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第198話 一歩、前へ (10)

 ハローワークの自動ドアから一歩入ると、あまりの混雑ぶりに足が止まる。世間には、これほど仕事を探す人がいるのだろうか。自分より、よほど簡単そうに仕事が見つかりそうな人たちの間をすり抜け、五番カウンターの順番を待った。


「雇用保険っていうのが、あるって聞いたのですが」


 カウンター奥の職員に、おそるおそる告げる。聞き取れなかったらしく、反応のない表情に、やや大きめの声で言い直した。


「あの、台風で職場が被害にあって、仕事がなくなったのですが、」

「ああ、失業されたのですね。分かりました」


 言いにくい単語をあっさりと持ち出され、言葉に詰まった。身を縮めるように座る歩の前で、職員が手慣れた様子で書類を取り出した。


「以上で説明となります。本日、必要書類をお持ちであれば、このまま手続きを進めますが」

「あ、はい。お願いします」


 職員が受けとった書類を確認する間、先ほど説明を受けた紙にそっと視線を向けた。金額は少ないが、当面の生活にお金がもらえるのはありがたい。ひとまず大きな不安が減ったことを、安堵する。この制度を教えてくれた春海には、感謝しかない。


「次は、どのような仕事をしたいとか決めてますか」


 職員が、ファイルに書類をまとめながら訊ねてきた。「差し障りない範囲で構いません」と続けたが、明らかに答えを待っている。


「いえ、特には。私、資格とか全然持ってないので」

「そうですか」


 平坦な返事と共に、視線は再びパソコンに向けられた。表示された登録情報を確認しているらしい。空欄ばかりの内容に平謝りしたくなる。


「よろしければ、こちらを検討されてみませんか」


 受けとったのは、求職者支援訓練と書かれたパンフレット。ハローワークと企業が連携して、毎月、資格取得に向けた講習を開催しているらしい。医療、建設、事務など様々な分野の募集があり、何よりも、受講料無料の文字に、釘付けとなる。


「参加されるなら、お早めにお電話ください」


 前のめりな歩に、そのままパンフレットを渡してくれる。前回の職員とは違う、親身な対応に感謝して、ハローワークを出た。


 ◇


「へぇ、こんな制度もあるのね」


 ベッドに背を寄せて、春海が、興味深そうにパンフレットをめくっている。


「春海さんのお勧めって、あります?」


「そうねぇ」と考える素振りを見せた春海が、すぐに顔を上げた。


「歩は、何かやりたいことはないの?」

「私ですか?」

「そう。折角だし、自分のやりたい仕事に挑戦してみたら?」


 様々な職種が並んだパンフレットを眺めながら、自分のやりたいことを考える。黙ったままの歩を気にして、春海がのぞき込んだ。


「別に気負わなくていいのよ。ちょっと興味があるとか、子供の頃に憧れてたとか」

「……分からないです」


 絞り出すように、返事をする。子供の頃、将来の夢を聞かれたことは何度かあった。その度に、うまく答えられなかったのを思い出す。大人になってからは、日々の生活に追われ、やりたいことなど考えたこともなかった。


「そんなに暗い顔しないの。なくても、別にいいじゃない」


 明るい声に、顔を上げる。


「やりたいことがないなら、どんな仕事もやれる可能性があるってことでしょう」

「そう、でしょうか?」

「そうよ」


 疑問符を浮かべる歩を、春海が押し切るように続ける。


「歩は若いし、やれることは無限にあるわよ」

「若いって言われても。もう大人ですし」

「大人でも、十分若いわよ。それに、今、見つからなくても、いつか見つかるかもしれないわ。あたしも協力するから、二人で探してみよう」

「はい」 


 歩の明るくなった表情に安心したように、春海がパソコンを持ち出してきた。起動中の画面を眺めながら、思いついた疑問を口にする。


「春海さんも、やりたいことってありますか?」

「……そうね。

 あるというより、あった、かな」


 聞こえてきた穏やかな声に、はっとする。画面に向ける春海の表情は、変わらない。 


「あの頃は、毎日が必死で、後悔ばかりだったけど、やりがいを感じたのも確かで。あの場所にいたのが、短い間だったから、余計にそう思うのかもしれないわね」 


 出かけた先、新聞の記事、ネットの情報。様々な場所で、目新しいものがあるたび、春海はメモや写真を撮っていた。いつか、何かの参考にするかのように。


「おおかみ町に、戻らないんですか?」

「戻らないわよ」


 春海が、笑った。


「あたしは、一度逃げ出した人間だもの。手伝いに行くのも、償いに近い感覚かな」


 どこか諦めた表情のまま、それ以上の話を打ち切るように、春海がキーボードを触った。 

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