Scene 1-2
校舎中に鳴り響くチャイムの音が、授業の終わりを告げた。
結局、教師はライフ・レベルについて語り続けていた。この日だけで、リキトの耳にはたこが出来てしまった。
リキトは帰りの身支度をし始めた。ペンや消しゴムを筆入れに仕舞い、鞄の中に入れていく。
教室内では、未だに教師の授業の内容が余韻として残っていた。
「俺、ライフ・レベルを調べたら呪い属性の魔法がCランクだった。後で聞いたら俺の親はさ、呪術が得意だったんだって。」
「マジかよ。羨ましい。俺、Dランク以上の魔法は使えないみたいなんだよ。」
「じゃあ、軍人になったら俺はお前よりずっと下だな。」
「馬鹿言え。魔法が強いだけじゃ偉くなれないんだよ。頭の使い方も大事だ。」
ノイズの様に周りではこの様な会話が繰り広げられていた。、
周囲のざわつきに目もくれず、リキトは教科書を鞄にしまう。学校に入学した時からずっと使っている鞄からは、歴史を感じる。
「おい、ブルッシュ。」
リキトは、先に身支度を済ませて教室を出ようとしたブルッシュに声を掛けた。ブルッシュは、立ち止まって静かにこちらを振り返った。
「どうした?リキト。」
身支度を終えたリキトは、ブルッシュと一緒に教室の外へと歩き出した。二人は帰る場所が同じなので、よく一緒に帰宅する仲だ。
「ブルッシュは、ライフ・レベルについてはどう思っているんだ?」
ブルッシュは一瞬、神妙そうな面持ちを浮かべた。ブルッシュはリキトよりもテストの成績は良いので、興味本位で意見が聴きたかったのだ。
「下らないな。」
ブルッシュは、そう一言吐き捨てる様に言っただけだった。リキトも口数は多い方では無いが、ブルッシュも寡黙な性格だ。互いの性格が似ているからか、二人は気が合うと感じているのだ。
会話が少ないのが、逆にリキトにとっては楽だった。
「そうだな…。そう言えば、ブルッシュはライフ・レベルの診断書が届くのはそろそろだよな?」
「あぁ、もうじき届く頃だな。」
リキト位の歳になると、周りにライフ・レベルの診断を受けていない者はほぼ居なくなる。自身が身に着けるスキルを早い段階で把握する必要が有るという国の方針と、就活の時期が近付いているからだ。
リキトは既にライフ・レベルの検査は受けており、診断書も届いている。
ブルッシュは周囲の人間に比べると、ライフ・レベルの検査を受けるのは遅い方だ。
「そうか。俺は前に診断して貰ったけど、剣術にしか興味無いから結果は余り見ていないな。」
「だから、魔法が得意じゃないから今朝のウェールとの一騎打ちで負けるんだ。」
「な!?見てたのか。」
ブルッシュは、そう毒づいた。どうやら、ウェールに負けてしまったのをブルッシュは見ていた様だ。
駆け付けたピスタチオとは違って遠くから静観しているのも、ブルッシュらしくもあるのだが。
「次は勝つよ。それに、魔法に興味は無いが使えないとは言っていない。」
ブルッシュはテストの成績も学年でトップだが、魔法を使った実践練習でも圧倒的な実力を誇っていた。
そんなブルッシュにそう言われてしまうと、何だか自分の発言が小者に見えてくる。
「おーい、リキト―!ブルッシュ―!」
10メートル程先から、声が聞こえる。聴き慣れた、女の子の声。
名前を呼ばれた方向に目をやると、同じ孤児院に暮らすルウ・セブールとピスタチオが生徒の人混みの向こうに立っていた。
「全員集合だね。」
ピスタチオは合流したリキトとブルッシュに言った。ピスタチオとルウは同じ歳なので学年も一緒だ。
なので、帰りはよく一緒に居る所をリキトは見掛けていた。
「今日は、皆で帰るか。」
「いや、私達にお客さんが来てるって先生が言っていたから、二人を呼びに来たの。」
「え、俺達に?」
身寄りの無い四人に会いに学校へ客人が来るというのは、長い学校生活の中でも初めての出来事だった。
それに、わざわざ学校まで出向きに来るのは何故なのだろうか。リキトは不思議に思った。
「うん、門の外で待っているからって。」
「誰なんだ?」
「分からない。」
「待たせるのも悪いから、行こう。」
