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そこは沈黙の森  作者: 小声奏
序章
1/13

一話

 初めの大陸ユクシ。

 緑溢れる豊かな地で、緑の大陸とも呼ばれるユクシ大陸の隅に、十番目にできた小さな国ツェーンはあった。

 農業と酪農で身を立てるツェーン国、カッセル伯爵領には不思議な森が広がっていた。

 木々は青々と葉を茂らせ、猪の親子が水辺に喉を潤しにくる。

 確かに生命の営みを感じる。だというのに、その森には一切の声がない。

 小鳥の囀りも虫が奏でる音色もない。

 その奇妙な森に一人の少女が住んでいた。

 名はミア。

 歳は十六。

 夕焼けのような美しい赤毛と、夜空を写したような漆黒の瞳が印象的な少女だった。

 小川のほとりに建つ緑の屋根の小さな家でミアは一人で寝起きしていた。

 一階には炊事場と、食事をする部屋、それから森で取った様々な薬草を保管する部屋があり、歪な形の木の板の階段を上った先に寝室が一つある。

 キルティングのカバーがかかった暖かそうなベッドにミアは寝ていた。


「んー」


 ガラス越しに朝日を浴びて、ミアが目をさます。

 ベッド脇にある窓を開けると、爽やかな風が入り込んだ。

 真っ直ぐな赤い髪が風をうけてさらさらと流れる。ミアは大きく伸びをした。


「今日も静かで清々しい」



※※※※※


 遥かな昔。

 人がまだ国を持たなかったころ、人はただ自然の前に屈するばかりであった。

 大雨が降れば家や田畑を失い、魔物に襲われれば簡単に命を落とす。

 あるとき、人の余りに無力を憐れみ、女神が乙女たちを遣わせた。

 太陽の乙女は植物の声を聞き、豊かな実りをもたらした。

 月の乙女は動物の声を聞き、災害の予兆や魔物の出現を知らせた。

 人々は乙女を神の遣いと崇め大切にし、神殿を建てた。

 いかなる国も神殿を侵すことは許されず、世界中から集められた乙女たちは聖騎士に守られ暮らしている。


「その神殿の総本山がここです」


 白いローブを纏った太陽の乙女の長アメリが、今日連れてこられてきたばかりの小さな乙女に語って聞かせる。

 アメリが神殿に来て、来年で四十七年になる。

 連れてこられたのが三つの歳だから、とうとう五十の大台にのる。


「五つある大陸の中央に位置する大陸ヴィーシ。そのヴィーシの中央にある円形の湖の中に建てられています」


 五歳だという新入りの乙女は、そんなの知ってるよ。という顔でアメリの話を聞いていた。

 五歳という年齢は乙女として見出されるにはやや育っている。

 周囲が気づくのが遅れたか、隠したか……

 稀に乙女としての覚醒が遅いものもいる。


「今日からここが貴女の家。私たちが貴女の家族です」

「はい、アメリ様」


 はきはきと答える小さな乙女。

 よく見れば、その目の縁は少し赤い。道中で泣いたのだろう。

 アメリは血の繋がった家族から引き離されたばかりの小さな乙女の頭を撫でた。


「これから一年かけて下界の汚れを祓います。太陽の乙女である貴女が口にできるものは、これより水と動物のみとなりますからしっかり覚えていてください。決して植物を口にせぬように」


 わざわざ念を押さずとも、植物の声が聞こえるようになったときから、それを食そうとする乙女はまずいない。心を通わせることができる存在を、誰が食べたいと思うだろう。


「十二歳までは乙女としての力を高めるための修行を。十六歳までは神殿近くでの仕事を、そして十七になれば太陽の乙女として世界各地の神殿に赴き人々に植物の声を伝えていただきます。そのときには、貴女にも立派な騎士がつくことになりますよ」


 アメリの言葉に小さな乙女の表情が明るくなる。


「はい、アメリ様!」


 小さな乙女の可愛らしい女心にアメリは微笑んだ。

 乙女を守る聖騎士は少女たちの憧れだ。聖騎士は狭き門である。

 貴族の子弟はもとより、国中の若者から選ばれるのだ。

 能力はもちろんのこと、人柄、知識、容姿、何より乙女に対する献身性が求められる。

 乙女を守り、尽くす、その姿に世の少女たちは皆、心奪われた。


「アメリ様。騎士は自分で選ぶことができるのですか?」

「ええ、ただし、誰でも良いというわけではありません。聖騎士は己が仕えたいと思った乙女にその印を捧げます。剣帯に自分の瞳と同じ色の石をつけているものがいるのを見ましたか?」


