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第13話 鳥居春海 (4)

 キーン、コーン、カーン、コーン──


 午後五時を知らせるチャイムが校舎内にゆったりと鳴り響き、パソコンから顔を上げた。

 大きく腕を伸ばし、首を回すと、鈍い痛みが心地好い。昼からは集中出来たため、随分仕事が捗った。今日も良く頑張ったなぁ、と自分を誉めながら、何か忘れている様な気がしてぐるりと見回す。


「ああっ!! そう言えば、クッキー忘れてた!」


 部屋の奥に置かれたテーブルの藤かごを見つけて駆け寄ると、あれほど入っていたクッキーは数枚しか残っていなかった。


「あれ?……いつの間にかすっごく減ってる」

「そりゃあ、皆で食べたから。それ春海さんの分ね」


 藤かごの前で立ち尽くす春海に、書類を整理していた勇太が何でもない口調で告げる。


「はあ!? いつ!? 私聞いてないわよ!?」

「オレたちちゃんとお茶に春海さんを誘ったよ。だけど、春海さんが『今いいとこなの。後で食べるから残してて』って言ったじゃない。覚えてないの?」


「………全然覚えてない」


 勇太の言葉に美奈が困ったように頷いているのを見れば、どうやら事実らしい。そう言えば、途中で誰かに何か言われた気がしたが、パソコン画面から目を離さないまま適当に頷いた気がする。


「仕方ない。一人でお茶するかぁ」


 マグカップにインスタントコーヒーを淹れ、どっかりとソファーに座ると、藤かごを膝上に引き寄せる。


「はぁ、癒される~」


 コーヒーをすすりちびちびとクッキーを噛っていると、美奈がデスクを片付けながら春海の方を向く。


「あの店員さん、お菓子作り上手なんですね」

「そうねぇ、私も初めて知ったわ」


「私と同い年くらいですか?」

「う~ん、どうだろう。そう言えば、歩ちゃんの事ってあまり聞いたことないや」

「そうなんですか」


 美奈に答えながら再びクッキーを一つ摘まみ、歩を思い浮かべた。


 170センチはあろうかという身長と、化粧っけのない顔に、無造作に束ねただけの黒髪。

 普段の仕事振りは丁寧で実直さを感じるものの、うつむき気味の表情はいつもどこかぎこちなくて、社交的な花江とは正反対な印象があった。そのくせ花江と話しているときにはちらちらとこちらを窺っていて、その様子が人見知りの子猫が構って欲しくて視線を向けている様に見えてしまい、猫じゃらしを揺らすように時折声を掛けるものの、警戒心が強いらしい彼女からは未だに名前すら呼んでもらっていない。


 そう言えば『HANA』に二ヶ月程通っているものの、歩という名前と花江の姪ということだけで、彼女の事は何も知らない。


「お礼のついでに色々聞いてみようかしら……」


 独り呟いて藤かごに手を伸ばせば、かごの中のクッキーはいつの間にかなくなっていた。


 ◇


 火曜日に行った事もあり、春海が再び『HANA』に顔を出したのは土曜日の昼下がりだった。


「あら、いらっしゃい」


 営業時間終了まで三十分を切った店内に客はおらず、花江が一人テーブルを拭いている。春海が普段とは違う曜日に現れたことに意外そうな表情をしながらも、いつもの席に座った春海を笑顔で出迎えた。


「花江さん、まだご飯大丈夫?」

「ええ、良いわよ」


 お冷やを差し出した花江がそのまま調理を始めるらしく、お湯の入った鍋に乾麺を投入したのが見える。今日のメインはパスタらしく、タイマーをセットした後、皿を取り出し小鉢を盛り付ける。日頃調理台付近から殆ど動かない花江がやけにあちこち移動するのを眺めながら、いつまで経っても歩が姿を見せない事に思い当たった。


「あれ、歩ちゃんは?」


「歩ならさっき部屋に戻ったわ。

 今日は早く上がらせたの」

「え、何か用事?」

「ううん、大した事じゃないのよ」

「ふ~ん」


 花江の曖昧な説明に納得したわけではなかったが、それ以上追及するのは止めて隣に置いたバックに視線を移す。歩への土産として包装紙にくるまれたパウンドケーキを持ってきたのだが、不在ならば仕方がない。日持ちはするものの、来週渡すには少し遅いだろうと花江に預けることにした。


「花江さん。これ、歩ちゃんに渡してくれる?

 この間送ってもらったお礼に、お土産買ってくるって約束してたの」

「あら、わざわざありがとう」

「中身はパウンドケーキなんだけど、ドライフルーツとか大丈夫かしら?」

「ええ、アレルギーはないし、お菓子は食べるのも作るのも好きなのよ。きっと喜ぶわ」


 両手で受け取った花江が嬉しそうに笑うと小さくアラームが鳴った。パウンドケーキをそっと置いた花江が茹でたパスタをざるに取り上げ、そのまま氷水で冷やす。二人きりの店内はいつも通りのはずなのに何となく物寂しくて、会話も途切れがちになっている。


「……何だか、歩ちゃんがいないだけでお店の中が随分静かね」

「そうね。

 あの子何も言わなくても自分から結構色々してくれるから、いないと結構バタつくのよね。こういう時本当にありがたみを感じるわ」


 身内贔屓を隠そうともしない花江の賛辞に思わず吹き出す。


「本当に花江さんって、歩ちゃんが好きよね」

「だって歩がお腹にいる頃から見てたのよ。それは可愛いに決まってるわ」


 歩の事となるとベタ誉めとなる花江に苦笑しながら、カウンター越しに差し出された料理を受け取る。梅、ちりめんじゃこ、もみ海苔、大根おろしが盛られた和風パスタと小鉢には細切りのパプリカとキュウリが入っていて、味噌汁の代わりはミネストローネだ。


「食後にコーヒーは?」

「勿論、お願いします」


 自分だけの特別サービスに素直に甘えると、早速フォークを取って、最初の一口に取りかかった。

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