06 『そっちは左でしょ』
少し前まで混雑二歩手前程度だった南門通りの【開拓者組合】周辺は、昼タイムの狩りを終えた開拓者達でごった返している。
この調子では【開拓者組合】の中では行列が出来ているのは間違いないでしょう。
まぁ私には関係ないので別に問題はないのですけど。
人が多ければそれだけ露店の方の売上も期待できる。
というかもう実際に『カッパーバケツヘルム』は3個売れているし、その売上で素材の買取も順調に進んでいたりします。
ただやっぱり予想通りに『魔術陣』の方はさっぱり売れない。
露店を覗いていく開拓者も『魔術陣』が相場よりも少し安く売られているので気にはなっているみたいだけど、彼らも消耗品の攻撃アイテムにかけるほどお金に余裕があるわけではないのは一目瞭然。
装備が中途半端な状態なんですからそりゃあわかります。
まぁおかげで『カッパーバケツヘルム』も売れるんですけどね。
やったね、バケツ仲間が増えるよ!
『カッパーバケツヘルム』が売れて温まった懐も、素材を買取ればすぐに冷え込んでしまうのは仕方ないことです。
基本的に生産しかしない私にとっては製作したアイテムを販売して、その売上で次の製作に使う素材を買い取るのが一連の流れでもあるわけですからね。
序盤はこの繰り返しでスキルLvを上げていくのです。
販売するアイテムももう残り少ない、というか売れないと思う物が大多数を占めているのでそろそろ露店も終わりかな?
そんなことを思い始めたところで『IDメール』の着信を知らせるマークが視界の端で可愛いダンスを踊り始める。私の設定は兎のダンスです。
『IDメール』は【ふろんてぃあーず】などのVRゲームをプレイするのに必要な機器に付属している大本の通信手段の1つで、どのゲームをプレイしていてもコンタクトが取れるという大変便利な代物です。
その代わり画像や動画などの添付ができなかったりと制限が一応ありますが、とても便利なことには変わりないので問題ありません。
もちろん『IDメール』という名称通り、VR機器に設定されているIDを知っていないと使えないのですけど、私のIDを知っている人はそれほど多くない。
思考操作で『IDメール』を開いてみると従姉妹のミカちゃんからでした。
「右斜め前方?」
「そっちは左でしょ」
簡素な文面に首を傾げながら顔を上げて書かれていた方向に顔を向ければ、速攻でツッコミを頂いてしまいました。
この声はミカちゃんです、間違いない。でも私から見たら右斜めで合ってたんですよ?
「やっほー。やっぱり合ってたね。じゃあフレ登録よろしくー」
「はいはい、登録っと。でもミカちゃん南門の方で狩りしてたの?」
笑顔の眩しい金髪ボブカットの兎耳の元気っ子と握手を交わす。
彼女は現実の方でも仲の良い従姉妹で同い年の御堂美香ちゃん。通称ミカちゃんです。
でもどうやら【ふろんてぃあーず】での名前はミカンのご様子。やっぱりミカちゃんですね。
私の名前については知り合いなら慣れているので野暮なツッコミはなしなのです。
以前にスタートする国については話していたこともあったので、この出会いに驚きはあまりなかったりします。まぁ予想よりもだいぶ早い遭遇だとは思いましたけど。
「予想してたよりも狩場の混み具合が酷かったからねぇ~。仕方なく林の方に行くことになっちゃってね。
まぁでも戦果は上々といったところかな」
「そうなんだ。ものすごい人の数だから仕方ないよね」
まったく狩りをしていないので予想でしかなかったけど、やっぱりどこも混雑していて大変だったらしい。
うんざりした顔のミカちゃんの様子だけで、どれだけ酷かったのかがわかるというものです。
「うんうん、ところでバケツさんや。私にもそのクッションを1つくださいな」
「はいはい、まいどありがとー。ミカちゃんには特別にカバーに名前を刺繍してあげましょー」
「やったー! やったー?」
「ありがたく思うがよいぞー」
「ははーありがたやありがたやー」
そんな会話の中でもミカちゃんは目聡く私が座っている『座布団クッション』を見つけているあたりしっかりしている。
この手のクッションはβテストでも売ってなかったはずですからね。
そう、ミカちゃんは私が見事に落ちたβテストに受かっていて、かなり集中してプレイしていた1人なのです。
本公開前にもトッププレイヤーになってやる、と意気込んでいたのを覚えています。
そんなミカちゃんは私とは真逆の完全な戦闘メインのプレイヤー。
『座布団クッション』は戦闘では役に立たないけど、βでは見なかったアイテムだけに心惹かれる物があったのでしょう。
刺繍糸も針もないけど、名前くらいなら『初級裁縫セット』の『れんしゅう針』で十分にできる。
ささっとミカンと縫ってあげれば完成です。
これでもう転売出来まい。ハーッハッハッハ。
「バケツさんは宣言通りに生産オンリーでいくんでしょ?
