生きることへの恐怖
生きることは簡単じゃない。
それでも生きる。
生きることへの恐怖。
感覚的に恐れているのは、生きること、生き続けること。
生きれば生きるほど、日々を過ごせば過ごすほど。
私は、資源を食いつぶして生きている。
水、食べ物、電気、空気、薬、服、靴、挙げ始めれば。きりがない。
どこまでも救いようがない考えだけど、ほっといてくれ。
生産性がなくて、終わりのない考え方だけど、考えずにはいられない。
そんなこと考えて何になるかって? 何にもならないよ。
何でそんな事考えるのかって? 必要だからだよ。
逆に、どうして考えないの? あなたの人生は、そんなに価値あるものなの?
私は、私に価値を見出せないから、ひたすらに考えてるの。
この世の資源を喰いつぶす自分について考えているだけ。
あなたはどうして自分が生きているか、生き続けている理由を知ってる?
私は知らない。 だから、考えてるの。
6歳で、自分の人生が消費するだけだと知った。
きっかけは、道徳の授業で見た『戦争のビデオ』だった。
たった一つの爆弾で滅んだ街。 盾にされる、私より小さな女の子を見た。
その子供たちを戦地から遠く離れ、『悲しい事ですね』と言う、太った大人の姿を見た。
「 この世には、何もできないで死んでしまう世界がある。
その中には、世紀の天才や未来の博士が居たでしょう。
彼らが生きれば、世界はもっと良い世界になる。 」
では、ここに居る私は?生きてしまった私は?
私が、居なくなればその分、天才達のご飯が増える。
そう思った。
10歳で、自分の存在価値が限りなく低いと知った。
もしかしたら、私は将来、世界を変える人間になるかも知れないと考えた。
でも、世界を救うには私は小さすぎるし、興味がない。
だから、私が死んで、世界を救う力がある人が私の受け取るものを代わりに受け取って、
成長して世界を救ってくれたほうがいい。
11歳でそれをしようと決意した。
何度も阻止された。
代わりに、あの日見た彼らと同じ状況にいようと、
ご飯を食べるのをやめた
布団じゃなくて、床か公園の草の上で寝ようとした
そうすることで、少しだけど彼らと同じだと思えた。
一緒だと思えた。 私は地球の反対側にいるけど、彼らに伝えたかった。
寂しくないよ私も一緒だよ、一人じゃないって伝えれたと思った。
でも、そんな私を見て、大人は言う
精神が可笑しい、精神疾患だ、病院に行こう。
大人は脳を直そうと努力していた。でも、話を聞いてくれはしなかった。
単なる妄想、テレビの見過ぎ、母親しいては父親、はたまた友人の影響だと、誰も取り合ってくれなかった。
14歳で、死ぬ事を諦めた。
代わりに、私の考えを広めようと思った。 でも、その時には誰も聞いてくれなかった。
あの優しかった母でさえ、考えすぎよ、そんな事ないわ、
まだ子どもだからそんな事を考えなくていいと言われた。
あの日見た彼らだって同じ子どもだよ、私より小さい子もいるよ。
大人を信じる事をやめた。 正確には、期待する事をやめた。
今度は、私の考えを同じ子どもに伝えようとした。
まず初めに、賢いと言われていた子ども達に話をした、けどその子たちは馬鹿だった。
そんなこと考えて何になるの?何にもならないじゃん。と私に言う。
この子達は、大人のフリをしてるんだ、馬鹿だと思った。
次に、賢い子たちが馬鹿だと言う子達に話した。 彼らは、私の話を理解してくれた。 危険性を理解して、どうすれば彼らが救われるか、一緒に考えることもできた。
でも、時が経つにつれ、彼らも大人になっていった。
そして、言葉と思考を交わす事がなくなった。
15歳で、大人になると愚かになってしまうと知った。
16歳で、私は、大人にならざる負えなくなった。
【 みんなと同じになってほしい 】と両親や周りの人間に要望されたからである。
誰も、私らしく在れとは言ってくれなかった。
そして、諦める事を強制され始めた。 大人になったからだ。
大人って何だろう。
自分ができる幅を知っている事?自分に出来ること以上の事をしないこと?
やりたい事があっても諦めやすくある事?
17歳で、大人になる事が恐ろしくなった。
18歳で、大人を馬鹿にする事を覚えた。
大人が出来ないと言った事を目の前でやって、言って、考えて、実演して見せた。
私は、「大人じゃない私が出来るんだから、大人のあなたはもっと出来るでしょう」と皮肉交じりに伝えるように努めた。
でも、大人は、恐れてそれをしてくれなかった。
大人って何だろう。
お金も知識も手に入れているはずなのに、動けないでいる彼らを見て、私は虚しくなった。
これが、大人になる事というならば、
私はもう、いい。
大人になりたくない。もう、十分だ。
制限された暮らし、制限された発言、制限された行動、制限された思考、もうたくさんだ。
それでも、私の身体は時を刻み、ついに20歳になろうとしている。
大人になること。 なんて恐ろしいんだ。
社会は、大人に成れと私にいう。 なんのために生きてるか考えるだけ無駄だ。
何も考えず、何も疑問に持たず、ただ生き続けろと見えない強制力、生きる。
あの日見た映像の、地雷撤去のために生かされている捕虜となんら変わらない。
あの日見た映像の端に映る、屍となんら変わらない。
死体の乱歩する世界で今日も生きる。僅かな理解を求めて世界を歩く。
血を滴らせながら今日を生きよう。 身体から全ての血が零れ落ちるまで歩き続けよう。
屍となり果てる、その日まで。
生きるって何でしょうね。
あなたの恐怖は見つかりましたか。
見つかったのなら安心ですね。
恐れているモノが何なのか見つけられれば、対処できるのだから。
見つからないのなら、次の恐怖でお会いしましょう。