女皇帝が死んでから思うこと
私は死して神と呼ばれるものにあったとき問を投げかけられた
もう一度この世を生き返せるであればどんな人生を歩むか
ひどく滑稽な質問だ。やり直せる人生などないし、あったとして
人生すべてを帝国のため臣民のため捧げた私にとってこの問は自明だ。何度この身が蘇ろうと父のように帝国の勝利のために邁進し世界の覇権を握ることこそわが夢だったのだから。
果たしてそうだろうか。本当に?
そもそもそんな夢は私自身の夢でなく、生まれおちた瞬間から帝国を導くとゆう使命に圧倒され、その責務しか考える余地などなかったからではないか?
我が父であり、帝国の領土を過去最大までに広げた偉大なる皇帝は、在位してからは立派なものであったが、自身の親兄弟を殺ししただけではあきたらず主な皇族とよべる第五親等まで皆殺しにして皇位についた男だった。享年67の父帝は御年50になるまで何度か皇子や皇女が生まれたが総じて早逝しそれからはめっきり子宝に恵まれず、皇族殺しの呪いというまことしやかな噂が国中をかけめぐっていた最中10年の空白ののち生まれたのがこの私だった。この時点で私が皇位につくことはほぼ確定していたといって相違なかった。
故に本来なら皇女として蝶よ花よと育てられ、ゆくゆくは国の利益になる国王や臣下の元に嫁ぎ、夫を支えるために生きていくなどという選択肢はあるはずもなく、私は齢4つにして帝王学を学びだすことになる。そして7歳にして崩御した父帝のあとを継ぎ、帝国の女帝となったのだ。
とはいえ、皇族の生き残りは傍流のみであったために私は国と結婚するなどということもできず、他の皇女と同じように夫君をもらうこととなった。以後7人の子を産んだ私は父の犯した帝国の立憲君主制の存続危機を救ったともいえるだろうが、夫は時折種馬のようだと嘆き、愛がほしいと私にゆっていたのを思い出す。そこに私は愛など感じたことなどなかったのだ。帝国というものが関わる事象について完璧なまでに結果を求めた私には確かに夫は皇族の頭数を増やすために必要な駒だとさえ感じていた。
ただ私の最期を看取った夫は私を愛していたとゆっていたから。その時初めてかわいそうなことをしたとおもった。
愛がほしいとゆったのは寂しさからや皇帝の夫という男としては日影の存在になったがゆえの矜持でもなく、他の夫婦と同じように妻を愛していたから愛を返してほしかっただけ。
帝国のために生きる人生は変えられないとしても、もう一度戻れるならば、かの人に少しばかりの愛を囁き仲睦まじい夫妻として歴史に名を残すこともしてみてもいいのかもしれない。
でもそうしたらあの男はどんな顔をするだろうか。裏切りだとゆうだろうか。心は私のものだと怒るだろうか。
遺してきた者のなかで我が子よりもよっぽと気がかりなあの男。死ぬのならば遺言の一つでもあててやればよかった。今頃後追い自殺などをしていないかが気がかりだ。あの男は帝国の発展に誰よりも重要な男なのだから。
国に関わることについては何度戻ろうと私は全てにおいて同じ選択をする。それは奢りでもなんでもなく、事実常に最善の選択をしてきたし、後悔に値するなどは思わない。ゆってみれば後悔なんてものはないのだ。
ただ、死してはみな平等だ。皇帝としての重荷がおりた私には夫やあの男への後悔ばかりが胸をよぎってならない、、、