアに目配せされ、イーライは顎を掴み、無理やり口をあけさせた。そこにミアが液体を流し込む。
「持ってきたよ!」
村の女性が入れ替わり立ち替わり現れ斑牛の乳を置いていく。伯爵は扉の横で小さくなっていた。邪魔にならないようにする分別があって何よりだ。
そこからは飲ませては吐かせ。吐かせては飲ませの繰り返しだった。
「量がわからんからねえ。なんとも言えんけど、これだけ吐かせりゃ命は大丈夫だと思うんだがね」
青い顔で横たわるアンネリーエ。体には村の女たちが護衛から剥ぎ取った上着がかけられている。
「アンネリーエ……」
隣では伯爵が令嬢と同じくらい青白い顔で力なく座り込んでいた。何度も頰を撫で名前を呼ぶ。
(村人の働きは見ていたと思うが……)
アンネリーエがどうして殺鼠剤を摂取するに至ったのか。
この後を想像してイーライは頭痛を覚えた。