ロザリアは譲らない《九》
カティが途方に暮れていた頃、ロザリアは一人、岩に腰掛けてニヤニヤと笑っていた。
口元はだらしなく緩み、普段はともするとキツめにも見られる目元も今は目尻が垂れ下がっている。さらに時々くねくねと体をくねらせる様は、誰がどう見ても不審者のそれだった。あたりに人影はないのは幸いだった。カティがこの光景を見てしまったら、ロザリアはまた床に寝かされることになっただろう。
それだけ、老人に褒められたーーと少なくとも彼女はそう思っているーーことが嬉しかったのだ。
とはいえ、老人がロザリアを褒めた後に続けた言葉も忘れてはいない。
散々悶えてニヤニヤして満足したロザリアは、老人の言っていたことを確認するように繰り返す。
「もう一歩先……。もっと便利に、か……。自覚しろって言われてもなあ」
彼女はお手玉のように鉄球を放り投げてはキャッチし、また放り投げ……を繰り返し、改めて鉄球の重さを計る。上に放り投げるだけでもロザリアの細腕では筋肉が悲鳴をあげるような代物だ。
今朝、突風で動いたのは不安定な場所に置いていたからで、安定させてしまえばそれなりの風では動かせないだろう。
ロザリアがどれだけ頑張っても、そよ風程度しか吹かせられない以上は不可能に思える。それでもとりあえずはもう一度風の魔法を試してみようと手を伸ばしてから、首を振って考えなおす。
「いやダメだダメだ! 爺さんはなんて言ってた? 便利にしろって言ってたんだ。便利だから使うんだってば。風の魔法を使うとして、手で動かすより便利か? 違うだろ!」
アタイの馬鹿野郎! と自分自身を叱咤して、ロザリアはぶつぶつと独り言を続ける。
「便利だから使う……。カティの光球は火を熾してるよりも簡単だし、明るいし、点けたり消したりが火をよりもすっげえ楽だ。うん、爺さんが褒めるのも分かるくらい分かりやすく便利だ。アタイの魔法はそよ風を吹かせて草を避ける程度。それでも葉っぱで手を切らないって利点があるから使ってる。やっぱり道具をなしで怪我を防げるってのは便利だから使ってるんだ」
ロザリアは魔法の感覚を確かめるつもりで、目の前の草原に魔法を放つ。彼女が放った魔法は、数メートル先の草を揺らして、そこから先はあたりに吹いている風に混ざって分からなくなった。
「でも、その程度の便利さだ。同じ初級魔法とはいえ、カティのなんかとは便利さがぜんっぜん違うんだよなあ……。その魔法をもっと便利に……手で動かすより魔法で動かすほうが便利にってことだよなあ? でもそう言われてもなあ」
ロザリアも今なら分かる。自分には老人のような魔法の才能がないということを。
唯一使える風の魔法ですら、同じ初級魔法を使っているカティとは雲泥の差。もしかすると子供たちよりも下かもしれない。それをもっと便利にと言われても、ロザリアには便利になった魔法を想像もできない。
「風の魔法を便利に……風の魔法を便利に……」
呟いていて、何かおかしいことに気がついた。別に何も、老人は「風の魔法を」なんて言っていなかった。そもそも、風の魔法を便利にしろと言いたいのなら、ロザリアが鉄球を手で動かした時に彼女を褒めたりはしないだろう。
そこに気付いた時、ロザリアの中で何か回路が繋がるような、パズルのピースが嵌るような、そんな音がした。
それはロザリアが、自身の魔法を自覚する第一歩だった。
「そうだよ。別に風の魔法を発展させる意味なんてねーんだ。とにかく手で動かすよりも便利にしてみせろ、と。自分の魔法を自覚しろって、と。それだけの話じゃん」
彼女は答えを見つけた! とばかりに小さくガッツポーズを作ったが、すぐにその手が宙を漂い始める。
「でも、風の魔法以外にアタイが使える魔法なんてねーじゃん。どうしろって?」
また思考の袋小路に入るロザリア。しかし、今の彼女は老人の言葉を信用していたし、自分にも出来るという自信があったし、褒めて欲しいという強い欲求があった。だから思考することを諦めない。
