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息をすること  作者: 碧海昂冶
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4.呼吸と春

 ユーヤに抱きしめられた瞬間、私は窓の外に出られたのだと思う。真っ白な世界は、ユーヤの言ったとおり、気を狂わせるだけなんだと今はわかる。

 小春さんは今日も来てくれた。同じ年で、彼女は大学四年生だという。就職活動中らしいが、そういった素振りを見せていないのが、不思議に思える。

「まあ、なんとかなるよ」

 冬枯れの町並みが、窓の外に広がっている。すっかり落葉した木々は寒々しかったけど、それは私の心象風景のようで、少しだけ心が休まった。

 ユーヤが死んだ事を知ったのは、少し前だった。いや、本当はずっと知っていた。私があの日、公園から戻ると、二人の男がいた。一人は雄也。もう一人は隣に住む彼の友達だった。時々顔をあわせていたけど、私が来てから彼との距離が開いたのだと、ユーヤは笑っていた。その笑顔が寂しそうで、だから私は彼を抱きしめた。彼の孤独を少しでも慰めたかったから。

 あの日、雄也は血まみれで倒れていた。虫の息で、切れ切れの言葉を私に伝えていた。

「小夜は悪くないよ。小夜、守れなくてごめん」

 そう、この時初めて私は言葉を出す事が出来た。今まで言えなかったたくさんの言葉。人と傷つけてしまうのが恐くて出なくなった言葉。

「大丈夫。ずっと、ずっと好きだった」

 きっとこんなのは会話になどならない。一方通行の言葉は、私達の間だけの会話。彼の呼吸の音が静かになるのをずっと聞いていた。もう助からないこともわかっていたし、仮に助かったとしても、彼はそれを望まなかった。そう、ユーヤは目の前で倒れている彼を、守りたかったのだから。私は彼の腹に刺さった包丁を握り締め、引き抜いた。そしてベランダから川へ投げ捨てた。綺麗な放物線を描いて飛ぶ刃物を私は声も無く見送った。

 ああ、また失ってしまったと思ったら、泣きたくなった。実際泣いていたのかもしれない。私は彼の友人が生きているのか確かめる為に、首に手を当てた。

「小夜。君はもういらない。これからは僕が真壁雄也だ」

 虚ろな瞳は奇妙に歪んでいた。私の知っているユーヤとは別人の雄也がそこにいた。殺さなくてはいけないと思った。目の前の雄也を。

 その後どうなったかは知らない。ただ、おぼろげな記憶の中に「雄也を殺さないと」と叫んでいた私自身がいるように思えた。


 何度かあの人が、死んだ父に似た刑事さんがお見舞いに来てくれた。「あの二人を殺したのはお前だな?」と優しい声で聞いてくれた。そう。あの二人を殺したのは私だ。助かるかもしれないユーヤを見殺しにして、雄也になった彼を殺そうとした。だから、頷いた。

「雄也の首を絞めたのは私です」

 そう言ったとき、父に似た刑事さんが笑ってくれた。事件が解決するのは喜ばしい事なんだとわかった。今までお父さんのために何一つしてあげられなかった私。そう、きっと私みたいな異常者は、犯罪者になることでしか、誰かを喜ばす事が出来ないのだと思った。

 そして白い部屋に包まれた私は、ユーヤの言うとおり、狂ってしまった。

 でも、ユーヤはそんな私を救いに来てくれた。


「こんにちは。小夜さん」

「こんにちは。小春さん」

「どう? 少しは落ち着いた?」

「ええ。ユーヤは今頃天国ですか?」

「さあね。私天国とかそういうの信じてないから」

 さっくりと言う彼女は目をくりくり回している。可愛らしい人だと思う。

「でも、幽霊は信じるんですよね?」

「そりゃね。見えちゃうもの」

「私にも見えました」

 そう。あの時、私が見たのは小春さん一人だった。あの時の会話は今でも不思議に思う。小春さんの表情が彼女の持つそれとまったく異なって、ユーヤ本人と間違えるほどのものだった。声も、動きも、その全てがユーヤとなんら変わりは無かった。

 本当にユーヤの魂が小春さんの身体に入っていた。

「よかった。正直、ああいうのって、お芝居みたいで辛いんだよね。馬鹿にもされるし、変な目で見られるし」

「変じゃないですよ。だって、私。ユーヤを感じましたから」

 そう。私はこの白い部屋から抜け出すことが出来る。彼のいない世界だけど、彼の想いは、私の胸の中にある。

「小夜さん」

「なんですか?」

「ユーヤさんは救われたんだよ」

 それだけで十分だった。途方も無い道のりをこれから歩いていくのだと思う。ユーヤの痛みも、苦しみも、全部受け入れて、私は私の道を歩いていくしかないのだと思う。

 しばらくは孤独な旅路になるんだと思う。でも、きっと、いつかユーヤが目にしたかった風景を私は見るのだと心に誓った。

 冬枯れの町並みは、歩き出す私の一歩を支えてくれる。そんな気がした。

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