第26話 町民体育祭 (9)
「お疲れ」
転がり込んだままの場所から一歩も動いていない歩に、疲れた様子もなく花江が歩いてくる。差しのべられた手を掴んで引き起こしてもらい、右手を伸ばしてハイタッチを交わすとお互い笑いあった。
「歩、速かったじゃない」
「花ちゃんには負けるよ。もう一歩も歩きたくないもん」
「何言ってるの。若いくせに。
ほら、背中まだ砂が付いてるわよ」
「お疲れ様~!!
いやぁ! 凄かったねぇ!!」
ぱたぱたと砂を払ってくれる花江に甘えて立っていると、アンカーの女性が歩の両手を握ったまま興奮したように捲し立ててくる。そういえば、あの子は……と、第一走者の少女を探すと歩の後ろにきらきらした表情で立っていた。
「あ、お疲れさま」
「お疲れ様でした!
あのっ、走るの凄く速いんですね。びっくりしました」
「いや、随分走ってなかったから、自信なかったんだけど……」
「高校で陸上とかしていたんですか?」
「!………ううん」
『高校』というワードに小さく反応するも、少女には気づかれなかったらしい。ほっとする歩に、ぜぇぜぇと息を切らしながら春海が歩み寄ってきた。
「……あ、歩」
「あ、お疲れ様です……」
「あ、アンタ……ズルくない?
何、あの足の早さ……心配して損したわよ」
「えっ、ご、ごめんなさい……」
「あはは、別に謝って欲しかった訳じゃないわよ」
苦笑した春海が大きく息を整えた後、両手を歩に向けてくる。
「手、ほら」
ハイタッチを望んでいるのだと気づき、両手の砂を服でそっと払うと、恐る恐る手を伸ばす。
────パン
打ち付けられた小さな音と、初めて触れた手の平と、歩に向ける春海の笑顔に胸が一杯になって、溢れそうになる気持ちをぐっと飲み込んだ。
◇
退場する間もなく男子の部が始まるアナウンスが流れ、皆その場に座り込む。春海は少し後ろで、美奈以外のリレーメンバーを花江に紹介しているようだ。
スタート地点を見ると茶髪の頭が一番端に並んでいる。どうやら第一走者は勇太らしい。
ピストルの音と共にスタートが切られ、一斉に走り出す。流石に男子ともなれば走る迫力が違い、端から先頭に立とうとする勇太と長身の高校生が二人並んだ。
「頑張れー!! 勇太ー!」
「勇太くーん!!」
春海達の声に手を振る余裕もなく、必死で走る勇太をハラハラしながら歩も見守った。もう少しでリレーゾーンに入るという直線で足がもつれ、勇太が派手に転倒する。
「「あぁ!!」」
次々と追い抜かれていく勇太が立ち上がり、次の男性にバトンを渡す。その後巻き返しを計るものの、結局一番最後にゴールテープを切った。
リレーが終わりようやく解散となった後、こちらに向かってくる勇太達を春海達が出迎える。
「お疲れ~!」
「イエーイ!」
「勇太くん、大丈夫だった?」
「大丈夫。でも、転んだのがマジで悔しい」
それぞれハイタッチを交わしながらお互いを気遣うメンバーを歩だけでなく、周りも微笑ましそうに見守っていて、地域起こしプロジェクトを宣伝する意味としては十分効果的だったのだろう。
わいわいと賑わう春海達の側をそっと抜け出し、花江を探しに行くことにした。
◇
「花ちゃん、もう帰る?」
「いいえ、少し休んでから帰りましょうか」
「良かった。あの木の辺りに座ってるから」
歩のぎこちない動きに笑う花江からペットボトルを受けとると、身体を休めるべく周りが植木で囲まれた木陰に座り込んだ。キャップを回して一気に半分ほど飲み干すと、大きく深呼吸して寝転がる。会場では閉会式のアナウンスが流れていて、名前を呼ばれた地区のテントから歓声が上がっているのが聞こえてくる。
「疲れた………」
膝も太腿も痙攣を起こしたようにがくがくと震え、ストレッチをしなければ明日に差し障ると分かっている。だけど、心地よい達成感と久しぶりの充足感が心を満たしていて、今はとりあえずこのままでいたかった。