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第231話 繋がる、重なる (3)

 週末、春海は久しぶりに実家へと向かった。車で一時間半の道のりはドライブするにはちょうどよく、小雨模様の空も気にならない。

 手土産のドーナツを抱えて靴を脱ぎ捨てると、無人のリビングを通り抜けてキッチンに顔を出す。


「ただいま。

 母さん、ドーナツ買ってきたから食べて」

「あらあら、ありがとう。

 今、お茶入れるわね」

 

 キッチンから出てきた美代が「忘れないうちに渡しておくわ」と段ボール箱を抱えてくる。箱の中には見慣れたパッケージのレトルト食品と日持ちする食材ばかり。いつも送られてくる荷物の上にプラスチック容器に詰められたブルーベリーとすももが見えた。


「わざわざ取りに来なくても送ったのに」

「あたしが来れば送料無料でしょう。

 今日、父さんは?」

「釣りに行くって出かけたわ。夕方には戻るって言ってたけど、どうかしらね」


 毎年帰省していた連休を今年は歩と過ごしていた。帰らないと告げたときの少し驚いたような母の声に、申し訳なさを感じていたのも帰省を決めた理由の一つだ。

 美代がお茶と共にチョココーティングされたドーナツを春海の前に置く。子どもの頃のお気に入りは、いくつになっても変わらないと思っているらしい。

 

「去年までは気にもしなかったのに、春海が欲しがるなんて珍しいわね」

「テレビで見たケーキがおいしそうだったの。うちで毎年もらってるのを思い出してさ」


 全く料理をしない娘の言葉とは思えないらしく、母がなんとも言えない表情となる。

 

「春海、ケーキなら買った方が早いわよ?」

「分かってるわよ!

 あたしが一人で作るわけないでしょう。お菓子作りが得意な子と作るのよ」

「ああ、そうよね。りんごもあるけど持っていく?」

「もらう!」


 冷蔵庫を開ける母の後ろ姿に『フルーツタルトはどうですか?』と提案した歩を思い出して、頬を緩ませた。


 ◇


 試験勉強のこと、家族のこと、最近のお気に入り。母との話は途切れることない。なにげない会話に、いつの間にか心のねじはすっかり緩んでいる。

 いつか、歩との時間も同じように感じるのだろうか。今はまだ二人の時間を穏やかに過ごすのはもったいないけれど、だらしない自分の姿も未来の歩ならきっと笑ってくれる気がする。


 

「母さん、あたし付き合っている人がいるの」


 湯飲みに半分隠れた母の眉が上がった。


「前に会った、本多歩さんって覚えてる?

 彼女と一年前くらい前から付き合ってる」

「あらまあ、そうなの」


 まくし立てるように言い切っても、母の態度は変わらない。むしろ、落ち着いた様子に春海の方が戸惑ってしまう。

 

「そんな顔しなくても、反対なんてしないわよ」

「……反対されるとは思ってないけど」


 前髪を整えるふりをして顔に触れた。細く息を吐くと、今更になって心臓が大きく脈打ち始める。 

 

「さすがにお相手が女性だったとは思わなかったわね。そうそう、おおかみ町で働くことも伝えてあるの?」 

「あ、うん。

 彼女、今高校に通ってて。卒業したらおおかみ町に来てくれるの。向こうで仕事を探すって言ってくれた」

「そこまで思ってくれるならありがたいわねぇ」


 嬉しそうに呟く母をまじまじと見つめる。湯飲みに視線を落としていた美代と目が合った。


「母さんだって思うところがなかったわけではないのよ」


 予期していたはずの言葉が鋭く突き刺さる。「でもね」と続く声を静かに頷いた。


「色々考えたけど、春海が望んだことならそれでいいかなって思えてね」

「……うん」

「以前から亜衣ちゃんと話していたのよ。

 帰省のたびにお土産を買ったり、春海がホットプレートを欲しがるなんて、今までになかったことだから、きっと気の合う人がそばにいるんじゃないかって」


 知らぬ間に気づかれていた変化を指摘されて、顔が一気に熱を持った。


「隠すつもりはなかったんだけど」

「気にしなくていいのよ。たとえ打ち明けてくれなくても春海の好きなようにさせようって決めてたもの。

 それに、きちんと紹介してくれたじゃない」

「紹介って、もしかして」

「初めて会ったときよ。違ったの?」

「違わないけど……信じてくれたの?」


 勇気が出なくて、友人とも恋人とも告げれなかったあの時。せめてもの気持ちで必死で紡ぎ出した言葉は母に届いていた。信じられない思いに、声が震える。美代が当然だと言わんばかりの表情で見返してきた。

 

「自分の娘の言葉だもの。信じるわよ」


 この人が母でよかったと心の底から思う。

 頷くだけで精一杯の春海に、母の目尻のしわが一層深くなった。


 ◇


 抱えこんだ手荷物を全て車に積み終えると、サンダル履きの美代が玄関から降りてきた。

 

「忘れ物がないように帰るのよ」

「大丈夫」


 バックを確認する春海の隣で、美代がため息をつく。

  

「父さんにも連絡したんだけど、やっぱり帰ってこなかったわねぇ」

「たくさん釣れてるんでしょう。

 また帰ってくるからいいわよ」 

「そうしてちょうだい。

 今度は二人でいらっしゃいな」

「さすがに、それは……」

 

 口ごもる春海に、美代が片目を閉じてみせる。


「大丈夫よ。

 父さんも知ってるわ」

「え、そうなの!?

 もしかして今日いなかったのは、あたしに会いたくなかったとか?」

「違うわよ。でも、あんたにいい人ができたのは薄々気づいていたみたいよ」

「うそ、父さんにまで気づかれてた」

 

 絶句する春海を気にすることなく、美代が続ける。

 

「実は、春海の好きなようにさせてやれって父さんが言ったのよ。ほら、母さんが口出ししたせいで前のご縁はああなっちゃったじゃない」 

「婚約破棄したのは母さんのせいじゃないわよ」

 

 春海を気づかってのことか、母が口を濁す。沈んだ声の母に笑って首を振った。

 

「あたしがきちんと向き合えなかったことが原因だったの。彼だけじゃなくて自分自身にも。

 もう終わったことだし、気にしないで」


 後悔も痛みも残っているけれど、楽しかった記憶も確かにあった。全てを一つの出来事として思い返せるようになったのは、間違いなく歩のおかげだ。

 

「その前向さがあんたらしいわ」


 苦笑した美代が目を細める。

 

「父さんのことは心配いらないから、春海は自分のことを考えなさい。歩さんがついてきてくれるなら尚更がんばらなくちゃいけないでしょう」

「うん」


 もしかしたら母と同様、父も複雑な感情を抱えているかもしれない。それでも、父を信じてみたいと思う。


「母さん、ありがとう。

 父さんにもありがとうって伝えてて」   

「はいはい、伝えておくわ。

 気をつけて帰るのよ」


 少しだけ違う感情を込めたやりとりに、変わらない母の笑顔が応えてくれた。   

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