音々ちゃんは、とてもかわいい
わたしはかわいい。
そうはっきり認識したのは、物心がつく頃――小学校低学年の時だったと思う。
「ねねちゃんは、とっても可愛いね」
両親や親戚、ご近所様も、すれ違うだけの人も、わたしを見る度、その容姿を褒めてくる。
ふわふわの栗毛に、小顔に収まる大きな猫目。
鼻筋はすっと通って、形の良い口唇はまるで桜の花びらのよう。
綺麗に配分されたわたしの顔の部品は、どうやらみんなの美的感覚を満足させるものだったようだ。
学校の男子たちは「このブス!」なんて言いながらも、顔を真っ赤にして、事ある毎にわたしにちょっかいをかけてくる。
気を引きたいんだろうな、と幼心に少し達観した気持ちにもなっていたわたしは、そんな時、小首をかしげ悲しそうに瞳を潤ませる。
そんな可憐な仕草に、真っ赤な顔のまま気まずそうに逃げていく男子。あはは、ちょろいなぁ。
わたし、音々子はかわいい。
わたしは、そういう星の下に生まれついた。
「ね、わたしってかわいいかな」
「うん、ねねちゃんはとっても可愛いよ」
幼稚園でバラ組だった時から、ずっと一緒にいる幼馴染の雅彦くん。まぁくん。
親同士がとても仲が良くって、家族同士でよく一緒に買物したりご飯を食べに行ったりしてる。
「今日はありがと。意地悪する男子に『やめろ』って文句いってくれて。嬉しかったよ」
「う、うん! ねねちゃんは、僕が守るから」
そう言って、ふんっ、と小鼻を膨らませるまぁくん。
わたしの騎士を気取ってる、とっても可愛い幼馴染。
「それって、わたしがかわいいから?」
「ち、違うよ。ねねちゃんは可愛いけど、それだけじゃなくて。ねねちゃんが、ねねちゃんだから」
「ふぅん?」
まぁくんの理屈はよくわからなかったけど、わたしの側にいてわたしをずっと守ってくれるみたい。
うん。まぁくん、かっこいい。お姫様を守護する騎士団長に任命しよう。
「はい、誓いのしるし」
わたしはまぁくんの口唇に、自分のそれをくっつけた。勢いが良すぎて歯が「がちん」ぶつかりあった。
「痛い」と涙目になったわたしと、顔を真っ赤にして口をぱくぱくしているまぁくんを見て、お互いの母親がお腹を抱えて笑っていた。
「わたしってかわいいわよね」
「まぁ、な。だからあの学校一カッコイイ先輩に告白されたんだろ? ねねちゃん、どうすんだよ」
中学生になったわたしは、相変わらず可愛かった。身体が成長したことでより女性らしく、出るとこも出た。足だって長くて、巷のモデルにだって負けないくらいの八頭身。
わたしは、さらにモテた。この中学校の高嶺の花的存在になっていた。
「うーん。先輩のことはカッコイイと思うんだけど。好き? 付き合う? ってよくわからなくて」
「わからない?」
「ね、まぁくん。まぁくんは誰かを好きになったことある? それってどんな気持ち?」
「あ……うん、そう、だな」
わたしはまぁくんの気持ちが分かっているのに聞いた。まぁくんがわたしのことを大好きだって知っているのにあえて訊いた。
「ずっと一緒にいたい。側にいたい。守って……あげたくなる。そんな気持ちだよ」
「ふぅん?」
まぁくんの理屈はよくわかったけど、それって遠回しな告白だよ。
うん。まぁくん、昔からずっと気持ち変わってなかったんだね。ずっとわたしを守ってくれてるもんね。ずっとわたしのこと好きなんだね。
「はい、どうぞ」
わたしは、まぁくんの手をぎゅっと握った。恋人繋ぎ。まぁくんは緊張して身体を硬くしてたけど、それでもぎゅぎゅっと強く握り返してくれた。
わたしは、学校一カッコイイと言われてた先輩の告白を断った。
「わたしって、超カワイイじゃん?」
「あんま調子乗るなよ? なんか音々子、最近評判悪いぞ」
雅彦と同じ高校に進学してからも、わたしは可愛かった。
周りの女の子たちが読モになりたくって必死に応募しているのを横目に、簡単に某有名雑誌の専属モデルになった。
わたしはただ街を歩いていただけ。餌に群がる池の鯉のように、ほいほいと何人もの芸能事務所のスカウトが食い付いただけだった。
「へぇ、そうなんだ。興味ないし。でね、また告白されたんだ。それで付き合うことにした。今度は同じ事務所の売り出し中のイケメンモデル」
「付き合ってる大学生の彼氏は?」
「ああ、あれはとっくに別れた」
「まったく、何人もとっかえひっかえ……節操ないな」
「べっつに、気が向いたから付き合ってあげただけだし。向こうだって少しでもわたしと付き合えたんだから幸せでしょ」
わたしは美少女だ。モデルも兼任しているカリスマ女子高生。
化粧だって上手くなったし、髪型や服装だって垢抜けた。わたしは、ますますモテた。
何十回とされる告白をいちいち断るのも面倒くさくなったわたしは、適当な男の子の告白を受けることにした。
