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第77話 歩と春海 (3)

「あーゆーむ」

「……何ですか?」


「ごめんね」

「春海さんは関係ないですから」

「いや、どうみてもあたしが原因じゃない」

「違います」

「違うならこっち向きなさいよ」


 渋々といったように振り向いた歩が、子供が叱られることを怯えるような様子でいるのを見て苦笑しながら手招きする。視線を合わせないままゆっくり近づいた歩をカウンター越しにのぞき込んだ。


「歩、怒ってる?」

「? どうして怒るんですか?」

「あたしが迷惑かけたから」


「そんな事思ってません!

 ……春海さんが知ったらそう言うだろうなって思って。だから……!」


 ようやく向けられた視線は申し訳無さそうで、心からそう思っているのだろう。



「……そっか」


 自分をひたむきに慕ってくれる歩がただ嬉しくて、最近直ぐに崩壊してしまいそうな涙腺を何とか押し止める。


 先日正式なイベントとして決定した大根やぐらの企画は初めての試みと初めての責任者ということもあって毎日が試行錯誤の連続だ。押し潰されそうな重責を抱えながらそれでも何とか過ごせていけるのは、あの日の歩とのやり取りが心の支えになっているから。

 だからこそ、『HANA』の連休を聞いたとき真っ先に浮かんだのは歩の事だった。


「歩。

 実はね、歩に頼みたい事があるの」

「頼み事、ですか?」


 真剣な表情に変わった歩の予想通りの反応に思わず微笑んだ。誰よりも歩の事を分かっている自信があるからこそ、こんな搦め手で遠回しな手段を選んでしまうのは、その反応だけでなく過程すらも楽しいと思えてしまうから。

 そんな心の内に渦巻く感情を気づかれないように咳払いで誤魔化して真顔を作る。


「あたし、歩とまた出掛けたいなって思ってるの。だから歩が行きたい場所を考えててくれない?」

「はい?」

「来週土日なら好都合なんだけど、何か予定とかあった?」

「いえ、ないです、けど」


 思いがけない内容にぽかんとした顔でそれでも律儀に返事をするのがおかしくて仕方がないものの、取り繕った表情のまま続ける。


「前に約束したでしょう。二人でたくさん美味しい物を食べて、色々な場所に行って、楽しい事をたくさんしようって。

 あたしの都合で悪いんだけど、連休なら歩もゆっくり出掛けられないかなって思ってさ」


「覚えてる?」と訊ねると、こくりと頷いた様子からきちんと意味は伝わっているらしい。いまいち反応の薄い歩の様子に変なところで勘が鈍いのよね、と内心ごちながら我慢できずに結論を急かす。


「そういう訳で歩の返事が聞きたいんだけど?」

「い、行きます!!」


 断られるとは思ってなかったものの、ようやく聞けた嬉しそうな声に少しだけあった不安が消えていく。


「それなら決まりね。

 車はあたしが出すから、行きたい場所探してて。何だったら泊まりがけでも良いわよ」

「!? と、泊まりは、む、無理ですっ!」

「そう?

 別に構わないのに」


 焦ったように、それでいて嬉しそうに笑顔を見せる歩にもう一つのミッションをクリアすべく更に言葉を続ける。ここからが本番だ。


「じゃあ約束してくれる?

 体調が戻るまでちゃんと休むって」

「え」

「だって、折角遊びに行くのに体調が悪かったら楽しめないでしょう。

 だから花江さんの言いつけを守ってきちんと休むこと。出来るわよね」

「う、はい……」


 上手く言いくるめられた事に気がついたらしい歩のしおれた態度と予想通りの結末を迎えられた嬉しさも重なって笑いが止まらない。歩検定合格の肩書きは伊達ではないだろう。




「花江さーん、もう良いわよ」


 笑いが治まってから奥に呼び掛けると、話が終わるのを待っていてくれたらしい花江が顔を出した。


「話は終わったかしら」

「ええ、円満に解決出来たわよ。

 ちゃんと休むって言ってくれたし。ね、歩?」


「……はい」


 反抗するようにぷいっと向けた背中がそれでも小さく返事をする。その姿に花江と顔を見合わせて笑うと、マグカップに残る最後の一口を飲み干した。予定より随分長居をしてしまったが、心の疲労感はずっと軽くなった気がする。


「じゃあ、そろそろ帰るわ。

 ごちそうさま」


「ありがとうございました」


 仕事モードに切り替えたらしい歩が会計を済ませてレシートを渡す。差し出した手ごと握って身体をぐっと引き寄せると、花江に聞かれないよう耳元に口を寄せた。


「ランチバック今度渡すわね。

 風邪の原因が花江さんにバレたら、あたしきっと出入り禁止にされちゃうから」


 肩に掛けていたバックを小さく開いて、渡すつもりだったランチバックを見せると、顔の隣で歩の頭がカクカクと縦に動く。


「じゃあね」


 久しぶりに見るぎくしゃくした姿に笑いかけると、再起動させるよう両肩を軽く叩いてから『HANA』を後にした。

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