第235話 繋がる、重なる (7)
「そんなこと言われたんですか」
ことの顛末を告げると、隣から同情のため息がもれる。あえて前を向いたままの気づかいをありがたく思いながら、腫れぼったい目で頷いた。
「春海さんならいくらでも言い返せたでしょうに」
「いいの」
きっぱりと首を振ると、勇太が横目で意外そうに見る。無言の圧に負けて、つい苦笑いがこぼれた。
「確かに言い返したかったし、ものすごく悔しかったけど」
触れてほしくないところを抉られ、歩との関係を歓迎されない事実にも打ちのめされた。思い出すだけでも悔し涙が滲む言葉を、もう一度首を強く振って追いやる。
「それでも、あたしは里江さんを咎める気持ちにはなれないの」
「そうなんすか?
まあ、確かに打ち明けるタイミングも悪かったですしね」
娘の事故の知らせに気が動転しない親はいない。それに加えて恋人の存在と高校に通っていた事実を知ったのだ。里江の衝撃は大きかったに違いない。
「うん。
でも、きっとそれだけじゃないと思う」
歩とは普段からほとんど言葉を交わさないと聞いている。そんな娘の向ける眼差しを、思いの詰まった言葉を見知らぬ他人が受けたのだ。里江がどんな気持ちで聞いたのか想像するに難しくはない。あの場でさらけ出してしまった二人の関係が、結果として里江を傷つけてしまったことは否めない。それ以上話すつもりがないと察した勇太がやれやれとばかりに背伸びをした。
「それにしても、意外に打たれ強かったですね。もっとへこむのかと思ってましたよ」
「まあね。
いつまでも落ち込んでられないもの」
心の中はぼろぼろで、あくまで虚勢を張っているだけに過ぎない。寝る前に思い返して悔し涙するだろう。
──それでも
思いがけない形とはいえ歩の両親に接触することができたのだ。歩の憂いを払うためなら、どんなに自分が嫌われようとも構わない。
気持ちを切り替えるために、勇太を真似て立ち上がる。自分を支えてくれる花江と勇太の存在を心底ありがたく思う。特に、自分の姉を責めてでも守ろうとしてくれた花江には感謝してもしきれない。
「ありがとね、勇太」
精一杯の気持ちを込めた感謝に勇太が軽い調子で応えてくれた。
◇
春海をアパートまで送り届けると車内は花江と勇太と二人きりになった。普段は気にならない無言の時間が今はひどく心地悪い。
流れる町並みに、別れ際の春海を思い出す。大変な思いをしたはずなのに、最後まで心配を顔に貼りつけたままだった。激昂した自分を諫めてくれたのに、それに気づかなかったのが情けない。自己嫌悪の塊が胸に重くのしかかる。
「ごめんなさい」
車のエンジン音に消えてしまいそうな声を拾ったらしい。信号を待つ横顔がこちらへと向く。
「あなたたちはどんなときも周りを見ているのに、私はいつだって気づけなくて……本当だめね」
勇太が悩むように頭を掻く。花江の謝罪に否定も同意もできないのだろう。信号が変わり、勇太がアクセルを踏んだ。しきりに首元を触るのは言葉を探すときの彼の癖だ。勇太の横顔を眺めながら、ふと自分の選択肢を間違えたことに気づいた。自己嫌悪で彼を困らせたいのではない。
「勇太くん、もう一度やり直していい?」
勇太がとまどいながら頷いた。一度目を閉じてから心を落ち着かせる。
「ありがとう、勇太くん。
おかげで姉と余計な亀裂を生まずにすんだわ」
謝罪ではなく感謝を。
互いに気が動転した状態で里江を問いただせば、ろくな結果にならなかっただろう。心にくすぶる思いはあるけれども、春海も勇太も自分に傷ついてほしくないと思ってくれたのだ。
「おれこそ、ごめん。
あの時はどうしても花江さんに聞かせるわけにはいかなくて」
「ようやく気持ちを切り替えたのに、また蒸し返さないでよ」
「ああ、そうか、そうだね」
わざと拗ねた口調で抗議すると、勇太が慌てたように咳払いする。
「信じてくれてありがとう」
照れくさかったのか、言い終わると同時に前を向く。無意識に首へと向かいそうになるのだろう、なんとかして両手をハンドルに縛りつけようとする姿がおかしくて彼の左手に指を絡めた。少し前までは必要ないと思っていた温もりは、もはや手放すことなど考えられない。
「春海さんがさ」
「うん?」
繋いだ手に安心したのか、いつの間にか眠気に誘われていた。もたれていた体を起こそうとすると、そのまま引き寄せられる。
「花江さんには内緒にって言われてたけど……」
体越しに伝わる心地よさが「内緒」の一言に吹き飛んだ。顔を上げると、予想していたように勇太が笑った。
「今日のことは、いつか笑い話にしてみせるから心配いらないってさ」
「……春海がそう言ったの?」
「春海さんだしね。
どうにかするんじゃない」
春海の言葉を信じられない気持ちで聞き返す。数年前からの歩と里江の微妙な関係は今も変わっていない。それを知った上での言葉だろうか。ただ、春海が誰よりも近い位置にいるのは間違いなく、もしかしたらと思えてしまう。
「……そうね」
誰のための行動など決まりきった答えでしかない。任せてしまうもどかしさを感じながらも、その一方で、叶うことなら歩と里江、二人ともに笑ってほしいと願ってしまうのはあまりにも強欲だろうか。
ハッピーエンドを目指す友人に、自分は何ができるのか。流れる景色に思い巡らせながら、車は深夜の町へと進んでいった。
本日18時よりムーンライトでサイドストーリーを更新します。歩が高校入学後のゴールデンウィークの話となります。こちらもよろしくお願いします。