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第233話 繋がる、重なる (5)

 夕方から降り出した雨は少し勢いを弱めたらしい。窓の向こうから聞こえる雨音に安堵して、歩の帰りを待った。普段よりずいぶんと遅いのは、荒れた天気に気をつけながら運転しているために違いない。


 スマホの着信に気づいて目を向ける。画面に表示された名前に珍しさを覚えながら通話に切り替えた。


『春海、今自宅なの?』

「ええ、そうだけど。

 どうしたの、花江さん?」


 耳に届く声は怖ろしく硬い。あいさつ抜きの用件に返事をしながらも、言い知れぬ感情が胸を騒がせる。


『落ち着いて聞いてね。

 今、警察から電話があって、歩が事故に遭ったらしいの』

「事故? 事故ってどういうこと? 

 そんなわけないわ、それっていつの話!?」

『春海、落ち着いて!

 意識はあるらしいから』

「だって、さっき学校が終わったから帰ってくるって……ちゃんと返信もしてくれて……花江さん、うそよね!?」


 事故の二文字が頭をぐるぐると回り、体中から血の気が引く。認めたくない現実に、気がつけば大声を上げていた。花江が何度か同じ言葉を繰り返したことで、ようやく我に返る。


「ごめん。

 それで、歩は?」

『どうやらバイクで転倒したらしいの。通報してくれた人がいて、救急車で病院に運ばれたって聞いてる』

「病院は分かる?」 

『◯◯総合病院』


 財布と車のキーを掴むと、即座にリビングを出た。辛うじて玄関の施錠を思い出し、部屋に引き返す。


『春海、聞いてる?』

「ええ」

『今からそっちに向かうから──』


 なかなか回らない鍵穴に苛々しながらようやく施錠をすると、祈るような気持ちで車へと向かった。


 ◇


「すみません、ご家族の方でないと」

「だから、一目会いたいだけなんです。確かに家族じゃありませんけど、一緒に住む約束だってしてるんですから!」

「仰られていることは分かりますが、申しわけありません。

 こちらでお待ちください」


 救急処置室の前で看護師が困り果てたようにこめかみを押さえる。何度も続く押し問答に迷惑をかけている自覚はあるが、どうやっても中へ通す気はないらしい。ほんの数メートル先に歩がいるのに近づけない。もどかしさで、目の前の看護師を突き飛ばしたい衝動に駆られる。己の無力さに苛立ちながら、しかたなく長いすに腰を下ろした。



 自動ドアの音が聞こえて、血相を変えた男女がばたばたと走ってきた。


「すみません!

 娘が事故を起こしてこちらに運ばれたと聞いて! あの、本多です。歩は無事でしょうか!?」

「本多さんのご両親の方でいらっしゃいますか?」

「はい」


 明らかにほっとしたような看護師が、一瞬春海を見てから「しばらくお待ちください」と二人へ告げた。


「あなた、歩は……」

「大丈夫だ。花江ちゃんが意識はあると言ったじゃないか、大丈夫」 


 立ち尽くす目の前の二人の顔と遠い記憶が重なる。春海が立ち上がったことで、ようやく自分たち以外の存在に気がついたようだ。


「あの、覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私、何年か前にお会いした鳥居春海と言います」


 突然話しかけてきた春海を最初戸惑ったように見ていた二人だったが、おおかみ町での話をしたことで里江が思い出したらしい。


「わざわざ娘のことで出向いていただき、ありがとうございます」

「いえ、実は」


 里江の口ぶりから、付き添いと思われたようだ。否定の言葉を口にする前に、奥から呼ぶ声が聞こえた。


「本多さんのご家族でしょうか」

「はい」

「こちらへどうぞ」


 医師の声に二人が春海の横を通り過ぎていく。


「あのっ」


 片手を伸ばした春海に歩の両親が立ち止まった。なぜ呼び止められたか分からないという二人の表情に、言葉が続けられない。無言の春海を気に留めながらも、二人が目の前を足早に去っていく。後を追いたい気持ちと裏腹に両足は打ちつけられたかのように動けない。



 その場に立ち尽くす春海の肩を誰かが叩いた。顔を上げると、いつの間に来たのか光が隣にいる。


「……光ちゃん」

「ハルミさん、来てくれたんだ。

 わっ、傘持ってこなかったの?」


 ハンドタオルを取り出した光が濡れていた髪を押さえてくれる。春海の後ろ髪を整えながら、光が話しかけてきた。


「父さんたちが先に来てるはずなんだけど、どこにいるか知らない?」

「今、呼ばれて。中に」

「説明を受けてるのか。それでどうしてハルミさんはここで立ってるのさ?」 

「あたし、家族じゃないから」

「ああ、そういうこと」


 辛うじて告げた一言に、痛々しいものを見るような声が返ってくる。再び俯く顔を光がのぞきこんだ。


「関係ないよ。

 アタシが許す。行こう」


 にやっと笑った光が春海の右手を取る。不敵な言葉がいかにも光らしくて、わずかに気持ちが上向きとなる。


「あゆちゃんなら大丈夫。

 だから、そんな顔しないでよ」


 ◇


 広々とした室内の中央に急患用のベッドがあるものの歩の姿はない。右端のモニターの前では医師を前に歩の両親が真剣な表情で頷いている。説明が終ったのか、医師が会釈をして去っていった。光を見た里江が疲労の滲む顔でほほ笑む。その様子に少しだけ不安が薄らいだ。


「母さん、あゆちゃんは?」

「腕と足に擦り傷ができただけって。頭を打った可能性があるらしいから、念のため入院して様子を見るらしいわ」

「そっか、擦り傷くらいでよかったじゃん」


 軽い口調の裏で、隣から明らかな安堵が伝わってくる。


「ええ、処置が終われば会えるらしいから外で待ちましょう」


 すっかり柔らかくなった雰囲気の里江がカーテンで覆われた一角を見てから立ち上がった。



 処置室から出ると一番離れた長いすに座る。精神的な疲労が堪えたのだろう、二つ離れた席の里江が深々と息をはくのが聞こえた。「本当によかった」という呟きに隣の雅史が同じ言葉を返す。


「姉さん!」

「花江」


 息せき切った様子の花江が真っ先に里江の元へと向かった。一緒に来たのか勇太が少し遅れて現れる。目が合った勇太に片手を上げると、ぎょっとした表情で歩く方向を春海へと変えた。


「歩は?」

「念のために入院はするらしいけど、軽症で済んだみたい」  

「そうか。

 大事にならずによかったよ」


 隣に座った勇太が前を見つめたまま何度か口を開きかける。


「歩のこと、心配したろう?」

「……あたし、そんなひどい顔してる?」

「しかたないよ。おれだって同じ立場だったら、そんな顔になるさ」


 形ばかりの笑みを作ると両手で顔をごしごしと擦る。話を終えた花江が近づいてきた。


「春海、心配かけてごめんなさいね」

「やめてよ。花江さんが謝ることじゃないでしょう」


 歩を子ども扱いするような響きに思わず言い返し、すぐに自分の失言に気づいた。


「ごめんなさい。花江さんもすごく心配してたはずなのに。それと、連絡してくれてありがとう」

「いいのよ。

 春海が心配するのは当たり前だもの」


 両頬を思いきり張ってしまいたい気持ちのまま頭を下げると、花江が支えるように隣に座る。静かに寄りそってくれる花江にささくれだった心が落ち着きを取り戻す。花江だけに聞こえるように、小さな声でもう一度お礼を告げた。 

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