第71話 おおかみ町大根やぐら (2)
「そういえばあれから進展はあったのか? 大根やぐら」
チェックしてもらった原稿を手渡しながら思い出したように勇三が聞いてくる。勇三にも知人を幾人か紹介してもらっていたので進捗具合が気になっていたようだ。
「あ、はい。
おかげさまで作っていた方から色々話を聞くことができました」
「ほう、どんなものだったんだ?」
「高さが六メートルで、長さが三〇メートル位が標準らしいんですが……」
先程までメモをまとめていたため、淀みなく話す春海の説明に時折質問を挟みながらふんふんと頷きつつ勇三が聞いていく。
「それで、春海はこれからどうするんだ?」
「はい?
どうするとは……?」
一通り説明を終えた後、投げ掛けられた質問の意図が分からずに聞き返す春海に勇三が呆れたような視線を向ける。
「お前そこまで調べたのに何も活用しないつもりか?
ざっと聞いただけでも大規模な物だし、もし完成したのならPRするのにインパクトは十分じゃないか。しかも五十年ぶりのおおかみ町風物詩の復活とあっては地域の関心も引くだろう?」
「つまり、……これを企画にしろと?」
「そうだ」
恐る恐る導きだした答えにようやくたどり着いた生徒を誉めるように頷く勇三の態度に目を丸くする。
「え?
だって、小学校で作るからって調べたんですよ?」
「それはきっかけに過ぎんだろう。
それに相当大規模な物になるだろうが、そのまま小学校で作るつもりなのか?」
「いえ、大分小さくするとは思いますけど……」
何しろ標準のやぐらを作ったならば、校庭の半分以上の敷地が必要なのだ。
「それなら尚更好都合じゃないか。
直ぐに企画書に取りかかれよ」
「え、私がですかっ!?」
「春海以外に誰がいるんだ?」
「っ、……分かりました」
幾つも仕事抱えている他のメンバーに押し付けるわけにもいかないし、そもそもこの話を最初に受けて調べたのも自分だ。幾つかの反論をぐっと飲み込んだ春海を満足したように勇三が見た。
◇
少し早めに仕事を切り上げた夕方、山下に会うため春海は重い足取りで小学校に向かっていった。一つだけ明かりの灯った職員室には山下だけが待っていて、どうやら春海の為だけに残っていてくれたらしい。
「こんばんは。
遅くなってすいません!」
「いいえ、私の方はバタバタしててあれっきり手付かずのままでしたので、むしろありがたいです」
暖かい室内に通されて「どうぞ」と差し出されたのが、この間と同じお茶のボトルとお菓子で思わず笑ってしまい、強ばっていた肩の力が少しだけ抜ける。ありがたく一口頂くとバックから調査結果をまとめた紙を渡して説明し、その上で勇三から企画にするようにと言われた事を打ち明けた。
「──という訳なんです。
ごめんなさい!」
「えっと、今の話を聞いてどうして鳥居さんが謝る必要があるんですか?」
「それは、……そもそも小学校の話だったのに、これじゃあうちの事務所がアイデアを横取りしたみたいじゃないですか」
山下の子供たちへの思いに賛同したからこそ春海も協力したのであって、こんな展開になるとは想像すらしてなかった。いくら町の為とはいえ、純粋な好奇心を自分たちの仕事に利用してしまった感は否めなくて申し訳なさしか感じない。
「それは考えすぎですよ。
第一ここまで調べたのは鳥居さんじゃないですか」
「それは……そうですけど」
気にした様子もない山下の指摘に言葉を詰まらせる。勇三からの指示も当然だっただし、春海も他人事ならば同じように提案したかもしれない。自分でも頭では理解してはいるものの、どうしても心が納得出来ないのだ。そんな春海を励ますように山下が言葉を続ける。
「ここまで調べてくださったのなら小学校でも作れそうだし、感謝します。私達も作ってみますから、是非本物を見せてくださいよ」
「……そうですね」
結局、おおかみ小学校とのコラボ企画にするという形で許可をもらい、小学校を後にした。
◇
事務所に戻った春海がバックの中身を広げていると、帰り支度をしていた勇太の動きが止まった。
「あれ? 春海さん帰るんじゃないの」
「もう少ししたら帰るわよ」
棚から過去の企画書の詰まったファイルを幾つも取り出す春海に訝しげな視線を送る。
「……もう少し、には思えない量のファイルなんだけど。
ちなみに、それどうするの?」
「あぁ、これね。企画書書けって言われてさぁ、私作ったこと無いから参考書代わりにしようと思って」
「え、春海さんが作るの?」
「そう。所長命令」
「へぇ、勇三さんが言うなんてめずらしい」
「本当よねぇ」
滅多に口出しをしない勇三からの指示と聞いて驚きながら「期待されてるじゃん」と励ましてくれる勇太に笑って返す。
「何か手伝おうか?」
「ありがと、でも大丈夫よ。
とりあえず今日は目を通すだけにしておくつもりだし」
正直なところ、不慣れな仕事ゆえに助けをもらえるなら有りがたいが、余計な負担はかけたくはない。苦労するのは目に見えているのに肝心なときには素直になれなくて、一瞬傾きかけた心の天秤は直ぐに元に戻ってしまった。
「んじゃ、ほどほどにね」
「お疲れー」
勇太を笑顔で見送った後「よし!」と気合いを入れて、企画書作りに取りかかった。
◇
「っ!、あーもう!!」
ミスを見つけて思わず声を荒げると、画面から目を離して天井仰ぐ。目元をぐりぐりと押しながら深呼吸をするとマグカップを持って立ち上がった。
お湯と共に立ち上がる湯気を目で追えば、窓ガラスに映る自分の顔と目が合う。
「うわ……」
鏡ほど精密では無いはずなのにはっきりと表れている疲労を自覚すると力なくソファーに座り込んだ。コーヒーの飲みすぎで胃は膨らんでいるのに身体は空腹を訴えている。
「…………『HANA』開いてないかな」
平日の深夜も近くなる現在、営業している筈もないのは分かっているものの、忙しさも重なってしばらく顔を出していない。『HANA』の光景を一度思い浮かべるとあの雰囲気が無性に恋しくなってしまいため息をついた。