四人は、足早に学校の門の外へと向かった。全学年の授業が終わったのか、周囲は下校する生徒達で溢れている。
リキトには、訪客に全く心当たりが無かった。だが、門の外で待っていた人物の後ろ姿を見ただけで、それが誰だか分かった。
「ビビッド!」
「え、ビビッドじゃないか!」
学校に訪れて四人を待っていたのは、ビビッド・ウーだ。かつて同じ孤児院で生活する仲間で、ピスタチオと同じへプル一族の少年。
半年程前に都心の製糸工場に就職が決まり、孤児院を出た以来の再会だった。職場の作業着でビビッドは来ていた。
「ピスタチオ、リキト、ブルッシュ、ルウ…。皆、久しぶりだね。」
ビビッドは、何時もの笑顔でリキト達に言った。懐かしい、あの時と何も変わらない笑顔だった。
「ビビッド、元気にしていたのか?工場での勤務は慣れたかい?」
「皆でまたこうやって揃えると、何だか嬉しいな。」
ルウは、ビビッドとの再会に喜んでいる。同じ一族のピスタチオにとっては、ビビッドの存在は家族同然だ。嬉しくない訳が無い。
ブルッシュは表情こそ変えていないが、嬉しそうなのは何処となく伝わってくる。
「仕事は頑張ってるよ。自由な時間は昔と比べると減ったけど。寮の皆は優しくて、第二の家族って感じで…。けど、仕事でミスが有った時や仕事終わりに、ふと皆の事が恋しくなるんだ。」
ビビッドは寂しそうに言った。10年近く行動を共にしてきた仲間と離れ離れになっているのだ、無理もない。
家族が周りに居ない寂しさは此処に居る全員が、痛い程理解している。
「そうか…。無理はするなよ。」
「辛かったら何時でも、帰って来いよ。」
「皆…。有難う。」
ビビッドは何処か寂しそうな顔をしていた。何処か、遠くを見ている様な顔だ。まるで、何か大きなものを抱えている様な。
「あぁ、休みが今日みたいに取れる様になったらまた遊ぼうぜ。」
「うん、うん…。そうだね。」
ピスタチオの言葉に、ビビッドは涙ぐむ。それを見たブルッシュは、そっと横でビビッドの頭を撫でた。
よく見るとビビッドの目の下にはクマが有り、作業着も茶色く薄汚れてしまっている。恐らく、仕事は激務なのだろう。
孤児院を離れてから、色々な事が有ったのだろう。ビビッドの目元から、鬱積した感情が零れ落ちた。
「泣かないで、ビビッド。私達は何時でも、同じ太陽の下で生きているんだから。」
ルウは、ビビッドの背中を擦りながら言った。かつての遊び仲間が泣いているのを見るのは彼女にとっても辛い事だろう。
「ビビッド、何か有ったのか?」
リキトは、ビビッドに問い掛けた。作業着のまま、学校へ押し掛けて来るのは違和感が有った。
今日は仕事が休みなのだろうか。何か言いたい事が有って、此処に来たのでは無いのか。
「うん…。」
「どうした?」
ぐすっ、ぐすっ、と荒ぶる息をビビッドは深呼吸で必死に整えようとしていた。それを見ていると、リキトは心配になった。
「…僕ね、グライゴア族の生贄に選ばれんだ…。」
「な、何だって…!?」
ビビッドは俯き、誰とも目を合わせようとしなかった。リキトは、先程のビビッドの発言が何かの勘違いじゃないかと疑った。
「グライゴア族の、生贄…。」
「嘘…。」
ビビッドは目を大きく見開き、小さく舌打ちをした。ルウの顔は、恐怖に怯えている。ピスタチオは、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
グライゴア族とは、闇の異世界に住む悪魔の一族だ。
「本当だよ。昨日仕事が終わって、寮に帰って少ししたらディコニア兵が来て…。国王の烙印付きの書類を持ってきたんだ…。」
ビビッドは、顔を上げようとしない。肩は、ブルブルと震えている。昨日の出来事を想起し、恐怖が押し戻ってきたのだろう。
こんな残酷な事が有るか。
「今日は、仕事を早く切り上げさせて貰ったから学校まで来てみたんだ。グライゴア族が僕を迎えに来るまで、仕事は休ませてくれるって…。就職して、毎月孤児院に仕送りも送れて、やっと僕は皆の役に立てたと思ったのに…。」
