第230話 繋がる、重なる (2)
昼食中にかかってきた電話に席を外していた朝美が、戻ってきた。歩の弁当箱を見た朝美が、なにかに気づいたような顔をする。素知らぬ顔で止めていた食事を再開すると、しばらく口ごもっていた朝美も箸を取った。
「電話、パパさんからでしょう。莉生ちゃん、大丈夫だったの?」
「朝は熱っぽかったけど、大丈夫だったみたい。リオが外に行きたいっていうから、ちょっと出かけてくるって」
四月のスクーリング以降、朝美は莉生を夫に預けることにしたらしい。こまめに連絡を取りあう姿を、いつも感心しながら眺めている。
たわいない話から互いの打ち明け話をするようになり、歩の過去を知った朝美が「なにそれ、クソみたいなヤツらじゃん!」と激怒してくれたことで、朝美に対する信頼は深まった。学歴のコンプレックスを感じなくていい間柄だったのも、仲よくなる要因だったのかもしれない。
「朝美って、すごいよね」
「突然、なに?」
朝美がブロッコリーを摘まみながら、困惑気味に歩を見た。親しくなってから知ったのだが、朝美が時折眉を寄せるのは、よく見えないかららしい。「車に眼鏡置きっぱなしだから」という理由に、嫌われているかもしれないと心配していた気苦労はあっけなく消えさった。
「だって、莉生ちゃんを育てながらもう一度勉強するって、並大抵のことじゃないでしょう」
高二で妊娠した朝美は、もともと大学進学を目標にしており、莉生が保育園に慣れたタイミングで復学を決めたという。自分よりもよほど大変だったろう過去を想像して、朝美を尊敬のまなざしで見つめる。
「やりたいことがあるだけで、たいしたことないから」
「そうかなぁ、十分すごいことだと思うけど」
歩の賛辞に、朝美が俯きながら何度も弁当箱を持ち直す。
「歩は、ウチのこと怖いとか思わなかったの?」
「怖い?」
朝美が顔を上げないまま訊ねた。朝美の手元で、半分になったおにぎりが更に細かくなっていく。
「ウチ、保育園の行事とかリオの健診とか行くといつも遠巻きにされてさ。まあ、一人で過ごすのは慣れてるから構わないけど」
「そうなんだ」
少しだけ揺れる声に、四月の頃を思い出しながら言葉を選んだ。
「一番最初に話しかけるときは、どきどきしたけど怖いとは思わなかったよ」
無愛想で派手な容姿の朝美が、距離を置かれるのは簡単に想像できた。それでも怖いとは思えなかったのは、莉生を見る表情がいつも優しかったからだ。
「だから、今は声をかけられなくてもさ、朝美の良さを分かってる人はきっといるよ」
「……」
そう励ましたが、朝美の表情は変わらない。代わりに重い荷物を下ろしたようなため息が聞こえて、思わず腰を浮かせる。
「ごめん、あの」
「違うって。
悩んでたのがバカらしくなったの」
「そう?
それならよかったけど」
明るい声を不思議に思いながら納得すると、朝美がにっと笑った。
「あやうく歩に惚れるところだったわ」
「え、それは困る。
私、付き合っている人がいるし」
一瞬の間があって、朝美が吹きだした。珍しく大笑いする姿に、冗談だったと気づく。
「……そんなに笑わなくてもいいじゃん」
「ごめん、ごめん」
赤い顔で抗議すると子どもをあやすよう頭を撫でられ、ますますふてくされる。
「歩はかわいいなぁ。リオみたい」
「やめてよ。私、年上なんだけど」
「誤差の範囲じゃん」
「誤差でも子ども扱いする年齢じゃないよね」
口を尖らせている自分に気づいて、秘かに落ち込む。暗い気配を察した朝美が、雰囲気を変えるように両手を鳴らした。
「まあまあ、マジで悪かったって。
そうだ、帰りにアイス食べに行かん? おごるからさ」
「……別におごらなくていいよ。
アイス屋さんって大通りの向こうにあるお店のこと?」
「そう。
ウチ、クーポン持ってるの。ちなみに歩のお気に入りって、何味?」
「私、行ったことない」
「マジ!?」
珍しい物を見たかのような朝美の表情が、ぱっと変わる。
「じゃあ、ウチのおすすめ食べてみ。マジうまいから」
スマホの画面を開き、あれこれとアドバイスする朝美につられて歩も前のめりとなる。
「早く学校終わればいいのに」
「本当だね」
いつもはまっすぐ帰る道が少しだけ変わることに、わくわくする。春海に少し遅くなることを伝え忘れないように心にメモしてから、朝美に頷いた。
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