第206話 一歩、前へ (18)
触れるだけのキスが、不意に止まる。目を開けると、春海が鼻先を触れあわせたまま、こちらを見ていた。
「ねえ、歩。
あたしを抱きたい? 抱かれたい?」
ストレートな問いかけに、言葉を詰まらせる。そっと春海をうかがうと、自分の反応を楽しむように見つめている。余裕ある態度に、改めて経験の差を思い知らされる。
「……して、ほしいです」
「どんな風にしたいとか、ある?」
「……」
「あーゆむ」
軽く頬をつつかれ、下がりつつあった視線を上げる。柔らかい表情に、止めていた息を思い出した。
「怖くなったら、教えて?」
目を見て頷くと、春海にそっと抱きよせられた。優しい手つきに、恐る恐る身を委ねる。春海の甘い香りに、張りつめていた緊張が、ゆっくりと愛情へと変わっていく。
首筋に両手を差し込まれ、唇を塞がれた。手の位置が違うだけで、普段よりずっと近くに春海を感じる。夢中で唇を重ねていると、春海の指先が首筋を撫でた。肩から体のラインを探るよう背中へと移り、腰にたどり着く。明らかに意志を持った手つきに、怖さとも、くすぐったさとも違う感覚が生まれる。思わず身構えると、キスが深くなった。ダイレクトに伝わる熱に、意識が、瞬く間にのみ込まれていく。
息苦しさに顔を離すと、シャツの裾を掴んでいた指を、絡めとられた。春海が見せつけるように持ち上げ、手の甲に唇を落とす。向ける眼差しに、なぜか腰が震えた。
◇
自分に覆いかぶさる春海を、幾度想像しただろう。いざこうして、実物を目の当たりにすると、その破壊力は想像以上だった。見下ろす春海が、耳に髪を掛ける。何気ない仕草に、心拍数がはね上がった。
春海の触れ方は、どこまでも優しかった。キスを繰り返し、服越しに体をゆっくりと触れていく。指先に魔法がかかっているのか、触れられた部分が熱を帯びていく。やがて、服を脱がされる頃には、抵抗する気力さえなかった。
「あたしも、脱いでいい?」
何も纏わない体は、ひどく心細い。シーツにくるまりながら小さく頷くと、春海が自分のシャツに手をかけた。夜目に白いわき腹が飛び込み、慌てて目を閉じる。衣擦れの音が生々しくて、息を押し殺した。
閉じた視界に、春海が寄り添う気配を感じた。
「歩、おいで」
両手を引かれて抱きあうと、心臓が止まりそうになった。初めて触れた素肌は、しっとりと柔らかく、体の温かさを直に伝えてくる。二つの胸が、腹が、太股がぴたりと重なり、思わずうめき声をもらす。互いの心までも、触れているようだ。
心の奥から、温かな感情がわき上がってくる。
「……すごい」
呟きが聞こえたらしい、春海が小さく笑いながら同意する。自分の心が追いつくのを待っていてくれた春海に、また、好きの気持ちが、膨らんでいく。
──もう一歩、前へ
「春海さん、キスしたい」
返事代わりに押しつけられた唇は、弧を描いていて、自然と歩の口元もほころんだ。合わせるだけの唇に、これ以上にないくらいの幸せを感じて、キスを受けとめた。
第207話はこの続きとなりますが、内容としてなろうのガイドラインに抵触する可能性があるので、ムーンライトノベルズに掲載します。
なお、第207話を読まなくても、第208話への話は繋がります。
詳しくは、本日更新予定の活動報告『灰色第207話について補足説明です』をごらんください。
活動報告リンク
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