雅彦がむかし言ったような好きという気持ち――ずっと一緒にいたい、側にいたい、なんて気持ちはなかったけど、交際、というものに興味が湧いたんだと思う。
でも、付け焼刃的な、感情を伴わない交際は、やっぱりギクシャクしちゃって、上手く行かなくて、すぐに別れてしまった。
なんだか納得の行かなかったわたしは調子に乗った。それからはなし崩し的だった。
取り敢えず、周りが羨むようなハイスペックな――イケメンだったり、スポーツ万能だったり、頭脳明晰だったりした男子を選り好んで彼氏にしてみた。
勿論、色々試してみた。
デートしたり、手を繋いだり、ハグしたり、キスだって何回もした。流石に一線をこえることはなかったけれど。
それでも「やっぱり違うなぁ」とすぐに飽きてしまって、結果、付き合う、別れるを何度も何度も繰り返している。
今も、呆れた眼差しを向ける雅彦に、拗ねたようなアヒル口で嘯いている。
「この前だって大変だったじゃないか。クラスの女子に囲まれてさ」
「……ああ、あれね」
つい先日、わたしはクラスの女子たちから吊し上げをくらった。
わたしが付き合ったけどすぐに振ってしまったらしい――名前すらよく覚えていない――男子のことを好きだった子がいたらしく、その男子と女子に謝罪しろと恫喝してきたんだっけか。意味がわからない。付き合うのも別れるのも個人の自由だし、そもそもその男子を好きなだけの女子に、何故謝らなければならないんだろうか。ホントわけわかんない。だから、
「馬鹿じゃん」
蔑んだ目で吐き捨ててやった。
そうしたら、激昂した何人かがわたしに掴みかかってきたけど、それはすぐさま引き離された。
そう、雅彦が助けに来てくれた。ずっと守ってくれるって約束した彼が、颯爽とその場を仲裁してくれたんだ。
実は、こういったトラブルにわたしは事欠かない。
でも、いつも雅彦が助けてくれる。どんな時も、どんな場面でも、矢面に立ってくれる。
口さがない連中は、雅彦のことをわたしの「下僕」だとか「奴隷」なんて言っているけど、違うんだなあ。
彼はわたしの騎士なの。
ずっと側でわたしを守護してくれる「騎士」なの。
「あんまりトラブル起こすなよな。いつか痛い目見るから」
「えー、だいじょぶだよー。雅彦がいるもん」
コクリと小首を傾げ、艶っぽく彼に微笑みかける。真っ赤になって視線を逸らす雅彦。あはは、ちょろいなぁ。
いつか痛い目を見る。
雅彦から散々言われていた苦言だ。
その痛い目――たったいま、それがわたしの目の前で現実になっている。
わたしの腕を掴んで、目を血走らせてはぁはぁと荒い息を吐いている背の高い男性がいる。
わたしの知っている人だった。たしか、前に付き合っていた大学生。知的で眼鏡が似合う優男ってイメージだったけど、今は180度様相が違っている。
まるで変質者だ。ううん、実際、興奮して震えながらわたしを睨みつけているこいつは、まるでじゃない、本物の変質者だった。
「腕、離しくくれませんか。人呼びますよ」
「馬鹿に……バカにしやがって、このクソビッチがっ」
近所だからって油断していた。間隙をつかれた格好で人通りの少ない裏路地に連れ込まれてしまっていた。
わたしの背後は行き止まりだし、いつも携帯していた防犯グッズも今は手元にない。
ここはもう叫ぶしかないな――わたしは思い切り息を吸い込んだ。その瞬間、
「パァンッ!」
わたしの顔が大きく弾け飛んだ。
一瞬「え?」と呆けて、自分の頬が熱くなるのを感じ、その後急激に痛みがやってきた。眼前の男に平手打ちをくらったのだと認識する。
頭の中が怒りで烈火の如く熱くなる。わたしのカワイイ顔になんてことするんだ、と。
怒髪天を衝いたわたしは思い切り殴り返してやろうと、つかまれていない右手を思い切り振りかぶり――振りかぶったはずだった。
そこでわたしは気付いた。
身体が硬直していて、指先すら動かせなかったことに。ぐつぐつと怒りにたぎる脳とは真逆に、身体はガタガタと震え、涙で溢れた瞳からそれが一滴こぼれた。
人に初めて殴られた衝撃だった。可愛い可愛いと褒められ続けていたその顔が、初めて侵犯された故の喪心だった。
「ふ、ふえぇぇ」
無意識下にガタガタと止まらない震えと、両眼から溢れ出る涙。わたしの口からは恐怖に怯えた嗚咽が漏れる。
そのわたしの強気な態度から一転した情けない姿に嗜虐心を覚えたのだろう。殴った本人は口元に薄ら笑いを浮かべ、頬を紅潮させていた。
「あはは、僕のことをバカにするからこうなるんだ。でも、僕は優しいからね。チャンスをあげよう。もう一度、僕の彼女になるんだ。さ、そこで土下座して『許して下さい。もう一度付き合って下さい』って言うんだ。さあ、早くっ!」
そう言って殴る真似をした彼に、わたしは反射的に頭を抱え蹲った。怖い、怖い、怖いっ!
