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第66話 鳥居春海 (10)

 代休を取った金曜日の夜、春海は恋人である圭人の住んでいる高之山市に来ていた。


 おおかみ町から車で二時間ほどの距離にあり、県庁所在地である高之山市は金曜日の夜とあって午後8時を過ぎても車も人通りも多い。以前住んでいた街なのに、並ぶビル群とひっきりなしに通る車のライトに息苦しさを感じるのは、自分がおおかみ町に馴染んだ証拠なのだろうか。


 大型商業施設の中で時間を潰していると、予想よりも早くスマホに通知が来る。待ち合わせ場所に足を向けると人混みの中スーツ姿で長身の男性がスマホを片手に立っていた。


「お待たせ」

「よう」


 短めの挨拶を交わすとどちらともなく並んで歩き出し、春海が後ろ手に持ったキャリーバックに目をやった圭人が苦笑する。


「相変わらずの大荷物だな」

「仕方ないじゃない。女は色々必要なのよ」

「バック持とうか」

「良いわよ。そっちだって同じでしょう」


 ビジネスバッグを抱える圭人に寄り添うと、持ち手を変えて腕を絡める。やがて見えてきたレストラン街に話題は食事の内容へと移っていった。


 ◇


「お邪魔しまーす」

「どうぞ」


 エレベーターで6階に上がった先の角部屋に勝手知ったる様にあがりこむとぐるりと部屋を見回す。フローリングの床に大型のテレビ、壁際のベッドと二人掛けのソファーといった必要最低限の家具しかない部屋とオール電化のキッチンは相変わらず掃除が行き届いており、モデルルームの様に整然としている。浮気の気配どころかここで生活している気配すら感じさせない部屋は、来る度に少し落ち着かない。


 何はともあれ長距離の移動でバキバキと固まった身体を休めたくて荷物もそのままにベッドに倒れこむと、テレビをつけてネクタイを緩める圭人をぼんやりと眺める。


 圭人は春海が勤めていた会社の同僚として知り合った。てきぱきとこなす仕事ぶりに、淡々とした態度ながら意外にも人付き合いの良い彼は会社内での評判もそれなりに良く、付き合い始めてからもうすぐ一年半になろうとしている。そんな圭人は最近出張や研修も重なっている為かめっきり忙しいらしく、久しぶりの横顔に明らかな疲労が見えていた。


「シャワーでもいいけど、お風呂入るならお湯出しておこうか?」

「おう、頼むわ」


 ソファーにどかりと座った圭人がテレビをつけたままスマホを弄り出し動かなくなった。



 家に帰ってきた途端そっちかよ!


 やがて聞こえてくる車のモーター音に内心悪態をつきながら、いつもの事と諦め半分で洗面所に向かった。




 久しぶりの湯船に浸かりながら、未だ小さく聞こえてくるテレビの音に、ため息をこぼす。


 好きな人には同じくらい好きでいて欲しい。


 お互い仕事で忙しいからこそ、一緒に過ごせるときには一緒にいたい。それこそ、付き合い初めは色々な場所に出掛けたし、二人で何時間も話をした。

 燃え上がる気持ちがいつまでも続くとは限らない事など分かってる。だけど、『慣れ』なのか『落ち着いた』のか分からないまま圭人と向き合う時間が増えたのは確かで、微妙な温度差を感じてしまう。


 それでも今夜は抱かれるだろうと気持ちを切り替えると、念入りに身体を洗って浴室を出た。冷蔵庫を開けてミネラルウォーターのボトルをかき分けるも、先日買っておいたアルコールの缶が見当たらない。


「ねぇ、この間買っておいたロング缶知らない?」

「あぁ、悪い。しばらく来れないと思ってたから片付けたんだった。買ってこようか?」

「今からわざわざ出るの面倒でしょう。お水もらうわね」


 付き合い程度でしかアルコールを飲まない圭人にとっては冷蔵庫の中のロング缶は不要品だったらしい。買い置きがあるつもりで予備を買ってこなかった事を悔やみつつミネラルウォーターのキャップを開けて喉を潤していると、ようやく満足したらしい圭人がスマホを閉じて立ち上がった。


「んじゃ、風呂入ってくる」

「はーい」


 ◇


 ベッドにうつ伏せで枕に顎を乗せたままテレビを眺めていると、タオルで頭を拭きながら圭人が戻ってきた。直ぐ傍のソファーに座らず春海の腰の位置に座った圭人に何となく満足して二人分の重みで沈んだマットの位置を変えるべく熱の残る身体に密着させる。硬い指が背中をゆっくり這う感触に、ぞくっと背筋が震えた。


 視線はお互いテレビに向き合い黙ったまま、指先の感触を楽しむ様に身を委ねていると背中に回った指がホックを外し、広い手の平が左の肩甲骨を撫でた。その感触がくすぐったくて身を捩るとテレビの画面がプツリと消える。


「なぁに、折角見てたのに」

「見てなかったじゃないか」

「見てたわよ」


 わざとらしいやり取りと、熱の籠った視線にこれから始まる事への期待と興奮が高まっていくのが分かる。仰向けになって圭人を見上げると、近づいてくる顔に手を伸ばして引き寄せた。軽いキスを繰り返しながら広い背中に手を回すと、すぐに服の中に手が入ってきた。


 快感に身を委ねる前に、甘い雰囲気を壊さないよう圭人の耳元に口を寄せる。


「ごめん。

 後からで良いからつけてくれる?」

「分かった」


 本当に分かってんのかな……?


 セックスは嫌いではないし、子供も嫌いではない。

 授かり婚という形で夫婦になった友人もいるし、万が一そうなった時には圭人なら喜ぶだろうと思う。お互い子供がいてもおかしくない年齢だし、実際、実家の母親は電話をかけてくる度に結婚した友人や従姉妹の近況を伝えてくる。



 だけどもし今妊娠してしまったなら、仕事は、生活は、自分自身はどうなる? どうする?


 社会人として働き初めたばかりの頃、一度だけ四日ほど遅れた生理に酷く焦った記憶が甦る。結局原因が何かは分からないままだったが、心当たりのありすぎた当時は本当に悩み、焦った。誰にも相談出来ずに妊娠検査薬の購入を真剣に考えた頃、下着に付いた赤いおりものに心底安堵して以来、どんなに安全日でも避妊具を求めるようになった。圭人も付き合い初めた頃は律儀に守っていてくれたのだが、最近はこちらから言わなければつけようとはしてくれない。


 就いたばかりの仕事を中途半端で投げ出したくなくて、だからこそ望まない妊娠は避けたいのに。



「ぅ、んっ!」


 内腿を撫でられた感触にぞわりと快感が強くなり、身体が跳ねる。いつの間にか押し付けられた圭人の身体に本能が理性を塗り潰す。


 このまま無茶苦茶に繋がりたい──だけど、今は駄目だ。


 何もつけずに触れあう快感を知っているからこそ、のし掛かる圭人を何とか押し止めた。


「……っ!?……なに?」


「…………つけて」


 ベッドの引き出しに常備してある四角のパッケージを取り出すと、個包装の一つを破って袋を開ける。観念したように受け取った圭人に、冷めてしまった雰囲気を取り戻すべく今のうちにと乱れた衣服を脱ぎ捨てた。



 やっぱり分かってなかったじゃない!


 何度も繰り返した喧嘩の原因に、未だ反省しない苛立ちをぶつけるよう、準備の出来た圭人に跨がって唇を押し付けた。

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