「違うだろアタイ! 風の魔法を便利にさせる意味なんてないけど、別の魔法を覚える必要もなくて、この魔法がアタイの魔法なんだから、この風の魔法を便利に……ってあれえ? おかしいおかしい! ちょっと待ってよ!」
ロザリアは段々と混乱し始める。鉄球を傍らに置いて両手で頭を抱えこむ。
「あーもうわっけわかんねえ。整理だ整理! アタイはアタイの魔法を便利にして、鉄球を動かしたい。手で動かすのよりも便利に動かしたい。だけどアタイが使える風の魔法はそよ風しか吹かせられなくて、他の魔法は覚えられなくて、風の魔法を便利にしようとしても、風を強くすることはできない……やっぱり詰んでねえか?」
うーんと唸るロザリアの脳裏に、老人がかつて言った一言が浮かんだ。
「お前さんの魔法は間違ってるのう」
「何が間違ってるって、根本から?」
あの時はただ憤りを感じただけだったが、今、その言葉が彼女にある閃きを与えた。
「風の魔法じゃ…………………………ない?」
言ってから、自分でもなぜそんな閃きに至ったのか不思議で、ロザリアは無意識のうちに口を塞いだ。それでも思考は続き、彼女の口は思考を勝手に言語化していく。
「爺さんは鉄球を動かせと言った。アタイは手で動かしてそれに答えた。爺さんはそれじゃまだ不十分だと言う。アタイの魔法を便利にしろと言う。手で動かすとかよりも。アタイは鉄球を手で動かした時、何か物を使ったか? 使ってないよな? じゃあ、魔法で鉄球を動かす時、風の魔法で動かす意味ってなんだ? なんでそんな遠回りをしてる? 簡単だ。アタイがアタイの魔法を、風の魔法だと思ってる……いや、思ってたからだ。それが根本的に間違ってるってことなんじゃないのか? だとしたら、もっと便利に、もっと直接的に、もっとアタイのやりやすいように……」
思考は言語化され、言語化された言葉は実践される。
ロザリアは極々自然に、傍らの鉄球を指差して、あっち向いてホイでもするかのような手つきで人差し指を動かした。
鉄球が、彼女の指の動き通りに岩から射出され、地面にポトリと落ちる。ロザリアは鉄球を指差したまま、タクトを振るようにして指を動かした。鉄球が、指先で彼女が空中に描いた線を辿って宙を飛び回る。ゆっくりと指を振ったところはゆっくりと、早く指を振ったところは素早く草を蹴散らして。
「そっか、これがアタイの魔法……。物を動かす魔法か。アタイがアタイの魔法を風だと思い込んでたせいで風を経由して物を動かしていただけで、実態はもっと単純な物だったんだな……」
彼女は納得しながら鉄球を動かし続ける。鉄球はどれだけスピードを上げてもしっかりロザリアの魔法の制御下に置くことができ、草原程度の障害物はへし折って突き進む。どころか岩すらスピードによっては砕いて押し通る。
「なんか……凄くね」
自分の魔法の持つ可能が元々ロザリアが思っていた風の魔法とは比べようがないくらい強力な物だと実感していくと、冷静だった彼女の顔にまたニヤニヤとした笑みが浮かび始める。
ニヤニヤ顔から小さな笑い声がもれるようになり、最終的にははた目にはっきりとそう分かるくらい、彼女は調子に乗った。
ふへへへへへ、と不思議な笑い声をあげるロザリアは、ない胸を精一杯張った。
「ふっふーん! これでまた爺さんがなんて言うかなー。カティもびっくりするよなー!」
早速褒めてもらおうと彼女は鉄球を左手で浮かしながら、右手で邪魔な草を動かし、駆け足で家へと向かっていく。
褒めてくれる、びっくりしてくれると思っていたロザリアの考えは当たっていた。ただ、カティは錯乱していた老人の言葉の真意を測りかねて既にショート寸前にまで混乱していた。そのため、さらなる事態にパニックになったカティに、
「ちょっとロザリアちゃんはもう少し自覚しないままでいて!」
と理不尽な怒りをぶつけられることとなる。
「な、なんでぇ!?」
カティには怒られ慣れているロザリアも、さすがに半泣きになった。