恐怖に支配されたわたしはその姿勢のまま殻に閉じこもる。
頭の上では彼の「早くしろっ!」と怒鳴る声が聞こえる。
そして土下座させようと、わたしの頭を強く押さえつける。痛い、痛い、痛いっ! 痛いのはもういやぁ。
助けて、まぁくん、助けてぇ! まぁくん! まぁくん! わたしのこと助けてぇ……!
心の深奥からの叫び。
わたしは生まれて初めて、まぁくん――雅彦に助けを求めていた。
わたしは蹲ったまま瞳をぎゅっと閉じていた。心で叫び、身体を震わせながら嵐がすぎるのを必死に堪えていた。
そして、その嵐は唐突にやんだ。
いつの間にか押さえつけられていた頭頂の圧迫するような痛みがなくなっていた。
嬉々とした嫌らしい怒声も聞こえてこない。ゴッ、とか、グフッ、とかそんな擬音だけが聞こえていた。
わたしの周りが静寂に包まれ――「大丈夫だったか」頭上で聞き覚えのある暖かな声が響いた。
わたしはそっと殻を破る。
おどおどと視線を上に上げると、困ったような怒ったような奇妙な表情で、雅彦がこちらを見つめていた。
「まぁ、くん?」
「なんだかその愛称、久しぶりに聞いたな。大丈夫だったか、音々子。怪我は――あーひょっとして頬殴られたか? 少し赤くなってる」
わたしは自分の頬に手を当て軽く擦った。痛みはそんなになかった。でも、わたしの眼からはボロボロ、ボロボロと涙が零れ落ちる。
「結構痛む? このあと、病院へ行こう。音々子の可愛い顔に傷でも残ったら大変だしな」
焦ったようにオロオロしている彼を横目に、わたしは両手で顔を覆い、首を横に振る。
殴られた頬は痛くなかった。
今思えば、そんなに強い威力でなかったのかもしれない。痣だって残らないだろう。
でも、他の場所がとても痛かった。
さっきからズキズキ、ズキズキと胸が疼き、ドキドキ、ドキドキと心音が跳ね上がっていた。
わたしは、まぁくんの胸に飛び込んだ。
「わたしが可愛すぎるのが原因なのね。業が深いわ」
「また音々子はすぐそうやって……ま、無事でよかったけど」
少し頬が腫れたけど、わたしは可愛かった。
あのあと、まぁくんはすぐに警察に電話して、目の前で伸びていた元彼を引き渡した。
事情聴取とやらはそんなに時間はかからなかった。というのも、予想外なことに元彼が素直に自分の暴行を認めたから。
駆けつけたまぁくんにボコボコに――といっても、2、3発軽く殴ったところで哀れな程に怯えていたらしいから、もはやわたしとの確執よりも彼への恐怖で萎縮しちゃったのかもしれない。今後また何かあるかもしれないけど、一先ず無事解決といったかんじだ。
「解決って……なんにも解決してないじゃないか」
「えー、なんで? もう、こんなこと、多分起きないよ」
「音々子が交際相手を取っ替え引っ替え変えてる限り、きっとまた同じようなことが起こるんじゃないか?」
「そしたら、また、まぁくんが助けてくれるでしょ?」
「俺だっていつもお前の側にいられるわけじゃないんだよ。さっきだって約束場所になかなか来ない、連絡してもつながらない音々子を心配して、家まで迎えに行ったから見つけられたんだ」
今日はまぁくんと映画に行く約束をしてたんだっけ。あんなことがあってすっかり忘れてた。
あー、予約したチケット無駄になっちゃったな。
「それより、病院、本当にいいのか? 少し腫れてきてるぞ」
「ううん、いい。それよりもさ、こっち」
わたしはまぁくんの腕をつかみ、近所の小さな公園に引っ張っていった。
幼少のころ、ここでよく遊んだっけ。わたしに意地悪する悪ガキをまぁくんは必死に追い払ってたっけ。