だったらアイアン系の胴装備で★3以上のが出来たら売ってー」
「いいけど……カッパーの次ってブロンズでしょ? 飛ばしてアイアンにするの?
それにのんびりやるからすぐには出来ないと思うよ?」
ミカちゃんご所望のアイアン装備は防御力を重視した重装系統では性能順で行くと、カッパーの次の次の装備になる。
初日でアイアン系統にまともに手を出しているプレイヤー生産者は恐らくいないはずです。
なぜならスキルLvが低すぎてインゴットすら作れないでしょうから。
それは私も同じ事で、当分はカッパーでスキルLvをあげてブロンズに移行するつもりなのです。
アイアンに手を出すのはその後になるのでだいぶ先のお話。
「大丈夫だよー。あたしもすぐに買えるほどお金あるわけじゃないし、ゆっくりでいいよ。
出来れば店舗で売ってるのよりも性能がいいのが欲しいから頑張ってね!
じゃあ出来たら『コール』してね! 夜狩り行ってきます!」
「頑張ってねー」
「うん、またねー!」
いつも通りに元気なミカちゃんに手を降って別れると店じまいを始める。
ミカちゃんはトッププレイヤーを目指しているので夜タイムの難易度の上がった狩場でも問題なく突っ込んでいくようです。
というかそれくらい普通にやらないとトッププレイヤーなんて無理ゲーなので仕方ない。
ほとんどのプレイヤーは夜タイムには安全を考慮して狩りを行わないみたいだし。
狩場の難易度を下げれば夜にも狩れるだろうけど、現状は一番難易度が低いところでも昼に比べればそれなりの難易度になるのだから仕方ない。
それに本公開からそろそろ『現実時間』で6時間が経過する。
お昼を食べずにぶっ通しでプレイしていたプレイヤーなんかは『第一次制限』に引っかかるはずです。
【ふろんてぃあーず】では連続ログイン時間に制限を設けていて、『現実時間』で6時間が過ぎると30分以上の休憩を取るように警告される。
無視してプレイもできるけど、さらに『現実時間』で1時間経過すると強制的にログアウトされてしまい、『現実時間』で1時間のログイン制限が発生するようになっている。
『現実時間』で6時間経過する前にログアウトして15分以上の休憩を挟んでおけば特に警告などはこない。
私は諸事情で規則正しい生活をしなければいけないのでこの制限とは縁がないので特に気にすることもないけどね。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
初露店も結果は上々で次へ繋げるための素材もそこそこ買い取れた。
となれば次にやることは当然生産活動となるわけです。
露店中に思ったことはやっぱり刺繍用の道具が欲しいということ。
『座布団クッション』を作る分には必要ないけど、作ったあとに楽しい時間を過ごすには必須と言えます。
なので今回買取した素材を使って早速作るとしましょう。
残念ながら買取によって懐事情が非常に悲しい事になっているので、個室を借りるのはちょっと厳しい。
なので共有スペースを何度も借りる方法で複数の生産を行うのですよ。
糸や布などを製作するには『織』スキルや機材が必要で、刺繍糸なんかももちろんこっち。
素材はMOBから得られる糸や毛皮なんかを使えるので、今回は【首都サブリナ】近郊最弱のMOBであるララビットから得られる『ララビットの毛皮』を使用します。
『魔導紡績機』に『ララビットの毛皮』と『織』の講習報酬で貰った少量の『染料液』と『レシピ/織:刺繍糸25番』をセットして魔力を流すと、自動的に選択した糸が紡ぎだされるので最後に『完了処理』をすれば完成です。
『染料液』によって色を変えることができるので、様々な色の刺繍糸を簡単に作れる。
これを現実の工程で行ったら時間も手間もかかるのは言うまでもない。ゲーム万歳です。
刺繍糸を25番と5番の2種類で各色『染料液』を使い切るまで製作すれば一先ず刺繍糸は十分な量が作れたので次へと移るとします。
