勇者、雑魚を喰らう
イノシシの突進を跳んで避けたユードロスは、イノシシの体のはるか上を狙って横薙ぎに剣を振った。
聖剣はユードロスの狙いとズレた剣筋を描き、イノシシの鼻っ面をかすめて切り裂く。
剣先に伝わる肉の感触、血しぶき、悲鳴。
「よっし!」
狙い通りの成果に雄叫びを上げるユードロス。
彼は技量をレベルアップさせて経験と技量のズレを修正するのではなく、認識のズレはそのままに、ズレた分だけ剣の振り方を上に修正したのだ。
その結果、横に薙いだ聖剣はこの間のように足を叩くことなく、鼻に当たった。
――本当は目を狙ったんだが、まあ当たったからよしだ!
認識のズレがどの程度なのかよくわからないまま、てきとうに振った剣でおおよそ狙い通りにいったのだから彼の目論見は成功したといって良かった。
ともすれば聖剣は空を切っていたか、地面を叩いていたかもしれないからだ。
鼻っ面を傷つけられたイノシシは前足で顔をかくような仕草をし、怒りの目をユードロスに向ける。
そして突進。ユードロスはそれを避けつつ斬りつける。
相手にまっすぐ進んでいれば、いつかは相手に当たると信じているかのように愚直に突進を繰り返すイノシシと、技量不足故に三回に二回はイノシシの巨体を外してしまうユードロスの、低レベルな争いが長々と続く。
お互い泥まみれ、血まみれになりながら、息を切らしながらいつまでも続くかと思われた戦いも、次第にユードロスが優勢になっていく。 お互い泥まみれ、血まみれになりながら、息を切らしながらいつまでも続くかと思われた戦いも、次第にユードロスが優勢になっていく。
勇者として戦ってきたユードロスからしてみればあまりにも不十分で、剣戟のみであればユードロスより強かった『十三人の人類到達点』の姫騎士ソフィアならあまりの稚拙さに顔をしかめてしまうような剣さばきでも、通常であれば剣士としてそこそこの腕だ。
そこそこの剣士でも、攻撃を当て続ければ大森林のイノシシくらいは倒せる。普通はその前にイノシシの突進を避けきれなくなるものだが、ユードロスには最小限の体力消費で相手の攻撃をかわし続ける目もあった。
「ブフーッブフーッ」
フラフラになりながらも前足で勢い良く地面を引っ掻くイノシシの姿に、次が最後になるだろうとユードロスは予感した。
聖剣シミリスを持ち直し、息を止める。相手の呼吸音も聞き漏らさないように。まばたきを止める。相手の筋繊維の一筋一筋の動きを見るために。
そして――――。
「今ッ!」
ユードロスが突っ込んだ。
これまで待ちに徹していた彼が自ら動いたことで、今まさに全力の突進をするべく筋肉を動かし始めていたイノシシは面食らい、ほんの一瞬だけ、コンマ数秒だけ迷った。
結局意識とは別にイノシシの体は突進を始めていて、その意識と行動のズレが勝敗を分けた。
交錯する一人と一匹。
こういう際のお約束といえば先になんらかのアクションを起こしたほうが勝者になるものだが、この時はそのお約束の出来事は破られる。
ゆっくりとイノシシの体が力を失い、横向きにくずおれる。その音を聞いて、ユードロスも膝をついた。
肺が酸素を、脳と目が休息を求めて肩で息をしながら気を失いかけるという器用な真似をしたユードロスは、更に不快感と倦怠感に苛まれる体で激しく運動したツケとして呼吸を整えながら意識を保ちながら吐くという曲芸を披露することになった。それを見ているものは誰もいなかったが。
復活してから彼は何も食べていないため吐くといっても出てくるのは胃液ばかりで、口から喉からイガイガした痛みを我慢して、息絶えたイノシシに歩み寄る。
イノシシの片目には、ユードロスが突き出した聖剣が半ばまで突き刺さっている。
「最後の最後で、意識と行動を擦り合わせられたか……さすが」
寸分たがわぬ見事な急所への刺突を自画自賛しながら聖剣を引き抜き、血を払って鞘に収める。
そしてもう敗者に用はないとばかりに背を向け、ファルコンサインへ歩き出した。
ぎゅるるるるうううるるるるうりるるるるる!!
が、胃腸の猛抗議には逆らえず、小走りにイノシシの元へと戻る。
動かない的なら切るのはなんてないことであり、ユードロスは聖剣シミリスを包丁がわりにイノシシを解体した。
「……ゲフ」
しっかり腹八分目まで焼いたイノシシ肉を食べたユードロスは、誰もいないのをいいことに大きなゲップをした。
――前はこんなことをしたらソフィアが皮肉の一つも言ってきて、
「固いなーソフィアちゃんは」
とそれをからかったワンと喧嘩になり、どっちが勝つかでアルバーキンが賭けを始め、最近の若いもんはとぶつくさ言いながらラーズラースの爺さんがガ=グゥルと酒を酌み交わし、俺やミニャを含めた他の連中は巻き込まれちゃたまらないと逃げ出す――なんてことがあったもんだがなあ。
彼にとってはつい最近までの日常を思い出し、感傷に浸る。
それも束の間のこと、仲間のことを思えば思うほど帰らなければという使命感は強くなり、傷ついた体を動かす原動力になる。
弱体化した体で戦うための実験台になってくれ、ユードロスの糧となってくれたイノシシの残骸に手を合わせ、彼は再び歩き出す。
「さて、さっさとファルコンサインに行かないとな」
しかし数分後、シズンの目印からあえて離れていく彼の姿があった。
魔力探知で大量に群れている魔物が引っかかったのだ。ユードロスの理性は「今はそんなこと放っておけ!」と叫んでいたが、彼の体は自然と魔物のほうへと向かっていた。
自分がやらなくてはと思ったらすぐ行動に移すところが彼の長所であり欠点でもあり、勇者としての素質だったがそんなことは今の彼には関係ない。
「こんな所で寄り道してる暇なんてないのにっ! クソっ!」
と小声でぼやきながら、足早に魔力の反応があった場所に赴いた。
魔力をもたないただの野生生物相手ですら死にかけたのだから魔物相手、それも多対一では勝算はゼロに等しい。
だからある程度近づき、魔力の反応が窪地になったところだと分かった時点で大木に聖剣を突き刺して登り、気配を気取られないように慎重に窪地を覗き込む。
魔物の群れなんてものではなかった。
群れていたのは緑色の小さな体に粗末な鎧を身につけ、殺した人間から奪った種々様々な武器を携えた、最低位魔族――ゴブリンの一個中隊だった。鎧には、魔王軍の所属であることを表す、髑髏と薔薇の紋章があった。