第217話 新たな年の始まり (2)
以前表記した加田木戸市を加田木市に変更しています。
お盆にハロウィン、クリスマス、そして年末と、特別な日のスーパーは、とにかく忙しい。ひたすらバイトをこなす日々は、あっという間に過ぎていく。
「おつかれさまでした」
「おつかれさま。よいお年を」
いつもより早い閉店時間にもかかわらず、普段の五倍くらい忙しかった12月31日。元日は休みとあって、店の裏口を出るスタッフの表情は、明るい。皆、思い思いの相手と年を越すのだろう。
電車の時間をチェックして、リュックを背負う。着替えの入ったリュックは重くて、憂うつになる。駅に向かうため、駐輪場を通り過ぎたところで、同じアルバイトの男性に声をかけられた。
「本多さん、今日はバイクじゃないの?」
「はい。
このまま実家に帰るので」
「ああ、加田木市だっけ。
確かに原付じゃ遠いよね。おれ、今から、海まで初日の出を見に行くんだ」
男性が、買ったばかりの大型バイクを愛おしそうに撫でた。「おつかれさま」と片手を上げると、唸り声を上げたバイクが、走り去っていく。
好きなことに突き進めることも、自由に思える生き方も、空っぽの自分には、どちらもできないことで、ただ見送ることしかできない。だからこそ、憧れるのかもしれないと、その尤もたる存在を思い浮かべる。
──春海さん、なにしてるかな
胸元の硬い感触を撫でて、ダウンの中からネックレスを取り出した。シルバーリングのネックレスは、二人で選んだクリスマスプレゼントだ。春海とお揃いということもあって、もらってからは肌身離さずつけている。
「あたしも、歩も、離れても寂しくないように」
そう笑ってつけてくれた春海を思い出す。初めて身につけたネックレスは、大人っぽくて、少しくすぐったい。数あるデザインからシルバーリングを選んだ時は、どきりとしたけれど「かわいいわよね」と話していたから、きっと深い意味はないのだろう。
──いつか、お揃いのリングをつける関係になれたなら
「がんばろう」
今はまだ告げれない想いを、小さなリングにそっと誓った。
◇
加田木駅を降りると、南へと進む。駅の周辺はコンビニやスーパーが並んでいるが、元々が住宅街とあって民家が多い。街灯代わりに家々の明かりが照らす道を十五分ほど歩いたところで、実家が見えた。二階建ての一階部分だけが明るく、家族はリビングにいるらしい。家の前の駐車場には、いつも通り両親の車が二台停まっている。白の軽自動車に初心者マークがついているのは、光が帰ってきているからだろう。
「……ただいま」
帰ると連絡しておいたからか、ドアの鍵は掛かっていなかった。物音に気づいたらしく、すぐにスリッパの音が聞こえてくる。
「おかえり。
遅くまで大変だったわね」
「うん」
俯きがちに里江の横をすり抜けて、リビングへと向かった。テーブルのオードブルは蓋が閉じたままで、歩が帰るのを待っていてくれたらしい。ソファに寝転んでいた光が、大きく伸びをした。
「やほー」
「ご飯、食べてもよかったのに」
「母さんが、待つって言うからさあ。
あ、でも、夕方おそばは食べたから。あゆちゃんの分も残してるけど、どうする?」
「……少しだけ、もらう」
歩の返事に、後ろでスリッパの音がキッチンに向かう。話し声に気づいたのか、真向かいのドアが開き、父親の雅史が姿を見せた。
「おう、帰ってきたか」
「うん」
「どうだ、仕事は?」
「忙しかった」
「そうか。まあ、座れ」
テーブルの左端に座ると、雅史が、人数分のコップと箸を並べはじめる。
「光、これ運んでちょうだい」
「えー、やだ」
「さっきまで、ごろごろしてただろう。母さんを手伝いなさい」
「めんどくさい」
渋々といった光の声が、キッチンへと移る。光の声に、両親があれこれと口を挟むのが聞こえた。にぎやかになったキッチンから、皆が揃うのを、息を止めるように待った。
◇
四人で囲むテーブルには、食べきれないほどの料理が並んでいる。テレビからは、歌番組が流れていて、歌い手が変わるたび、光がチェックしていた。
「ねえ、あゆちゃん。
この人たち知ってる?」
「ううん」
「動画とかで流れてこない? 別のグループの人たちと、いつもごっちゃになるんだよね。あの、ほら、ふふふーんってやつ」
「ふふ、なにそれ?」
「車の上でさ、踊ってるじゃん。
あ、父さん、それ、アタシのエビだから!」
「いいじゃないか、一つくらい」
「うわっ、信じらんない。
アタシが食べるって言ってたのに」
「光、まだあるから、欲張らないの」
「ごちそうさまでした」
そばといくつかオードブルを摘まんで、箸を置いた。弾む会話を聞きながら、ぼんやり歌番組を眺める。
ふと、画面の左上に歩の好きなアーティスト名が表示されているのに気づいた。どうやら、次の出番らしい。何を歌うのか待っていると、目の前に山盛りの料理を差し出された。
「これは、歩の分よ。
ゆっくり食べなさい」
返事に困って黙っていると、横から光が口を挟む。
「さっき、ごちそうさまって言ったじゃん」
「え、そうだった?」
光の指摘に、里江がうろたえる。気まずい雰囲気に耐えれなくて、立ち上がった。
「明日食べる。ごちそうさま」
「あ、お皿は洗うから……」
重ねた皿から手を離して、まっすぐ二階を目指す。部屋のドアを閉めると、重い息を吐きだした。