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勇者、更に逃げる

 ユードロスは目に飛び込んできた「ミニャが国に捨てられた!」という文字列を一瞬理解できず、頭の上に疑問符を浮かべて首をかしげた。


 文字の意味は理解できるはずなのに彼の脳は理解を拒み、メモ書きをただの紙切れとして認識してしまう。現実と意識の剥離に目眩を覚え、彼は膝をついた。


 たっぷり十数秒固まった後、ユードロスはようやく現実を受け止めた。


 文字列が意味のある言葉となり、その意味を理解する。


 ――どういうことだ? 彼女は、ミニャは一度は出奔したとはいえ第一皇女だぞ……? その彼女が……国に捨てられた……?


 頭の上にあった疑問符がぐるぐると回り出す。


 ラーズラースの言葉の真意を知りたくて、震える手で彼はメモ書きをめくった。


「後継者――魔法の才能が有るものよりも学ぶ気の有る者? ――自らの全てを託せる者――数多くの弟子を抱えるのは無理? ――できれば若くてエロい美人」


 そこに書かれていた箇条書きは前のページとは全く関係のない文章だった。


 ――あのどんだけ金を積まれても、どれだけ頼み込まれても人に自分の魔法を教えようとしなかった爺さんも、とうとう後継者を育てる気になったらしい。


 なんて呑気なことを考えている余裕は今のユードロスにはない。


 乱暴に次のページ、次のページと捲っていき、ミニャや仲間たちのことについて書いてある場所を探していく。


 ラーズラースのメモ書きは、明日の買い物の予定の次に魔法理論についての考察が書いてあったり、はたまた狂ったような乱雑さで「このまま朽ちてたまるか!」などと書いてあったりと脈略がない。


 それはまさしく気の触れた老人が書いた書物だった。


 ――ラーズラースはボケてきてる時はあったが、それでもこんな……おかしな文を書くような人間じゃなかったはずだ。……何が、何があった?


 ラーズラースの気が触れてしまったことと、ミニャが国に捨てられたという文章が関わってきているように思えてならないユードロスは、何か手がかりがないかと前の方も捲っていく。


 ユードロスの期待通りにはいかず、メモ書きの前半も脈絡のない文言で占められていた。


 メモ書きは魔王との決戦以前から書かれていたために、時として仲間――特にミニャやソフィアと言った女性陣の名前がよくあがっていたが、決戦以降は全く仲間たちへの言及がない。


 さすがに鈍感なユードロスも違和感を覚えてもう一度メモ書きを見直す。一ページ一ページを丹念に開いてみて、ようやく、破いたあとを発見した。

 ユードロスはラーズラースの行動を想像する。


 ラーズラースは決してどの国に帰属することなく、魔法の探求のために旅を続ける流浪の魔導師だ。コーダストリア皇国出身ということでコーダストリアに思い入れがあるらしいが、それでもコーダストリアに居着くことはなく、老いてなお旅を続けている。そんな彼は何か目的があったのかそうでないのか、ファルコンサインにやってきて、教会を宿がわりに使っていた。


 世界最高の魔導師で、魔王を殺した『十三人の人類到達点(ボーダー)』の一人が来たのだから人々は会いたがるだろう。意味は違えども、魔王を殺された魔族だって会いたがる。


 ラーズラースはウィリディス伯爵に化けている魔族に狙われていることを察知して魔法を仕掛け、逃げ出した。その際、持っていけない物の中に魔族に渡したくない情報があったらどうするか?


 分厚い書物を丸々処分するのは手間だ。


 だが、渡したくない情報を書いた部分だけならば?


 ユードロスはそこまで思いいたり、部屋の隅に設置されている暖炉を覗きこんだ。


 夏場の今は使うことのない暖炉の前には衝立がある。それをどかして見てみれば、紙の燃えかすが残っていた。


 紙切れのほとんどが灰になっていたが、燃え残った部分もある。


 崩さないよう細心の注意を払って拾い上げる。


 ユードロスが知りたかった、かつての仲間たちの近況がそこには綴られていた。


「――――シズンは教会に連れていかれ―――――ガ=グゥ――人里を――――」


 断片的ではあるが、今の彼にはそれで十分だった。少なくとも、シズンとガ=グゥル、それにラーズラースは生きている。


 ミニャの身に悪いことが起きていると示唆された今、一部しか分からないと言えど、仲間たちが生きているという情報は彼には救いだった。


 ――だが、ラーズラースはだいぶ参っているらしい。


 少しだけ冷静になったことで、ユードロスはラーズラースの爪の甘さに気づかされた。


 ――何も切りとって燃やす必要なんかない。ラーズラースなら幻影魔法を設置しておけば書物を読まれる心配なんてない。やっぱりボケがかなりひどくなってるな……。


 ユードロスはラーズラースが残した紙に魔法で火をつける。


 ちろちろと弱々しい火が紙を舐めていき、メモ書きはただの灰になっていく。


 そして全ての情報が灰に消えたその瞬間――。


「行け行け行け! 侵入者を捉えよ!」


 ノックもなしに扉が開け放たれ、兵士たちがなだれ込んできた。


「オイオイオイ! なんでだ!?」


 ユードロスは知るよしもない。


 以前この部屋を使っていた人間を監視するために、教会の尖塔には薄い壁を隔てて数本のパイプが設置されており、そのパイプが尖塔の部屋の音を増幅させて司祭の居室へと届けていることを。


