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第70話 おおかみ町大根やぐら (1)

 背もたれに深く寄りかかったせいで、ギギギィーと椅子が悲鳴を上げる。そんな助けを求める声に反応したらしい美奈が今にもずり落ちてしまいそうな格好で座っている春海を見てくすくす笑った。


「あ~、ごめん。

 うるさかったわね」

「大丈夫ですよ。

 もしかして、例の件ですか?」

「そうなのよ~」


 力なく答えた春海が「よっこらしょ」と声を上げながら座り直す。


「その調子じゃ空振りだったみたいですね」

「正解。

 役場の佐伯さんからの紹介だったから、期待してたんだけどねぇ」

「え!?

 役場の人にまで聞いてるんですか?」

「そう。

 だって、知り合いには全員聞き尽くしちゃったんだもの」

「そうでしたね」

 

 春海の言葉に美奈が苦笑いしながら同意する。

 山下には大見得をきったものの、大根やぐらについての調査は難航していた。白井のつてで何軒かの農家を訪ねたもののそもそも作っていた地区が違ったらしく、現在のその場所は大規模な区画整理によって住宅街と姿を変えており、元々住んでいた人たちは皆農業を辞めて移転してしまったらしい。


「とりあえず先に仕事するかぁ」


 鞄から取り出したファイルをバサバサと音をたてながら、それでも丁寧な手つきで積み上げていく。訊ねた先で大根やぐらについて聞き取ったメモを貼り付けていったファイルはいつの間にかちょっとした厚さになってしまっている。


「そういえば『HANA』のお二人が心配してましたよ」

「あ~、しばらく行ってないもんねぇ」


 山下の頼みはあくまでも春海個人の私用として昼休憩や仕事終わりの時間を充てていたため、必然的に『HANA』にも顔を出せずにいた。勇太や美奈から春海の現状を聞いたらしい花江と歩の顔が容易に想像できて、苦く笑った。


「大丈夫。一区切りついたらまた入り浸る予定だから」

「そうしてくださいね」


 再び仕事に戻った美奈に倣うように椅子に座り直すと、仕事に意識を向けていった。


 ◇


 終業後、春海はファイルを片手に事務所から程近い住宅地の中にいた。


「確か、地図アプリではこの辺だったんだけど……」


 辺りは既に薄暗い上に吹き抜ける風もひんやりと冷たい。冬が近づいていることを実感しながら、あちこちの表札を確認していく。ようやく目的の家である『桑畑』の表札を見つけると、ポケットのスマホがマナーモードであることを確かめてから背筋を伸ばし、大きく深呼吸を一つ。


「こんばんはー!」


 田舎ならではなのだろうか、これまで訪ねた先ではドア横に設置してあるにも関わらず何故かインターフォンは使用していない家庭が多かった。

 ドアの向こうでテレビの音が聞こえるのに三十分程たちぼうけを食らった後で『インターフォンは壊れてるから声を掛ければ良かったのに』と言われて以来、高齢者や一軒家を訪れるときはこうして直接呼び掛けるようにしている。


 のしのしと重い足取りの後、ドアの向こうでサンダルの音と共にガチャリとドアが開いた。


「こんばんは、桑畑さんですか?

 お電話しました鳥居と申します。忙しい時間帯にすいません」

「ああ」


 室内からの逆光でその表情は確認出来ないものの、警戒心を隠さない声に緊張しながら紹介してくれた役場職員の名前と訪ねた用件を伝えると、幾分雰囲気が和らいだように思える。


「あんた、物好きだな。

 まぁ電気をつけるからちょっと待ってな」


 呆れた声ながらもどうやら話は聞いてくれるらしく、強ばった肩の力を抜く。いくら前もって電話で事情を伝えてあるとはいえ、このご時世に見ず知らずの春海が訪れることに多少なりとも警戒心を抱かない人などおらず、露骨に閉め出されたりと精神的苦労も多かった。壁際からカチッと音がした途端、玄関がぱっと明るくなる。


「あぁ、あんただったんか」


 春海に向けられた親しげな雰囲気にようやく眩しさに慣れた目を開けるとまじまじと相手の顔を見ると、事務所周りで犬の散歩をしているあの男性だった。


「あ、桑畑さんって、おじさんだったんですか」


 驚きすぎて失礼な物言いになってしまった春海が慌てて謝るも、気にした様子もない。


「またどうして、昔の事なんか訊ねとるんか?

 あんたたち変わっとるなぁ」

「仕事じゃないんです。

 私が興味があって調べてるだけなので……」


 顔見知りという事ですっかり打ち解けた雰囲気になった桑畑に勧められるまま玄関に座り込み、差し出されたお茶を一口飲む。


「ほう、姉ちゃん若いのに珍しいの。

 まあ、あれを作るのはどえらい苦労するでなあ」

「え!? おじさん作ってたんですか?」


 しみじみとした桑畑の口調に詰め寄ると「ほんの五年くらいな」と答えが返ってきた。急いで湯呑みを空にするとバックからメモ帳を取り出した。


「あのっ、どんな事でも良いんで是非色々教えて下さい!」



 ◇


「本当にありがとうございました」

「おお」


 随分と時間が遅くなってしまい、桑畑から夕飯の誘いまで受けてしまったが、丁寧にお礼を伝えてから暗い夜道を戻っていく。道路脇の家々の明かりを街灯代わりに来た道を戻っていくと、あちこちから流れてきた美味しそうな匂いに反応したのか胃がきゅうっと音を立てた。


「……お腹空いたなぁ」


 思えば最近はずっとパンとコンビニのお弁当の繰り返しばかりで、食べた記憶すらもあやふやだ。それでも、ようやく見つけた手掛かりにこれまでの疲労感も吹き飛んでいった気がして足取りは軽い。


 明日メモを整理して、山下先生にも電話して、その前に原稿書かなくちゃ……


 しなければいけないことは多いもののようやく良い報告が出来そうな気がして、鞄を抱え直すと事務所に向かって歩いていった。

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