第69話 HANAの昼下がり (4)
「あら、鳥居さん」
「あ、山下先生!
先日はありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。
観に来て下さってありがとうございます」
立ち上がって挨拶する春海と勇太からどうやら仕事関係の人物らしく、一通り挨拶を交わすと春海たちと同じカウンターに横並びに座る。
「歩、こちらおおかみ小学校の山下先生と日高先生。四年生と一年生の担任されてるの」
「こんにちは」
お冷やを差し出したタイミングで春海に紹介されて不思議に思いながらも挨拶すると、二人から好奇の視線を向けられた。
「あなたが歩さんですか」
「はい、そうです、けど……?」
「是非お会いしたいと思ってたんですよ。学習発表会にも来られたんですよね!」
「は、はい。
あの、楽しかったです」
「そうですか、良かったです!
あ、そうそう。
ウチの寛太がいつもお世話になってます」
「いえ……そんな……」
親しげに話しかけてくる二人の先生の雰囲気に押され、うまく切り返せなくて困る歩とは対照的に周りは楽しそうで、居心地の悪さを感じる。それでも注文を受けるため動かずにいると「先生、注文しました?」と勇太が声を掛けてくれた。その場からそそくさと逃げ出す様に引き返して、小さくほっと息をつく。
「先生方はここによく来るんですか?」
「いえいえ、今日が初めてです。
前々からこの場所は気になっていたのですけど、なかなか行き出せなくて。今日山下先生を誘ってようやく実現できたんですよ」
「そうそう!
私達北市から通勤してるんで土曜日はいないし、平日は給食があるものですから」
「え、先生方ってこの町に住んでないんですか?」
「ええ、転勤もあるし職員の大半が似たような感じですよ」
教育現場の裏話に盛り上がる四人の姿を遠巻きに眺めながら、今日はこれ以上春海と話すことはないだろうと寂しさを覚える。賑やかなカウンターの向こう側をなるべく意識しないよう黙って仕事に集中することにした。
◇
「鳥居さん。
農業されてる方にお知り合いはいらっしゃいませんか?」
「え、農家さんって事ですよね?
いるにはいますが……」
「本当ですか!
やった! 聞いてみるものですねぇ」
春海へ顔を向けた山下がぱっと明るい表情を浮かべる。
「何か御用事でしたか?」
「ええとですね、お聞きしたい事がありまして。
あ、その前にその方って大根作ってます?」
「え!? 大根ですか?
いや、ちょっと聞いてみないと分かりませんが……大根を小学校で作るんですか?」
春海の質問に答える代わりに山下が含み笑いをしながら「これ何だか分かります?」とスマホを操作して差し出してきた。開かれた画面に写っていたのは広々とした畑の真ん中にそびえ立つ真っ白い大きな建造物。三角柱を横に倒したような形のそれはよく見ると白々しい棒のような物が掛かって出来ており、おびただしい数から成り立っているのだと分かる。
あれ? これどこかで──
つい最近似たような写真を見た気がして画面を見ながら記憶を辿る。確か借りてきた本の一冊に同じ様な写真があったはず。
「もしかして、大根やぐら……ですか?」
「おおー正解!
凄いです!」
子供を誉める様に拍手する山下に苦笑いを浮かべながら、それでも「ありがとうございます」と応じると隣で首を傾げている勇太に説明する。
「漬物用の大根を干すための物で、おおかみ町では昔あちこちにあったらしいのよ。後継者不足で五十年位前には作るのを辞めてしまったらしいんだけど」
「へぇ、物知りですね。春海さん。
じゃあ、これ全部大根ですか?」
「多分そうなんじゃない」
「ほー」
素直に感心する勇太の向こうでにこにこと笑っている山下と目が合った。
「流石地域起こしプロジェクトの方ですね。
私が説明するまでもなかったです」
「あ、たまたまですから」
勇太だけでなく花江や歩までもが尊敬の眼差しで見ていたことに気がつき、咳払いして話題を逸らす。
「要するに、小学校でこれを作りたいと?」
「そうなんです。
授業で調べた子供たちから実際に見てみたいという意見が出てきまして、折角ならやってみようと。流石に完全に再現するのは難しいと思いますけど、とりあえず作り方だけでもと、つてを探してまして」
「そういう事ですか。
凄いですねぇ」
「いえいえ。成功するとは思ってないですけど昔の物を復元するなんて楽しそうじゃないですか。それに子供たちとの思い出作りにもなりますしね」
山下の表情からは不安さは微塵も感じられなくて、ただ純粋に楽しそうな雰囲気が伝わってくる。イベントを開催する度に参加してくれる子供たちの顔を思い浮かべると、自然と気持ちが前向きになった。
「分かりました。こちらで話を聞いてみますね。
勇太、白井さんって今忙しいかしら?」
時計を確認した勇太が「どうですかねぇ」と言いながら立ち上がる。そのまま連絡を取ってくれるらしく、スマホを取り出した後ろ姿をドアの向こうに見送ると程なくして困ったように勇太が顔だけ出してくる。
「春海さん、白井さんは大根は作ってなくて大根やぐらも知らないそうです」
「誰か知り合いとかいないかしら?」
「それも聞いたんですけど、どうもいないらしくて」
「そっか……ありがと」
二言三言電話で言葉を交わした後で戻ってきた勇太が山下に「力になれなくてすいません」と謝り、山下が大慌てで宥める。
その光景を見ながら沸き上がる無力感に小さく奥歯を噛んで拳を握った。
「あのっ、山下先生!
もう少しだけ時間をもらえますか?」
「え、でも……」
「白井さんが知らないなら、他の人に聞いてみるまでです。
諦めるのはそれからでも良いじゃないですか」
「えと、……そうですね」
春海の勢いに驚いた様に目を丸くしていた山下がにこりと微笑んだ。
「それじゃあ、お願いできますか?
私の方でも探してみますので」
「分かりました!
とりあえず、何か分かりましたら連絡します」
勢いよく頭を下げるとばたばたと出ていった春海を呆気にとられたように皆で見送る。
「春海さん、お金払ってない……」
ぽつんと呟いた勇太の声がゆっくり閉まるドアの音と重なった。
ここでの設定では大根やぐらは過去の物となっていますが、実物はまだ存在します。
興味のある方は是非『大根やぐら』で検索してみてください。