雨音ちゃんは、かさをさす
曇りガラスの向こう側に虹は見えない。
いつまでも続くこの長雨はいつ止むのだろうか。
傘もささずに佇んでいる私の視界はずっと歪んだままだ。
眼鏡に落ちる水滴が世界の内外問わず私を侵食する。
止まない雨はない。
そんなのは、嘘だ。
朝、登校するのは憂鬱だ。
今日もまた雨が降っている。
少しでもその気分を晴らそうと、空を覆う鈍色を晴らそうと、私はお気に入りの傘を手に取る。
今はいないお祖母ちゃんからの贈り物。深緑色の地味で頑丈な、私には少し重くて少し大きい男性用の傘。
もう大分古くなっていて、力を込めないとその傘は開かない。
よい、しょ。
いつものように腕に力を入れて傘を開く。
視線を上げる私の視界が緑に染まる。その緑にポツポツと音が弾ける。雨音が染み込んでくる。
ポツポツポツポツ、ああ、いやだなぁ。
通学路をゆっくりと、大きめの傘で身体を隠すように私は歩く。背筋を丸めて、俯いて。
私は地面を見つめながら小股で歩く。歩道に跳ねる雨を見つめながら、溜まる水面を踏みながら。
すれ違う人たちが、通り越す人たちが、私のことを訝しげに見ている。無遠慮で好奇心を含んだその瞳がとても嫌らしく感じる。
俯いていても、私はその視線をとても敏感に感じることができる。自意識過剰だろうか。私は微かに顔を上げ、傘と現実の隙間から外側を覗き込む。
ああ、やっぱり。
私のことを蔑んでいる。私の存在を卑しめている。
鈍色に濁った曇天のような数十、数百の瞳が私に向けられていた。その瞳の一つ一つが、私を嘲笑っていた。
私の全身は大きな傘に守られることなく、濡れそぼっていた。
「あ、雨女」
校門を過ぎた私にかけられたのは、そんな声。
「おらっ」
どんっ、と私は大きく突き飛ばされた。その衝撃で私の手から傘が零れ落ちる。
私は躓き「バシャ」水溜りの中に倒れ込んだ。
「よっ、パース」
顔を上げると、私の傘が開いたまま投げ飛ばされていた。私を突き飛ばした男子生徒が放ったその傘が高く舞い上がる。
落下傘のようにふわふわとは落ちてこなかった。傘の先端が傾きバランスを崩したそれは、斜めになって地を跳ねた。
「あぶねーよ。んなもん投げんな、ばーか」
「あはは、わりーわりー、行こうぜ」
そして私に振り返ることなく、その男子たちは笑いながら校舎へと進んでいく。
水溜りに倒れ込んだまま雨に打ちひしがれている私を、他の生徒達は遠回りに避けていた。誰も私を視てくれていなかった。
よい、しょ。
いつものように腕に力を入れて立ち上がる。顔を空に向けた。雨が少し強くなったようだ。
眼鏡はもう、その用途足り得ない。視界はぼやけ、世界は歪んでいる。
深緑色を頼りによろよろと歩を進める。路の端で鎮座していた私の傘を手に取り、もう一度掲げる。
よかった。壊れてないみたい。
お祖母ちゃんの傘。とっても丈夫な傘。私を雨から守ってくれる、大事な、傘。
でも不思議。この傘を差すとき、私はいつもしとど濡れる。
こんな濡れ鼠のまま、校舎に入りたくないなぁ。
私は呆と立ち竦む。傘の柄をぎゅっと強く握る。
傘を差して佇んでいる私の視界はずっと歪んだままだ。
眼鏡に落ちる水滴が世界の内外問わず私を侵食する。
校舎に入りたく、ない。もう、学校なんか、行きたく、ないよ。お祖母ちゃん、助けて。助けてよぅ。
「うわー、あいつまた泣いてるよ」
「なんであいつ、雨も降ってないのにいつも傘差してんの? まじ、キモいんだけど」
止まない雨はない。
そんなのは、嘘だ。