プロローグ
かつて、このせかいには、はかいところしをくりかえすりゅうがいました。
そのりゅうは、すうひゃくねんもあっとうてきなつよさをほこっていましたが、いつしか、はかいところしにあき、いきるいみをみいだすことができなくなりました。
とうじ、ひともけものも、ちっぽけなそんざいでしかなく、せかいは、りゅうやあくま、まじゅうなどのはしゃがそんざいし、せかいはあらそいのたえないじだいだったのです。
そんなじだいにいきたりゅうは、はかいところしいがいのたのしみがほしくなりました。
ただ、あらそいのじだいには、うばうかうばわれるかのたった、ふたつのことわりがしはいしていたので、りゅうののぞみは、かなえられそうにありませんでした。
りゅうは、せかいをながめます。
あらそいがにくしみをうみ、そのにくしみが、あらたなにくしみをうむことに、りゅうはきづいたのです。
なんと、おろかなせかいにうまれたのだろう。
りゅうは、そうしずかにおもいました。
そして。
こんな、せかいなんて、なくなってしまえばいい。
そう、りゅうはおもいました。
りゅうは、だいちをけり、おおぞらへとびたちます。
りゅうは、せかいかくちをまわり、さまざまなものをはかいしてまわりました。
りゅうは、あいにうえていたのです。
しかし、りゅうにあいをあたえてくれるそんざいは、いませんでした。
りゅうは、そんなせかいをますます、にくみます。
ぜつぼうのなかに、りゅうは、かすかなひかりをみつけました。
りゅうのはかいこういに、せかいにすむものが、りゅうをたおすべく、てをとりあい、たちあがったのです。
そのとき、りゅうは、せかいにあらそいが、なくなったことにきづきました。
あらそいのないせかいは、まもなくおとずれる。
そう、りゅうはかくしんしました。
ならば、と。
りゅうは、あくやくになりきることを、けついしました。
こどくにたえ、おそれられることにたえ、りゅうは、せかいにすむものと、たたかいつづけました。
ただ、りゅうは、せいしんてきくつうにたえることができませんでした。
りゅうは、しぬじゅんびをはじめます。
りゅうじしんのちからを、せかいのかくちにかくし、てっていてきにりゅうのおそろしさを、きおくにうえつけていきます。
そして、それからしばらく。
りゅうはせかいにすむものたちにうたれました。
さいごにりゅうは、みずからのからだをてんいさせ、せかいにつくった、からだのほかんばしょへと、おくりました。
そして、りゅうは、いのちをおえました。
だれにも、かなしまれることのない、かなしいしでした。
りゅうはねがいます。
つぎのせいを、えることができたのならば、さびしさのないせかいにうまれたい、と。
りゅうのいなくなったせかいは、かんきにつつまれました。
それも、そのはずです。
りゅうという、せかいのききはさったのですから。
だれからも、りゅうのかくごはりかいされず、ただただ、こうせいにつたえられるりゅうのすがたは。
はかいのけしん。
していおう。
せかいをかんじょうのままにはかいする、くろきりゅう。
もう、だれもしりません。
りゅうのやさしさを。
りゅうのねがいを。
ただただ、おそろしいりゅうがこのよにそんざいしたというじじつだけが、のこったのです。