時にはいじめっ子の逆襲をくらって泣いていたけど、まぁくんの目には強い意志があった。自分は「お姫様を守る騎士」という自負がみえた。
「ここ、覚えてる?」
「よく遊んだよな。ここ通る度に昔のこと思い出してるよ」
「まぁくん、ここで初めて誓ってくれたっけ。『ねねちゃんは僕が守る』って」
「……そう、だっけ」
「うん、そう。それとね、ここは、わたしとまぁくんが初めてキスした場所」
まぁくんを下から上目遣いに覗き込むと、彼は恥ずかしそうに口元に手をあてそっぽを向いた。
そんな彼に、わたしは一歩踏み込む。彼がそれに合わせて一歩退いたが、それを咎めるようにわたしは彼の胴に腕を回した。
彼の胸の中で述懐する。
「音々子?」
「もう、今日みたいなことは起きないよ。ううん、起こさない。わたし、もう誰とも付き合わない」
「……は?」
ううん、違う。
「まぁくんとだけ、付き合いたい」
「音々子。一体、なにを」
「まぁくんが好き。わたし、ずっとまぁくんだけを好きだったみたい。今日、やっとそれに気付いた」
「……」
「わたしが騎士に恋したって、いいでしょ? まぁくんが好き。わたしだって、まぁくんの側にずっといたいの」
まぁくんの表情を彼の胸の中からチラリと窺う。顔を真っ赤にして、ガチガチになっていた。
やっぱり、まぁくん、わたしの告白嬉しかったんだね。
まぁくんも、わたしのことずっと好きでいてくれていたんだもんね。
だって、わたしは可愛いし、可愛いわたしをずっと側で見守ってきたの、まぁくんだもんね。
これから二人は恋人同士。
十年以上かかっちゃったけど、遠回りしちゃったけど、わたしとまぁくんはようやく両想いになれた。
わたしはまぁくんの胴に廻していた腕を、彼の首に回す。
そして、軽く背伸びをし彼の顔――口唇に、自身の可憐な桜の花びらを寄せる。
誓いの、接吻。
あーん、まぁくんたらギュッと目を閉じちゃって。可愛いなぁ、もう。
そんなガチガチになってたらキスできないよ?
わたしの気持ちに気づいたのか、まぁくんは薄く目を開けた。
わたしは口元を三日月型にした艷笑を作ると、そっと彼の頬に自分の手を添える。彼の緊張が伝わってくる。
まぁくんが口唇をつんっと尖らせたのがわかった。わたしはそこに自分の口唇を軽く触れ合わせた。
まぁくんの鼻息が荒い。彼の口唇を押し付ける強引なキスは少し息苦しかった。
違うって、まぁくん。そんなに押しつけてきたら鼻がぶつかっちゃう。
キスはね? こうするんだよ。ほら、口を開けて――
まぁくんの目が大きく見開かれたのがわかった。
わたしはまぁくんの口唇が離れないように彼の頭を押さえつけ、自分の口唇を更に押し付ける。
わたしの舌がまぁくんの口蓋を押し上げ彼の舌を絡めとってゆく。公園内に艶めかしいくぐもった水音が響く。
わたし、幸せよ。
まぁくんとのキスは、他の人と違ってすごくドキドキする。
「ドンッ」
だからわたしは何故そうなったのか、分からなかった。
幸せの絶頂にいたわたしが、何故まぁくんに突き飛ばされているのか、理解らなかった。
わたしは尻もちをついて、まぁくんを呆然と見上げる。まぁくんは口元をゴシゴシと袖口で乱暴に拭き、ぺっ、と唾を吐き出した。
そして、わたしを見下ろす彼は、
「ねね、ちゃん」
薄く笑っていた。泣きそうな表情で、嗤っていた。
「ねぇ、ねねちゃん。俺はねねちゃんがずっと好きだった。ねねちゃんの騎士としてずっと側にいて守りたかった」
そう、そうだよね。わたしだって同じ気持ち。まぁくんにずっと側にいてほしいんだよ。なのに、なんでこんなことするの?
