第28話 町民体育祭 (11)
「かんぱーい!!」
田中の掛け声と共にあちこちでグラスや缶のぶつかる音が聞こえる。三十人程の参加者の声で一気に賑やかになる室内の壁際に座った歩も、注がれたジュースを片手に周りの見知らぬ人とグラスを合わせた。
「お疲れ様でした」
最後にカツンとグラスを合わせたのはリレーの選手で、里田郁恵、高校二年生。田中から呼ばれたらしく、大人ばかりの打ち上げ会場に入った途端困ったように立ち尽くしていたが、隅に一人座っていた歩を見つけるなりほっとしたように隣に座ってきた。
リレーの時は大人しそうな雰囲気の少女だったが、こうして改めて話してみると、気さくで接しやすい女の子だった。
「歩さん、何食べます?」
「うーん、悩むね……」
目の前にはオードブルと持ち込みらしい手料理が幾つも並べられており、それぞれに皿と箸が置かれている。『簡単な打ち上げ』と聞いていたが、料理は予想外に豪勢で先程から身体が空腹を訴えていた。
大人達といえばアルコールが先らしく、まだ箸を取る人はいない。受付の人にも「今日は大活躍したんだから、たくさん食べなさい」と言われていたので遠慮する必要はないだろう。
エビチリ、照り焼き、いなり寿司、ポテトサラダ、ミニトマト、ローストビーフ、蕎麦、煮物──目移りしながら取り分けた皿を見て郁恵が目を丸くする。
「歩さん。結構な量ありますけど食べれます?」
「……うん。今私も同じ事思った。
全部美味しそうだったから、少しずつにしたつもりだったのに」
「あはは、それって良くありますよねー」
ころころと笑う郁恵につられて思わず笑う。郁恵とのとりとめのない会話が楽しくて料理以上に身体が満たされた気がした。
ジュースを注ごうと向けた視線の先、二つほど離れた斜め前のテーブルには春海の後ろ姿があった。知り合いだろうか、勇太とは違う男性と談笑しながら片手にビールを持ち、美味しそうに飲む姿に大人の色気を感じてそっと視線を反らす。
ようやく料理を平らげた頃、郁恵の質問が歩の職業に移った。
「じゃあ、歩さんは『HANA』で働いているんですか?」
「うん、そう。
あのテーブルの二番目に座ってる人が店長なの」
「へぇ、思ったより若い人ですね。私、まだ行ったことないんですけど、ランチが美味しかったって友達のお母さんが言ってました」
「そうなんだ、ありがとう。
郁恵ちゃんも一度食べにおいでよ。少しくらいならサービス出来るし」
「えっ、本当ですか!?
でも、『HANA』っていつもランチの時間は満席って聞きましたけど」
「少し時間をずらしてランチの終わりぐらいに来たらゆっくり座れると思うよ」
「分かりました!
今度友達を連れて食べに行きますから」
気合いを入れるように握りこぶしを作る郁恵が面白くて微笑むと、そんな歩を見て郁恵も笑う。
「楽しみにしてるね」
「あー、じゃあ、もし良かったらアドレス交換しませんか?
その方が連絡しやすいし」
「えっ!? でも……良いの?」
「何がですか?」
見ず知らずの自分に簡単にアドレスを教えて良いのかと暗に訊ねると、不思議そうに丸い目をぱちぱちさせる。
「高校生なのに、その、……個人情報とか」
「ぶっ、あははは!
今時これくらいフツーですって!」
「そ、そうなの?」
「歩さんってやっぱり面白い人ですね!」と爆笑しながら抱きついてきた郁恵にぎょっとしながら身体を硬くする。
何!? 何で抱きついてくるの!?
直ぐに離れたものの、予測不可能な郁恵の行動を警戒するように座り直す振りをしてさりげなく少し離れる。
「ねぇねぇ、歩さん!
アドレス交換しましょうよ」
「あ、うん」
ようやく笑いを引っ込めた郁恵がスマホを取り出のを見て、歩もバックを引き寄せる。キラキラという形容詞が似合いそうなカバーのスマホを差し出してきた郁恵に内心ぎょっとしながら、黒のカバーだけの自分のスマホを取り出した。
「……ごめん。私、登録の仕方が分からない……」
「あ、良いですよ、見せて下さい。えっと、ここをこうやって……」
慣れた手つきで郁恵がスマホを操作し、言われるまま振り合うと歩のスマホに『IKUE』の名前と共に何かのキャラクターらしきアイコンが表示される。
「歩さん、アイコンは何もいじらないんですか?」
「アイコンって、これ?
うん。私、そういうの苦手なんだよね」
「えー、結構簡単ですよ。
写真とかあったら……」
スマホを持ちながらあれこれ説明を受けていると、郁恵のスマホから突然音楽が流れてきた。
「あっ、もうこんな時間! お母さんが迎えに来るの忘れてました。ごめんなさい、また今度で良いですか?」
「うん、お疲れ様。またね」
「後で絶対連絡しますからね!」
「ふふふ、楽しみにしてるね」
名残惜しそうに部屋から出ていった郁恵を見送ると、何となく心細くなって周囲を見回してみる。テーブルの奥では花江が女性達と熱心に話をしていて、帰るにはもう少し時間が掛かりそうだ。
接客業の宿命か散らかったテーブルの上が気になってしまい、少しだけ片付けておこうと立ち上がった時、自分の名前が呼ばれた。