 司祭が尖塔に怪しい人物がいると領館に通報していたことを。


 魔法ではなく、ただの仕掛けである以上魔力探知も意味はなく、なぜ発見されたかをユードロスが気づくことはなかった。


 ユードロスは抜き身の剣を構えた兵士たちにじりじりと追い詰められていく。


 ――ここで捕まるわけには……! でもどこに逃げ場が?


 目の前に立つ兵士たちを切って捨てるわけにはいかない。彼らは何も知らず領主の命令に従っているだけだ。


 人のために魔王と戦ったユードロスには、ヒトを切ることなどできなかった。


 かといって捕まるのはヒトを切る以上の悪手だ。


 ユードロスが迷っている間に兵士たちは包囲の輪をじりじりと積めてきて、気づけば彼の背中が窓に当たっていた。


 さっきから何回も開けたり閉めたりしていた窓だ。


 ラーズラースはそこから魔法で逃げたが、火を出せる程度の魔法しか使えないユードロスでは窓から逃げ出そうとしても、数十メートル下に叩きつけられて肉塊になるのが関の山だ。死ねば魔王の元に戻れるのだからある意味では逃げられるが、何年先に復活するのかが分からない方法は使いたくはなかった。


 窓からは逃げられない。


 ――だけど、本当にそうか?


 ユードロスは考え直す。そして魔力探知で窓の外に意識を向けた。


 幸運にも、その魔力は使われた魔法の残滓ではなく、まだ生きている、設置型の魔法だった。それも、扉の外にあるノッカーと同じで、触れば発動する魔法だ。


 ――よっしゃ! ラーズラースには感謝しないとな。……ラーズラースがいなければここにも来てないか?


 ユードロスが黙考しているのを、兵士たちを率いていた隊長は諦めととったらしい。


「小賢しい侵入者め! 武器を捨てろ! さもなくばァっ!?」


 厳しい声で、威圧的にユードロスへ命令する。その声の調子が急に上擦った。


 ユードロスが窓を蹴破って飛び出し、何もない宙に身を踊らせたからだ。


 内臓がひっくり返るような不快感がユードロスを襲う。しかし、これくらいの不快感であれば魔の大森林を経験した彼にはないようなものだった。


 それでも全身に感じる風ともの凄い勢いで迫ってくる地面が、落下しているという実感を抱かせ、彼の体をを震えさせる。


「おおおおおおおおっ!!」


 抱いた恐怖感を叫び声で無理矢理打ち消す。


 風圧で開けづらい目もカッと見開き、魔力探知に集中する。


 ラーズラースの魔法は点々と尖塔の壁に設置されている。そのどれかに触れれば魔法が発動する仕組みだ。


 とはいっても設置されている魔法の一つ一つは手のひらくらいのサイズしかない。


 一瞬で目の前を過ぎ去っていく魔法の一つ一つ、回転する自分の体、意識と技量のズレ……様々な要素にユードロスは神経を研ぎ澄まし、タイミングを見計らって長剣で突く。


 強運の持ち主だから勇者なのか、決めるべきところで決めるから勇者なのか。それは定かではないが、狙いたがわず、魔法の一つに剣先が触れた。


 途端、彼の体に殴られたような衝撃が走る。パキン、と乾いた音を立てて左腕が折れる。


「ぐぁッ! ぎっ! あッ! ギゅっ!」


 更に背中に衝撃――頭に――足に――脇腹に――。



 訳もわからず衝撃に耐えるユードロス。


 上からそれを見ていた兵士の一人の目には、不思議な光景として写っていた。 飛び降りた侵入者がやけくそとばかりに剣を振った次の瞬間、そこにあった何かに彼の体が叩きつけられ、彼の体は回転し、落ちる。また見えない何かに当たり、回転、当たり、回転、当たり、回転。


 それは不可視の階段だった。


 ユードロスは見えない階段を転げ落ちていく。


 落下の勢いは死んだため地面に叩きつけられた時の衝撃はそれほどではなかったものの、位置エネルギーは運動エネルギーに変わり、ボールのように道を転がっていったユードロスの体は、民家の壁にぶつかってようやく止まった。