当然ながら刺繍糸だけでは刺繍をするのが大変なので、新たに施設を借りて『道具製作』を駆使して刺繍用品を製作していく。
中にはどうみても木材や金属の加工が必要な物もあるのに、素材としては必要なかったりする矛盾もある。
しかしそれは施設にある『道具製作』用器具――『魔導合成器』と『完了処理』の際の変化のおかげなので気にしない。現実の工程を再現する時にはもちろん必要になるけど私には関係ないのです。
様々な刺繍針、刺繍枠や糸切り鋏なんかを製作して一通りの刺繍用品は完成。
初めての『道具製作』だったので、時間いっぱい丁寧にレシピ通りイメージして作業を行った結果、ランクはなんとか★3をキープすることができました。
お次は『鍛冶』の出番です。
『銅鉱石』をメインに買取していたのもあって前回よりもずっと多くの装備製作が行えるのですよ。
新たに施設をレンタルしなおしてさっそく『鍛冶』開始です。
『銅鉱石』を『カッパーインゴット』にする作業だけでも数が多いので時間がかかってしまうけど、丁寧に作業すればそれだけ経験値になるので問題ありません。
完成した『カッパーインゴット』を使って本命の製作です。
ラッシュさんのご要望は、★3以上のカッパー装備なのであの時装備していた部位以外を作っていきましょう。
一番儲けの多そうな装備は胴装備なので、作るのは『カッパーブレストプレート』です。着心地改善の案も簡単ですしね。
『鍛冶アーツ/Lv1/成型』でカンカンカンカン、どんどん叩いて形を作っていけばあっという間に完成です。
『バケツヘルム』での練習が効いているのかどうかはわからないけど、『鍛冶』のLvも多少はあがっているのでなんとなくやりやすかった気がしないでもない。
その結果はランクに現れるので一目瞭然なのですよ。
====
カッパーブレストプレート
体/重装/★3/DEF+15/耐久80
====
結果は★3。
まぁ普通ですね。性能が変化するほどのレベルではないということです。
でも一応ラッシュさんのリクエストには応えられる物ですので『メール』を送っておきましょう。
戦闘中だったら『コール』は迷惑になりかねませんので。
お次は着心地改善のための実験ですね。
まぁ今回は他の装備装着時にも使えるように鎧下でも作ってみようかと思います。
『魔導ミシン』を使うにはまた施設をレンタルしなければいけないので今回もやっぱり手縫いです。そんな難しいものじゃないですし。
サイズなんかもメニューから装備すれば自動で調整が行われるので平均サイズで十分。簡単に型紙を起こしてさくさく『リネン生地』を裁断して縫っていく。
鎧下なので凝った物ではなく、非常に簡素な厚手の長袖の服といった感じの物が出来ました。
無論細部はお馴染みの『完了処理』による魔力を消費したイメージ補正で綺麗に仕上がってくれるのです。とはいっても丁寧に作業をしたのでランクが低くなるようなことはないはず。
====
リネンギャンベゾン・上
肌着・上/軽装/★3/DEF+4
====
装備箇所は肌着扱いになるようです。
肌着は初期装備としてもらえる『開拓者の服』が上下共にDEF+3なので十分でしょう。
ついでなので下の方も作ってしまおうと型紙を起こして同様に製作していく。
====
リネンギャンベゾン・下
肌着・下/軽装/★3/DEF+4
====
元々着心地改善のための物なので『開拓者の服』よりも性能が上なのはほとんどおまけみたいなものです。
まぁDEFが高くなるのはそれだけで十分な意味を持つとは思いますけど。
ちなみに肌着には耐久の設定がないですが、他の装備は全て耐久値を持っています。
ダメージを受けると耐久が減少し、0になると破損状態となり装備できなくなるのです。
そうなる前に耐久を回復させる必要があるのですが、現状ではNPCの鍛冶屋さんじゃないとできないはず。