声帯を絞りながら、掠れた声でビビッドは言う。掛ける言葉が、リキトには見つからなかった。
「僕は移民でライフ・レベルが全部Fランクだし、武器の才能にも恵まれていないから…。生贄として国の役に立つしか無かったんだ…。」
ライフ・レベルという単語にリキトはピクリと反応してしまった。ビビッドは、全属性の魔法のライフ・レベルがFランクだったのだ。それに、武器を使ったテストでも成績は下から数えた方が早いという程才には恵まれていなかった。
その為戦力外通告がなされ、弱冠16歳にして就職を余儀なくされた。孤児院側は学校に通わせてやりたいという意向があったのだが、それは叶わなかった。
「それは違う。ビビッドは、俺達の為に頑張って働いてくれていたじゃないか!」
「そうだよ!私達が移民だからって…。」
何が何でも、残酷過ぎる。ビビッドは若い内に働き、ディコニア王国の経済に貢献していた。
しかし、世界各国ではグライゴア族へ生贄を捧げなければならない掟が有った。ディコニア王国も例に漏れず、その対象だ。
「ディコニア王国は、移民でライフ・レベルが優れない者を優先的にグライゴア族の生贄に選ぶ。移民が多いこの国では、純血のディコニア人が生贄に選ばれる事はまず無い。」
ブルッシュは静かに語る。リキトは、この事実を知っていた。しかし、何処かで自分達は生贄に選ばれないだろうというだろうという根拠のない自信が有った。グライゴア族の生贄に選ばれる様な者はこの中に誰一人として居ないと思っていたからだ。
リキトの目には、涙が浮かんでいた。
「…なんで、ビビッドなんだよぉ!」
ピスタチオが叫んだ。この中でビビッドの次につらいのは、ピスタチオだろう。
「一度生贄に選ばれてしまったら、僕はグライゴア族の所に行くしかないんだ。ピスタチオ…、孤児院に顔を出す前に学校で皆を待っていたのは、涙を此処に置いて、昔の…。孤児院を出る前のビビッドとして、笑顔で孤児院へは顔を出したかったからなんだ。」
「ビビッド…。」
かつて、孤児院で過ごした五人。ビビッドが、このメンバーに最も心を許していたのは間違いないだろう。
職場に就くまで孤児院で育ててくれた理事長には、弱った姿は見せたくないのだろう。せめてビビッドのその気持ちを汲んでやる事が、今のリキトがしてやれる事だと思った。
「孤児院へ、皆で帰ろう。理事長のアモレインも、ビビッドの顔を見たら安心するだろう。」
リキトは優しく、ビビッドに言った。ビビッドは目を閉じ、深く深呼吸をした。そして、頬をペチペチと叩き、帰路の方へ目をやった。
「うん、そうだね。」
「皆のお家へ、帰ろう。」
ルウの言う通りだ。孤児院は、皆の家。ビビッドの家は、勤務先の寮なんかではない。
ピスタチオは、すっとビビッドの肩に腕を回した。
「お前が家に置いていった物も、あの時のままちゃんと取ってあるからな。」
「有難う、ピスタチオ…。」
ビビッドの顔に、精気が戻ってきた。無理をして奮い起こしている様にも見えるが、そんな余裕が有った事にリキトは少し安堵した。
恐らくビビッドは今以上に、昨晩は泣いていたのだろう。そんな事を想像していると、リキトはビビッドより悲しい顔をしていてはいけないと思った。
周りの皆もきっとそうだ。ピスタチオも、ルウもリキトより若いのに涙を拭っている。
皆歩き出したその時、ブルッシュだけは立ち止まったままだった。
「ビビッド…、俺は…。」
「どうしたの?ブルッシュ。」
ブルッシュは、怒りに打ち震えている。こんなに感情を露にしたブルッシュは、そうそう見ない。
「グライゴア族も、武力が有りながらグライゴア族に犠牲者を平気で出すこの国も許さない。」
「ブルッシュ…。」
ブルッシュからは、強い意志を感じた。まるで、今までずっとディコニア王国やグライゴア族への不平不満が溜まっていたかの様に。
ルウやピスタチオも、ブルッシュの凄みを感じている様子だ。
「絶対にだ。」
「ブルッシュ…、お前、まさか…。」
リキトには、言わずともブルッシュの考えている事が概ね分かった。長い付き合い故だ。
恐ろしくも過酷な未来が、リキトには見えた気がした。