第200話 一歩、前へ (12)
自然災害の描写があります。
本日は二話更新しています。
第199話からお読みください。
雲一つない空が、高々と広がっている。少しずつ日常を取り戻しつつある、おおかみ町の一角で、春海は、浸水被害のあった家にボランティアとして来ていた。昔ながらの高床式の家が並んでいたにもかかわらず、この一帯で浸水被害が多かったのは、道路より下に位置する立地のためだ。車が一台やっと通り抜けれるほどしかない私道の両脇には、民家が連なっている。荷台を空にした軽トラックが戻ってくると、それぞれの勝手口や縁側から、泥にまみれた棚やごみ袋が投げ込まれていく。
「ばーさん、せっかくやから、要らんもんは捨てぇよ」
部屋からあふれる物の多さを見かねて、縁側から、家主の女性に大きな声が投げかけられる。手伝いに来ているのは、地元の消防団だ。顔見知り程度とはいえ、どこの家も同じような状況なのだろう。片付ける手つきに遠慮がない。
壮年の男性の声に「ええ、ええ」とあいまいに頷いたことで、了承を得たと思ったらしい。包装紙の束や積み上げられた菓子箱と共に、泥だらけの小さな和箪笥が、ごみ袋へと落とされる。部屋の隅で、女性が口を動かしたが、聞こえなかったようだ。隣の部屋の床を拭いていた春海が、手を止めた。
「あ、待ってください!」
「あぁ?」
凄む声に笑顔で返して、女性の正面に回る。指をさして、ゆっくりと口を動かした。
「斉藤さん、捨てたら困るものがあるの?」
「ええ、ええ。あたしの嫁入りにもらった和箪笥でねぇ。あの時は、まだ」
「和箪笥なんて、あったか」
男性が、ごみ袋をかき回し、和箪笥を取り出した。話に相づちをうちながら、ハンドサインで感謝を伝えると、昔話はごめんだとばかりに向ける背中に、声をかける。
「明後日、息子さんがいらっしゃるみたいです。片付けは、その時にでも、と」
「それなら、ここは終わりか」
「はい」
片付けながら得た情報を伝えると、男性の声から険が取れる。振り向いて、もう一度女性へ確認する。
「斉藤さーん、他に持っていってもらう物はない?」
「ええ、ええ。
もうずいぶん綺麗になったよ」
畳を上げたため、部屋の荷物は奥に積み上げられたままだ。細々した物を片付けるなら、息子の方が気を使わずにすむかもしれない。
「じゃあ、ばーさん、とりあえず終わるからな。あとは、大丈夫な? 寝るとこはあるのか?」
「ええ、ええ、本当に助かったで。
ありがとうございました」
「おう、息子さんによろしくな」
深々と両手をつく女性に見送られ、男性がさっさと出て行く。隣の家へと手伝いに向かったのだろう、声が聞こえてくる。
「みんな、忙しい時なのに。悪いねぇ」
感謝と申し訳なさが半分ずつの声が届いた。ボランティアで来た自分とは違い、消防団が召集されるのは強制に近い。交代制で一日ずつの出動とはいえ、負担は決して少なくないはずだ。
「本当に、ありがたいですよね」
否定も肯定もできずに、相槌を打つ。瞬く間に終わった片付けに、自分の出番はほとんどなかった。無言で畳のへりをなぞっていた女性が、顔を上げた。
「あんたも、よかよ。十分、片付けてもらったで。本当に、ありがとうね」
「あ、いいえ。私は、もう少し時間がありますから」
座り込む女性に和箪笥を渡し、床みがきの続きに戻る。
「あんたの家は、大丈夫だったね?」
「はい」
「それなら、よかったねぇ」
心からの声に、返す言葉がない。視線を下げたまま、動かす手に力をこめる。しばらく、床を拭く音だけが響いた。
「息子に、一緒に住まんかって言われたんよ。家も古いし、勝手も悪い。一人暮らしは何かと心配やからて」
小さな声につられて、振り返る。膝にのせた和箪笥の泥を拭う女性が、力ない笑みを浮かべている。
「優しい息子さんですね」
「そやねぇ」
お世辞ではない感想に、女性の表情は変わらない。
「本当はな、この町に帰ってくるって、言うとったの。でも、帰らんでええって断っとるのよ」
「どうしてですか?」
先ほど、息子は都内で電車の運転士をしていると聞いたばかりだ。目の前にぶら下がった答えを、やるせない気持ちで訊ねた。
「こんな田舎に帰ってきても、何もないでな。あの子には、好きなようにさせてやりたいんよ」
喉元まで出かかった否定の言葉は、結局言えずじまいだった。
◇
夕暮れを背に、集合場所の役場の駐車場へと戻った。ボランティア活動は、今日で最終日とあって、戻ってきた人々の表情は明るい。作業終了のミーティングのあと、恒例となった締めの挨拶を町長が行う。今日は、追従するように、横に作業着姿の人が並んだ。見知った顔から察するに、役職の人たちが並んでいるようだ。
「これにて、復旧活動は終了となります。
本日まで、たくさんの方々のご協力をいただきました。本当に、ありがとうございました」
町長の一際大きい声に、横一列で「ありがとうございました」と声が重なる。どこからか拍手が聞こえ、ばらばらとねぎらいの言葉が飛んだ。疲労感を心地よく感じながら、バックを背負い直した。周りに「お疲れさまでした」と声をかけ、車へと向かう。
「よう、お疲れ」
背後からの呼びかけに、足が止まった。