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第212話 一歩、前へ (24)

 説明会の日から、二週間が過ぎた。高校への不安は消えたわけではないけれど、今週には学校見学もすることになり、少しずつでも、前に進めているという実感はある。


 バイトを終えた昼下がり、たまにはどこかに出かけようかと話ながら春海の部屋で過ごしていると、インターフォンが鳴った。


「荷物は頼んでないし、誰かしら」


 いぶかしげに振り向いた春海を急かすように、再びインターフォンが響く。


「はるちゃーん、起きてー!」

「えっ!?」


 ドアの向こうから聞こえてきた子どもの声に、春海が慌てたように玄関に向かった。 


「蓮、航! どうしたの?

 二人で来たの?」

「ママ来れないって。

 だから、ばあちゃんと来た。部屋入っていい?」

「はるちゃん、忘れたの?

 今日、映画に行く日だよ」

「ちょっと待って、航!

 蓮、それって明日の話じゃないの?」

「今日だよ。ばあちゃん、はるちゃん、いたよ!

寝てなかったー」

「はるちゃんち、見たことないもん。

 入りたい!」

「中に入るのは、絶対だめ!

 急いで支度するから、ちょっとだけ待ってて」


 代わる代わる飛んでくる質問を器用にさばく春海に感心していると、春海が困り顔で戻ってきた。


「ごめん、歩。

 あたし、甥っ子たちと約束した日、勘違いしてたみたい」

「そうだったんですね」

「本当、ごめん!」

「私は全然構いませんよ」


 家族と出かけるという約束は、事前に聞いていたため、それほど驚くことはなかったが、このまま立ち去るのはさすがに失礼でしかない。


「あの、よかったら、帰る時ご家族の方にご挨拶してもいいですか?」


 いきなり「恋人です」と名乗るのは、尚早だろうと「もちろん、友人として」と付け加える。春海が苦い顔で、何かを言いかけて、口を閉ざした。


「ごめん」

「いいえ。

 ほら、春海さん、急ぎましょう」


 待ちきれないのか、ドンドンと叩かれるドアを笑って指さすと、少しだけ硬い笑顔で、春海が頷いた。


 ◇


「お待たせ」

「はるちゃん、おそい!」


 歩の姿を確認した途端、ふくれ面だった二人の男の子が、目を丸くする。


「こんにちは」


 春海の後ろから現れた歩に驚いたらしく、少し離れた場所に立っていた女性の後ろへと隠れていった。


「あんたたち、さっきの元気はどうしたのよ」


 苦笑する歩の隣で、春海が呆れたように肩をすくめる。


「あら、お友だちがいらっしゃったの?

 それならそうと、言ってくれればよかったのに」

「いきなり来たのは、そっちでしょう。

 彼女、本多歩さん。あたしの、その、大切な人」


 春海の紹介に嬉しさを感じながら、五十代くらいの細身の女性と向き合う。心臓が飛び出そうな緊張感と共に、深々と頭を下げた。


「はじめまして、本多歩です。春海さんには、いつもお世話になっています。

 よろしくお願いします」

「あらあら、ていねいにありがとうございます。春海の母の美代です。いつも娘がお世話になっています」


 どうやら友人と認識されたらしく、あいさつは、あっさりと終わる。安堵と残念さの混じった気持ちは同じだったのか、隣の春海がなんともいえない表情で肩の力を抜く。


「母さん、日にち間違えてたでしょう。

 あたし、明日って聞いたけど」

「春海の聞き間違いでしょう。

 ちゃんと今日って言ったわよ」

「そうだった?」

「そうよ」


 納得してない表情のまま、春海が鍵をバックにしまう。そろそろと近づいてきた子どもたちが、春海を見上げた。


「その人、はるちゃんのお友だち?」

「そう、歩さんよ。

 歩、甥っ子の蓮、こっちが弟の航」

「こんにちは、蓮くん、航くん」

「こんにちは」


 大きな丸い目が印象的な蓮と航は、小学校低学年くらい。身長差はあれども、そっくりな顔立ちが双子のようだ。春海から何度か聞いたことのあるやんちゃぶりと、先ほどのやり取りを思い出して、頬が緩む。


