由美ちゃんは、みてるだけ
身長高いなぁ、スタイルいいなぁ。
わたしの目の前を先輩が通り過ぎる。少し目にかかるふわふわの栗毛から覗く瞳は、とても涼しげだった。
かっこいいなぁ、クールだなぁ。
「どしたの、ボーッとしちゃって」
隣にいた友達が、わたしの視線を辿る。
「あー、かっこいいよね、先輩」
「うん。ちょーかっこいい」
わたしの憧れの先輩。ううん、わたしだけじゃない。いつでも先輩の側には誰かがいる。取り巻きがいる。
みんなの憧れの先輩。先輩の威光は周囲を誘引する。
「あたしたちとは住む世界が違うよねぇ。なんかキラキラしてるもん」
「うん。ちょーキラキラしてる」
横切った時の先輩の甘い残り香。くんくんと駄犬のようにそれを肺の中に集める。あはぁ。
「え?」
うっとりとしていたわたしの隣から頓狂な声が聞こえた。
今度はわたしが友達の視線を辿ると、
「え?」
わたしも同じ様な声を出してしまった。先輩が足を止めていた。足を止めて、わたしたちに振り返っていた。
「由美ちゃん」
びくんっ。わたしの背筋がバネのように跳ね上がる。先輩の口からわたしの名前が発せられた、その事実に体が硬直する。
「由美ちゃん、だよな」
「は、はひっ」
連れ立って歩いていた数人の女生徒に「ちょっと、ごめんな」断りを入れ、先輩がこちらに向かってくる。
体が震えた。隣の友達もカチンコチンに緊張しているのがわかった。目を大きく見開いて、わたしと先輩に交互にその瞳をやっている。
先輩がわたしの前で立ち止まる。わたしより頭一個分は身長が高い。わたしが155センチだから180センチはあるんだろう。
「久しぶりだね。せっかく同じ中学校に入学したんだから声くらいかけてよ」
「は、はひっ」
わたしが滑稽だったんだろう。「ぷっ」と軽く笑った後、その甘い顔をさらに柔和に甘くさせ、優しく微笑みかけてくれた。
ぼんっと顔が真っ赤になったのがわかった。完熟トマトみたいにその中身はぐちゃぐちゃに蕩けている。
「可愛く、なったね」
「は、はひっ……えっ!?」
「少し垢抜けたのかな。昔から可愛いと思ってたけど、ずっと可愛くなったよ」
「そ、そんな、せ、先輩のほうが、だって、」
「うん?」
「し、身長高いし、顔だってかっこいいし、い、今だって色んな女の人に囲まれてた、し」
心の奥の方がチクリと痛んだ。
「あー、俺はダメだよ、こんなんだからさ。友達には恵まれてんだけど、ちっともモテない」
嘘だよ。わたしずっと見てたんだから。視てるんだから。沢山の女の子に囲まれて、いつでも笑顔で、満更じゃなさそうで。
今だって、ほら。わたしの友達が頬を染めて先輩のこと見てるじゃない。綺羅綺羅とした憧れの目で見つめてるじゃない。
わたしと先輩は小学校からの知り合い。知り合い……うん、知り合い。友達と呼べるくらい仲が良かった頃もあったけど、わたしが先輩を意識しはじめてからは距離をとるようになってしまった。
それは羞恥からだった。
自分の先輩に対する気持ち――『好き』という感情を理解してからは、もう近づくことが出来なくなっていた。
「由美ちゃん、なんだか俺のこと避けてたみたいだからさ。なんかこっちも声かけづらくて」
「それは、その」
「だからさ、またこうして声をかけていいかな。また昔みたいに一緒に話そうよ」
うれ、しい。すごく、嬉しい。
わたしの目には涙が溢れていた。決壊した涙腺からぽろぽろ、ぽろぽろと涙が滂沱のように流れる。
「ゆ、由美ちゃん」
「ごめ、ごめんなさい」
「俺、なんか変なこと言ったか?」
違うの。これは嬉しいから。でも、
「ごめん、なさい。もう、声、かけてくれなくていい、ですから。もう、昔みたいには、戻れない、から」
この涙の半分は悲哀。
「……え?」
先輩が目を瞠った。わたしの友達は絶句している。
わたしが先輩を好きだと意識しはじめてから、距離をとらなければいけないことは幼心に理解していた。
それは羞恥からだった。
自分の錯綜した愛情と情欲が、とても汚らわしく恥ずかしいものだと思ったから。
「ごめんなさい、亜希子先輩」
わたしは先輩を遠くから見ているだけでいいんです。