 小さな乙女が頷く。


「あれは騎士の心を表しています。剣帯に石があれば、その騎士はまだ主を持たないといえますね。貴女が乙女として正しくあれば、十七になったとき心を捧げたいと願う騎士が数多く名乗りを上げることでしょう。貴女は、その中から心許せると思った相手をお選びなさい」


 聖騎士の数に対して乙女の数は少ない。過去には一人の乙女に数十人の騎士が殺到した例もある。もちろん、逆に数が寂しいこともあった。


「あの、わたし、さっき会った人がいいです。ダメですか?」


 アメリは首を傾げた。

 誰のことを指しているのかわからない。


「その騎士の名は?」

「名前……わからないです。でも、背が高くって、金の髪で紫の目の、とってもかっこいい人!」


 紫の目、と聞いてぴんとくる。

 この神殿に紫の目の聖騎士は一人しかいない。


「イーライ・アレンのことですね」

「イーライ・アレン様……。アメリ様、わたし、イーライ様がいいです。だって、イーライ様が一番かっこいいもの! 予約できますか?」


 なんとちゃっかりした乙女だろう。

 アメリは苦笑した。


「残念ですが少し歳が離れていますね。それにイーライは剣の腕も確かで特に人気の高い騎士ですから……」


 彼に心を捧げられたら、一も二もなく受け取るだろう乙女がここには幾人もいる。


「そんなあ」


 感情を素直に表に出す小さな乙女が愛しくて、アメリは「けれど」と言葉を続ける。


「貴女がここにいる乙女の誰よりも素敵な乙女になれば、可能性はゼロではありません」


 なにせイーライはまだ誰にも心を捧げる様子がないのだ。

 特別懇意にしている乙女も、気にかけているような乙女も見当たらない。


「わかりました。がんばります! あ、イーライ様!」


 アメリの後ろを見て、小さな乙女が目を輝かせた。

 振り返ると白亜の柱の隣に件の騎士が立っていた。


「申し訳ありません。立ち聞きするつもりではなかったのですが」


 イーライは胸に手を当て、礼をする。

 その仕草、騎士としての立ち居振る舞い、どれをとっても完璧だ。加えてその輝くような美貌に神殿で一二を争う剣の腕。

 若い乙女たちから人気があるのも頷ける。


「こんなに可愛らしい乙女に選んでいただけるとは光栄ですね」


 イーライは小さな乙女に近寄ると、その前に膝をついた。


「小さな可愛い乙女。頑張ってくださいね。応援してます」


 長い指で頭を撫でる。

 正式な乙女になれば騎士よりも位が上だが、見習いの乙女と騎士は対等だ。


「はい!」


 アメリは口に袖をあて笑声をこぼした。この様子なら神殿に馴染むのはきっと早いだろう。



※※※※※


「名前……わからないです。でも、背が高くって、金の髪で紫の目の、とってもかっこいい人!」


 神殿長に呼び出され、その部屋に向かっていたイーライは聞こえてきた言葉に足を止めた。

 この神殿に紫の目の騎士は自分だけだ。


「わたし、イーライ様がいいです。だって、イーライ様が一番かっこいいもの!」


 続く言葉にイーライは胸中で頷く。


(そうだろう、そうだろう。俺より格好のいい騎士などいるものか。ダイアンが一番だなどと抜かす乙女もいるが、どう考えても俺の方がかっこいい。あのチビは、中々見る目がある)


「残念ですが少し歳が離れていますね。それにイーライは剣の腕も確かで特に人気の高い騎士ですから……」


(全くもってその通り、剣の腕も俺が一番だ。リオのほうが強いなどとたわ言を口にする騎士もいるが、絶対に俺の方が強いに決まっている)


「貴女がここにいる乙女の誰よりも素敵な乙女になれば、可能性はゼロではありません」


(そうだ、誰よりも美人で聡明で力ある乙女になれば、俺が心を捧げてやらないこともない。聖騎士一格好良く、聖騎士一強い俺の主なるなら当然だ)


「わかりました。がんばります! あ、イーライ様!」


 乙女に見つかり、イーライはまずアメリに礼をとる。

 それから見る目のある新入りの乙女に近づいた。


 「小さな可愛い乙女。頑張ってくださいね。応援してます」


 頭を撫でると、乙女の頰が色づいた。


(ああ、こんなチビまで虜にするとか、俺って罪すぎるだろ)


 もちろん、この小さな乙女は守備範囲外だが、将来とんでもない美女に成長する可能性だって十分ある。それに自分に夢中な女は多い方がいい。


「では、私は失礼します。神殿長に呼ばれておりますので」


 優雅に見えるよう、鏡の前で何百回と練習した礼をとり、イーライはその場を後にした。

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