「すいません、長々とおじゃましました。

 春海さん、また」

「あの」


 一礼して立ち去ろうとすると、美代に呼び止められた。


「これから、映画に行くつもりですが、よろしければ、一緒に行かれませんか?」

「いえ、さすがにそれは……」

「実は、この子たちの母親の分が余っていまして。キャンセルするのも面倒ですし」

「そうね。

 歩、一緒に行きましょう」


 名案とばかりに、春海の明るい声が続く。子どもたちを見ると、戸惑いながらも、嫌がる様子ではない。どんな形であれ、春海と共に過ごせるなら嬉しいが、本当に迷惑ではないだろうか。

 春海にぽん、と背中を押され、思わず首を縦に振った。


 ◇


「今日は、ありがとうございました」

「気をつけてね」

「バイバイ」


「ご家族の時間を、邪魔したくないので」と、一足先に別れた歩を見送る。ぎこちなかった雰囲気も、映画に感動した歩が号泣したことで、蓮と航から「泣き虫のお姉さん」と認識されたらしい。子どもたちと距離を縮めた結果、話し好きの美代とも会話は弾み、別れ際は和やかな雰囲気と変わっていた。


 振り返った歩が、ぺこりと頭を下げる。同じ場所に立っていては、歩が気を使うだろうと蓮と航の手を引き、近くの商業施設へと歩きだした。休日でにぎわう商業施設の中を進み、一際明るく装飾された子ども向けのエリアを目指す。きょろきょろと動いていた頭が、まっすぐ前を見る。繋いだ手が、ぐっと引っ張られた。


「はるちゃん、あそこ!」

「ねえ、早く!」


 待ちきれないとばかりに強く引く手に、苦笑しながら「先に行っていいわよ」と告げる。駆け出しそうになる後ろ姿に注意を添えて、母の隣に並んだ。あふれんばかりのおもちゃに目を輝かせる甥っ子たちは、あれこれ言っても、やはりかわいい。 


「苦労が多いのに、いい子ね」

「そうでしょう」


 あたりさわりのない会話から、いつしか移行した歩の身の上話は、大分ぼかしてあったものの、インパクトが強かったらしい。二人きりを狙ったかのような母の感想に、子どもたちから目を離さずに同意する。そういえば、母から同情され、大いに励まされた歩は、始終恐縮していた。母に気づかれないよう、困り顔で助けを求める歩の顔を思い出して、また笑いそうになる。


「春海の方が年上なんだから、困ったときは力になってあげるのよ」

「分かってるわよ」

「どうかしら。案外、歩さんが、しっかりしてそうよね」

「……」


 歩への信頼というより、娘の性格を知っているからこその言葉だろう。否定できない心の内を察したのか、美代が呆れたように春海を見た。


「ところで、春海。部屋は、散らかしてないでしょうね?

 服も本も積みっぱなしとか、前みたいな汚い部屋に人を招くことはないと思いたいけど。そうそう、ちゃんとご飯は食べてるの?」

「部屋は掃除してるし、きちんと三食、野菜も食べてるわよ」

「あら、珍しいこともあるじゃない」

「そんなの当たり前でしょう。あたしだって、いつまでも子どもじゃないんだから」

「あんたの言う当たり前が当たり前だったら、わざわざ確認してないわよ」


 母の察しの良さに、内心舌を巻く。その全てに歩が関わっているのは、言わないでおこうと、心に誓った。春海を半眼で見ていた母の表情が、ふっと和らいだ。


「元気でやってるなら、よかったわ」


 朗らかな母の笑顔が、やけに胸にしみた。

 母は、婚約破棄後、恋愛の話題を一切持ち出さなくなった。無言の気づかいをうっとうしく感じ、振り払いたい衝動に駆られたこともあった。だからこそ、


 もう傷ついてない。今度こそ、前を向ける。


 そんな一言を添えて、ようやく掴んだ新しい恋を告げたなら、母は、父は、喜んでくれるだろうか。


 母も父も、決して歩を傷つけるようなことはないと信じている。その一方で、打ち明けたときの反応が、想像できなくて怖い。自分では気にすることのなかったはずなのに、『同性』というたった一つの部分だけが、重い足かせになっている。


「はるちゃん、これ見て!

 ほら、カッコいいでしょう」

「へぇ、すごいわね」

「はるちゃん、これ全部欲しい」

「航、あんた、どれだけ持ってくるのよ。

 おもちゃは、一つだけ!」


 歩との関係を打ち明ける必要はないのに、なぜか、気持ちはもやもやとする。葛藤を表に出さないようにして、両手いっぱいにミニカーを抱えた甥の後を追った。    

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