第224話 新たな年の始まり (9)
今年もよろしくお願いします。
駅前の商業施設は、初売り目当ての人で賑わっていた。普段の倍以上の人混みに辟易しながら、足早に待ち合わせ場所であるフードコートへと向かう。昼をだいぶ過ぎていたためか、テーブル席はそれほど埋まってはいない。目をこらして探すと、壁際の一番奥で、大きく手を振る光を見つけた。
「ハルミさん、おひさ」
「ごめんなさい。
遅くなっちゃった」
「全然、時間通りだよ。
誘ったのはアタシの方だし」
半分ほど減ったジュースとポテトに、ずいぶん待たせたのかもしれないと謝る。春海の視線に気づいた光が「食べる?」と差し出してきた。
「さっきまで友だちと一緒だったの。ちゃんと遊んできたから気にしないで」
「それなら、よかったわ」
以前、連絡先を交換していたものの、光に会うのは夏以来だ。近くの自販機からコーヒーを買うと、向かいあう席に座る。しなびれたポテトを摘まみながら、光が口を開いた。
「まさか、本当にハルミさんが来るとは思わなかったな」
年始のスタンプに添えた定型文程度の挨拶を、真に受けるとは思わなかったのだろう。驚きを隠そうとしない光に、苦笑を返す。
「ちょっと聞きたいことがあったの。いいタイミングだったし」
「……なに?」
歩の不在を狙っての誘いと察したのか、光の雰囲気が変わる。笑顔のままだが、目は笑っていない。
「歩とお母さんのことを、聞きたかったの。歩が、うまくいってないって話してたけど、光ちゃんからも聞きたくて」
「ああ、それね。
事実だし、気にしないでいいよ。あゆちゃんも来年からは親と会わないみたいだし、気楽に過ごせるはずだから」
ばっさりと話を切った光が、興味を失ったかのようにスマホを眺めだした。
「歩は、自分の責任だって話してた。高校に行けなくなって、お母さんが仕事を辞めることになった。迷惑をかけたって」
テーブルが、派手な音を立てて揺れる。蹴飛ばした本人は一見平然としているが、にらみつける目から彼女の怒りの深さがうかがえる。その根底にあるのが、姉を思ってのことと信じて、勇気を奮いたたせた。
「そんなわけないじゃん」
「よかった。
あたしもそう思うもの」
怒りの矛先を失ったように、光の目から怒気が消えた。にらみ合う無言の時間が過ぎ、光が根負けしたように大きくため息をついた。
「あのさぁ、さすがに他人の家の事情に踏みこみすぎじゃない?
あゆちゃんも実家から離れれば落ち着くだろうし、ほっとけばいいじゃん」
「そんなこと、分かってるわよ。
あたしも、好き好んでこんな話をしたいわけじゃないもの」
冷や汗をさりげなく拭いながら、春海が苦々しげに「でも」と続ける。
「歩から話を聞いたとき、違和感があったの。
お母さんが仕事を辞めたのは、歩に原因があるのかもしれない。だけど、それくらいで何年も関係がこじれるものかしら。親に迷惑かけるのは、誰でもあることでしょう」
高校に行けなくなった歩こそが、一番つらい立場にいたはずだ。母親なら、仕事を辞めてでも全力で守ろうとするのは当然に思える。だが、歩は今でも自分を責めていた。理解しがたいその心境に、心当たりがあるとすれば──
「歩は、相手の負担になることを恐れてる。些細なことでも、それこそ過剰だと思えるくらいに。自分の存在が重荷だとお母さんに言ったらしいけど、負担になるようなことが本当にあったの?」
自身を否定するほど迷惑をかけた──歩の性格から、そんな出来事があったなど想像もできない。本人に問いかけてはみたが「あの頃のことは、あいまいにしか覚えていない」と語っていた。歩の言葉を疑うわけではないが、もしかすると、彼女の思い違いがあるのかもしれない。
最後の一言にしかめ面となった光が、小さく舌打ちする。苛立ちを飲みこむように、音を立ててジュースを飲み干した。
「どこまで自分のせいにするんだか。
本当に、腹立つくらいお人好しだよ」
「まあ、否定はしないわね」
決して他人を悪く言わない性格は、歩の長所であり、弱さでもある。そんな性格も歩だからこそ好ましいのだが、光には甘く思えるらしい。惚気に聞こえたのか、笑って同意したのに生暖かい目で見られる。
「アタシ、あの頃は実家から離れてたから、詳しくは知らないよ」
「それでもいいの。少しでも歩のことが知りたいから」
春海の勢いに押されたように、光が気乗りしない様子で口を開いた。
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