「俺はねねちゃんの側にいられるように、ふさわしい騎士になるように、沢山頑張ってきた。身体だって鍛えたし、勉強だって頑張った。ねねちゃんが呼び込んでくるトラブルだって何回も何回も何回も、解決してきた。守ってきたんだ。なのに……」
そう、そうだよね。まぁくんはわたしの騎士。そのために彼は格闘技だって習っているし、学内の成績は常にトップだ。
それも全部わたしのためなんだよね? なのに、なんでこんなことするの?
「……君は、ねねちゃんじゃない。お姫様じゃなかった」
なにを言ってるの。わたしは、音々子――まぁくんの言う「ねねちゃん」。あなたが騎士でわたしがお姫様じゃない。
「なあ、君は今まで何回キスしてきた? 付き合ってたあいつら全員と今みたいなことしてたのか? 君は今まで何人の男に抱かれてきた? 付き合ってたあいつら全員に簡単に体を開いたのか? もう、俺は君のことをお姫様として見れない……もう君をねねちゃんとして見ることなんか出来ないっ!」
そう唾棄すると、まぁくんは尻もちをついているわたしのことなんかまったく気にせずに、駆け足でその場から走り去った。
ぽつんと取り残されたわたし。
スカートの裾がめくれて色白の健康的な太腿が顕になってたけど、わたしはそんな自身のあられもない姿などまったく気にならず、尻もちをついた姿勢のまま、そのまま後ろにクタッと倒れ込んだ。
仰向けになり、少し薄暗くなった空を見上げる。
「あはっ、なによそれ。まぁくんだってわたしが誰と付き合ったって止めもしなかったじゃない」
付き合うってことは、そういったことだって当然含まれるんだ。それなのに、今更そんなこと言われても、どうしようもないじゃない。それに抱かれてなんかいないよ。そこは勘違いよ。
「騎士気取りで、お姫様の言うことに逆らえなかったの? 違うでしょ、ばーか。わたしに余計なこと言って嫌われたくなかっただけじゃん。いっつもこっちの顔色ばっかり伺ってさ。オドオドしておべっかばっか、全然男らしくないし」
ホント男らしくない。要はただの嫉妬じゃない。わたしが他の男の人とキスしてたのが許せないだけなんでしょ。キスに慣れてたからって、それがなんなの? わたしたち、もう高校生なんだよ。いつまでも純真無垢のままじゃいられないよ。周りだってみんな簡単にしてるじゃん。キス以上のもっとすごいことだってしてるじゃん。ガキ! ホント子供なんだから!
わたしは、ふと、頭を倒し、その先にあるベンチに顔を向けた。
あのベンチで、わたしとまぁくんは誓いを立てたっけ。お互いの歯が当たった、あの不器用で拙かった、ファースト、キス。
『う、うん! ねねちゃんは、僕が守るから』
「う…う……ぁ…まぁ、くぅん」
『それって、わたしがかわいいから?』
『ち、違うよ。ねねちゃんは可愛いけど、それだけじゃなくて。ねねちゃんが、ねねちゃんだから』
『ふぅん?』
「う…うぅ……うあぁぁ…ごめん…ごめんね、まぁ、くん……わぁぁぁぁん」
わたしの瞳から涙が溢れてくる。留まることを知らないように頬を伝い、そのまま公園の土へと吸収されていく。
わたしは――馬鹿だ。
まぁくんは、ちゃんと、言っていた。
わたしがかわいいからじゃなくって、わたしが「ねねちゃん」だから守るんだって。
中学の時のわたしはちゃんと「ねねちゃん」でいられた。
まぁくんだけのお姫様でいてあげられた。その時に繋いだ手の感触を、わたしはまだ覚えてる。
まぁくんが雅彦に、ねねちゃんが音々子に変わったのは、いつだったんだろう。
わたしは涙を止め処無く流しながら、嗚咽を上げながら、両手を上げた。
モデルの仕事で買い上げたニットワンピースの薄汚れた袖を見て、その先の伸ばされた両手の細長い指に嵌まるおしゃれなリングを見て――
――そして、その両手で流行のゆるふわカールの髪を掻きむしる。
この顔をより華美に彩る化粧も、存在を際立たせるオードパルファンも――そして、沢山の男の人をドキッとさせる自然に出るあざとさも、沢山の男の人を知っているこの口唇も、何もかもが気に入らない。より可愛くなるためだけに仕立て上げられた、この装飾まみれのわたしは、何もかもがとても気持ち悪い。
もう戻れない。
まぁくん、わたしはあの頃の純粋だった気持ちには、もう二度と戻れないの。
「わたし……もう、かわいくない」
わたしはそのままずっと泣き続けた。