プレイヤーでももちろん出来るようになるのですが、スキルLvを上げて専用の『アーツ』を取得しなければいけない。
まぁ早々耐久が0にはならないので大丈夫なんですけどね。でも油断してると破損状態になって装備が外れてひどい目に会うことになるので気をつけなければいけないのです。
ちなみに上下の服を1着手縫いで作って思うのは、施設をレンタルして『魔導ミシン』使えばよかったという思いでした。
難しくはないけど、さすがに大変だったのですよ……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『カッパーインゴット』がなくなるまで『鍛冶』のLv上げのために色々と作った結果――
====
カッパーヴァンブレイス
腕/重装/★3/DEF+5/耐久30
====
====
カッパーグリーヴ
足/重装/★3/DEF+9/耐久50
====
====
カッパーフォールド
腰/重装/★3/DEF+7/耐久50
====
これが新規製作品で、その他にも『カッパーバケツヘルム』を2つ、『カッパーグリーヴ』をもう1つ製作しました。
途中でラッシュさんからメールがあり、購入したい装備が『カッパーブレストプレート』、『カッパーグリーヴ』、『リネンギャンベゾン』の上下だったので『カッパーグリーヴ』だけ新たにもう1つ製作したわけです。
結構な数を製作したので『鍛冶』のLvが19まで上がり、『鍛冶アーツ/Lv15/抽出・改』を取得することができたけど、残念ながら『銅鉱石』は全部『カッパーインゴット』にしてあるので出番はまた今度ですね。
生産には魔力をいたるところで使うので魔力関連のスキルもゴリゴリ上がっていて、いつの間にか『魔力操作』『魔力回復力強化』『魔力強化』の3つがLv17まで上がっていたりします。
それはさておき、ラッシュさんと約束した時間に間に合うように【レンタル生産施設】を出れば、『ゲーム内時間』はすでに22時を少し過ぎたくらい。
ずいぶん長く生産活動を行っていたようです。
「ラッシュさん、お待たせしましたー」
「あ、バケツさん大丈夫ですよ。そんなに待ってませんから」
待ち合わせ場所にはラッシュさんがすでに来ていたのですがお約束のやり取りとは行きませんでした。ちくせう。
ラッシュさん、そこは今来たところって言わないと……。
気を取り直して頼まれていた物をちょっとおまけをしつつも販売。
それでも最初の露店の売上に近い額になるのですから美味しいです。
「この『リネンギャンベゾン』いいですね。防御力も上がるし、着心地もいいですよ。
『開拓者の服』と着比べてみましたけど、こっちのがいいです」
「それはよかったですよー。作った甲斐がありましたー」
「確かβテストにはなかったですよね、これ」
「そうみたいですねー。レシピで作ったわけじゃないので……まぁオリジナルですねー」
「おぉ……すごいですね」
「いやいや、これくらいはなんでレシピがないのってくらいなのでそこまでではないと思いますよー」
そう、『リネンギャンベゾン』は今私が持っている『裁縫』のレシピにはないもので、βテストの情報でもなかったもの。
でも鎧下って言ったら『リネン生地』の物が有名だと思うんですよねー。なんでないんでしょう?
肌着のレシピ自体は別にあるので、多分鎧下というよりは普段着のレシピが主になるからでしょうか。βテストでもそうでした。
それにしてもラッシュさんはどうやらソロで夜タイムにも狩りを行っているらしい。さすがはβ経験者っぽい人といったところです。
慣れていなければこの時期にソロで夜タイムはかなり大変らしいですからね。
まぁそのおかげで私の懐も暖かくなるのですから、これぞWinWinの関係というやつですよ。
そんな夜タイムの様子を楽しそうに話していたラッシュさんは、装備を新調できたので意気揚々と狩りに出かけて行きました。
それでは私も残りの製作品を売りにいきますかね。