第205話 一歩、前へ (17)
夜も遅いからと、話を切り上げることにした。布団を敷いていると、着替えを済ませた春海が戻ってくる。
「歩のお家にお泊まりするの、久しぶりな気がする」
「そうですね」
明るい声とリラックスした様子に、どうやら心の重荷は軽くなったらしい。布団にもぐり込んだ春海を確認して、電灯の紐を引いた。
「消します」
「いいわよ」
豆電球の明かりの下、掛け布団の間から春海の視線を感じて、布団の隅に移動する。
「どうして逃げるのよ」
「なんだか、緊張しちゃって」
「あたしが、追い出したみたいじゃない。ちゃんと入ってよ」
笑い声に引き寄せられ、布団の中に入る。掛け布団が背中まで届いたことを確かめた春海が、歩と頭を並べる。
「歩、ありがとね。
二人で話し合おうって言ってくれたこと、すごく嬉しかった」
「以前、春海さんが、どんなことでも相談してほしいって言ってくれたじゃないですか」
あくまで、春海の真似だと言っても、春海の表情は変わらない。
「あたしと同じ気持ちでいてくれるって思えたから」
「……きっと、私の方が重いですよ」
三年分の片思いに加えて、両思いとなった今も募り続ける好意が、同じ熱量とは思えない。トーンの下がった声に、春海がくすぐったそうに目元を緩める。
「そういえば、その、歩は、高校は大丈夫なの?」
「しばらくは、バイトに専念してから申し込もうと思ってます」
「ええと、それもあるけど、そっちじゃなくて」
お金の問題かと答えたものの、どうやら違うらしい。迷うような間があった。
「あたしと高校の文化祭に行った時、真っ青になってたから」
傷口に触れるような声に、春海の不安を察した。何年も前のことを気づかってくれる春海に、胸が熱くなる。
「春海さん、覚えててくれたんですね」
「当たり前でしょう」
「すごく嬉しいです」
穏やかな声に、嬉しさで目が潤んだ。涙に気づいた春海が、心配そうに見つめる。
「思い出すの、辛くない?」
「今、こうして春海さんと過ごせてますから」
毎日が幸せで、明日が来るのが楽しみで、過去を思い出す時間なんてない。そんな気持ちを込めると、春海がようやく笑った。
「高校のこと、あたしも応援する。
でも、無理しなくていいからね」
「ありがとうございます」
会話が途絶え、急に部屋が静かになった。春海の眼差しに、なぜか心臓が早鐘を打ちはじめる。
「歩、さっき同じ気持ちかどうかって話したでしょう」
戻った会話を不思議に思いながら、頷いた。
「確かめてみない? 二人で」
何一つ具体的ではないのに、不思議と言葉の真意が分かった。甘く、柔らかい声が、胸に落ちる。
春海との間に感じていた見えない糸を、今こそ払い除けようと思った。切らないようにと触れずにいたけれども、もしかすると、ずいぶん前から、もう必要なかったのかもしれない。
ほんのわずか、指先が絡まる。
お互い無言のまま、唇を重ね合わせた。繋いだ手が、初めて背中へと回った。