第199話 一歩、前へ (11)
「え、こっちの講座も駄目なんですか?」
電話先からの回答に、思わず声が大きくなった。春海のアドバイスを元に選んだ、パソコン基礎とビジネス基礎の講座は、二つとも既に募集定員に達していたらしい。想定外の展開に混乱していると、電話の向こうから声がかかる。
「ごめんなさい。大丈夫です。ええと、その時はまた電話します。はい、ありがとうございました」
半ば放心しながら、通話を終えた。同じ講座を受講するには、三カ月待たねばならない。ようやく決めた未来が、再び振り出しに戻ってしまった。
「どうしよう」
途方にくれたまま、一人、部屋の中に立ち尽くした。
◇
あり余る時間をつぶすように、歩は、郊外にあるホームセンターまで足を伸ばした。特に目的はなかったが、普段は見慣れない大型家電やスポーツ用品を眺めているだけで、沈んだ気分が紛れる。足を休めようと、目についたベンチに腰を下ろした。ベンチに沿って並んだ大型テレビからは、お昼の情報番組が流れている。
三カ月待って、職業訓練に通えばいいのかもしれない。その間は、単発のバイトをこなせばどうにかなるだろう。
きちんと働いて生活できれば、それで十分だと思っていた。でも、このままでいいのか、という不安は拭えない。何もない未来は、いつだって不透明だ。
『次のニュースです。俳優の◯◯さんが、今月、高校に入学したそうです』
季節外れの話題に、テレビに視線が向いた。画面には、歩も見たことのある男性の笑顔が、コメントとともに映っている。
『還暦を迎えた今、もう一度自分を見つめ直し、後悔ない人生を送りたいと、高校の再入学を決意しました。卒業に向けて、一生懸命がんばりたいと思います』
『◯◯さんは、都内の通信制高校に通うそうで、今後しばらくは、学業を優先するということです』
カメラが切り替わり、コメンテーターへと会話が移る。身振り手振りで話す言葉は、既に耳に入ってなかった。
「高校……」
通信制高校の存在は、知っていた。引きこもっていた時に勧められたことがあったから。その時は、自分を無理矢理外に出そうとする手段にしか思えなくて、全力で拒絶した。
ただ、今なら
職を探すのに何度も『高卒以上』という壁に当たった。『学歴不問』の職種でも、履歴書だけで断られたことがある。面接の態度に問題があったのかもしれない。志望理由が分かりづらかったのかもしれない。そう納得せざるを得なかった過去がよみがえる。その一方で、大きな不安がのしかかる。今更ながら勉強についていけるか、三年間という長期間の束縛。なにより、年下の同級生との高校生活。
それでも、と諦められないのは、春海を思い浮かべてしまうから。春海が、学生時代の話をしたことはない。自分への気づかいをありがたく思う一方で、もっと春海に近づきたいし、踏み込んでほしいとも願ってしまう。
意を決して、スマホを取り出した。『通信制高校』で検索すると、いくつかの項目が出てくる。緊張で冷たくなる指先を自覚しながら、慎重に指を動かしていった。
◇
一時間ほどベンチで過ごしてから、アパートへと戻った。靴を脱ぎ捨てて、スマホを取り出す。バッテリー残量の警告音に気づいて、ようやく手を止めた。どのくらい見続けていたのだろう、いつの間にか、室内は暗くなっている。
部屋の明かりをつけると、投げだしたスマホの前に再び腰を下ろした。
通信制高校を調べて分かったことは、毎日学校に通う必要がないこと。課題のレポート提出が主で、学校によって違いはあれども、週に一度から年に一回通学すればいいだけらしい。そのため、社会人や持病がある人など、時間に制約がある人や、自分の時間を優先したい人など、実に様々な理由で選んでいるようだ。
学校に通うことに不安はあったが、毎日でないなら、なんとかなりそうな気はする。仕事との両立も可能に思える。ただ、問題は
「やっぱり、お金かぁ」
どのサイトを巡っても、授業料はそれなりに高額だった。現状の収入では、とても続けられない。おしゃれな制服や、にぎやかな学校行事、有名大学への進学実績など、カラフルな画面を眺めていると、やはり遠い世界のことのように思えてくる。
「別に、大学進学とか、明るい学校生活とか目指してるわけじゃないのにな」
そっと、ため息をこぼして、サイトを閉じた。
18時にもう一話更新します。