「ッう~……!!」


 背中を強打し、声にならない叫び声をあげる。


 しかし、這いつくばってはいられない。


 尖塔から身を乗り出した兵士たちが、飛び降りたユードロスが生きていることに気づいて騒いでいるからだ。


 幸い、見えない階段を降りる勇気のあるものはいなかったが、あれだけ騒いでいれば哨戒の兵士がやってくるのも時間の問題だろう。


「死ぬ時に感じた痛みに比べれば、このくらいの、怪我が、なんだって言うんだ!」


 ユードロスは強がってみせたが、その左腕は肘が反対に曲がり、額はパックリと割れて心臓の鼓動にあわせて真っ赤な血が吹き出る。


 瀕死の状態ながら、彼は落下の衝撃で真ん中から折れてしまった剣を杖がわりにして走り出す。


 彼が目指すのは街の外へ通じる門――中でも一番近い南門だった。


 もはや哨戒の兵士に見つからないようになどと考えいる余裕などなく、彼はただひたすら大通りを走っていく。


 彼の考えなしの行動が奇跡的な結果を生む。


 哨戒の兵士は侵入者の隠れていそうな小路を重点的に見ていたし、尖塔に突入した兵士はあの怪我では遠くには行けないと踏んで、尖塔付近の小屋などを虱み潰しに探していた。


 それでも哨戒していた兵士が大通りに出る瞬間もあったのだが、ユードロスはそういった兵士にも会わなかった。


 警戒されている中で目抜通りを走って見つからない、という非常に運のいい偶然があり、あまりにあっけなくユードロスは南門にたどり着いた。


 しかし、さすがに門には警備の兵士がいる。通常でも厳しい警備がなされているが、侵入者もあった今日は更に人員が増えていた。


「オイお前! 大丈夫か? 何があったんだ!」


 警備の一人がユードロスに気付き、走りよってくる。新兵の格好をしていたため、彼はユードロスを仲間だと勘違いしたらしかった。しかしそんな間抜けは一人だけで、後の数名が身構える。


「待て! こんな時間に個人行動をとる兵士がいるか!」


 兵士の一人が周囲に確認するように声を張り上げ、それに応えて兵士たちが剣を抜く。


 遅れてユードロスに近づいていた兵士も不馴れな様子で剣を抜く。


 兵士たちが身構えても、ユードロスの歩みは変わらない。まっすぐ門を向いていて、兵士たちを見ようともしない。


 彼はかなりの量の血を失っていた。視界は狭まり、手足が冷えてきていた。兵士たちの叫びも聞こえない。


「止まれ!」


「止まらんかァ!」


「切られたいのか貴様!」


「兵士なら所属と階級を言え!」


 何度となく魔王軍と戦い、戦に慣れていたデジー公軍と違い、ウ゛ィリディス伯爵軍は精強とはいえ人を切ったことのある人間が少ない。


 だから兵士たちにはためらいがあり、多人数でいることによって「自分以外の誰かがやってくれる」という感情がその場の全員にあった。


 結果として瀕死のユードロスが、多人数の兵士を圧倒する形になる。


 剣を構えたまま後退していた兵士たちも、背中に門を間近に感じるようになってさすがに焦りを覚えた。


「警告はしたぞ! 貴様!」


 焦りを打ち消そうと兵士の一人が叫び、叫びは殺気の塊としてユードロスにぶつかる。


 ユードロスは殺気を向けられてようやく、自分が門の前まで来たこと、兵隊と対峙していることに気づく。


 彼はぼんやりとした頭で、兵士一人一人を見ていく。


 ただの農民から勇者になりあがるまで、そして成り上がってからも数多の修羅場を潜ってきた男が素で放つ殺気は、到底一兵卒が受け止められるようなものではない。


 普段は理性と間抜けさが隠してくれている抜き身の剣のような殺気に当てられて、兵士たちが震え上がった。


 兵士たちなど眼中になく、ただ門の外に出なくてはという思いで頭が一杯なユードロスは蚊の鳴くような、自分に言い聞かせるような声で言う。


「俺は、外に出る」


 聞き取れるか怪しい程の小声だったにも関わらず、兵士たちは一人残らず正確にユードロスの発言を聞き取り、そして一人残らずこう解釈した。


 ――邪魔をしたら、殺す。


 さっきまでの威勢はどこへやら、兵士たちは脱兎のごとく逃げ出し、ユードロスに進路を明け渡す。


 ユードロスを阻む物は、分厚い門扉だけとなった。


 高さは馬車二台分、幅は馬車一台分――街の規模に比べてかなり小さいのはもし魔族が侵入してきても一気には入れないようにするためだ――。そして何より厚さは大人の肩幅ほどもある重厚な門扉。


 ユードロスはそれをつかの間の間見上げていたが、おもむろに折れた剣を振りかぶり――。


「フッ!」


 一閃。


 更に降り下ろした剣の勢いそのままに体を捻り、一閃。


 最後に一度荒れた息を整えて、一閃。


 計三回切りつけてユードロスはしりもちをつき、何度か失敗しながらゆっくりと立ち上がった。


 と同時に、門扉の一部が四角く切り取られ、ゆっくりと向こう側に倒れていく。


 皮肉にも、意識のほとんどない今、彼の体は意識と技量のズレすら忘れ、かつてと同じだけの力を発揮していた。


「出るぞ」


 ユードロスは誰にともなく言い、門の外に消えていく。


 彼を止められる者など、誰一人としていなかった。

 文章が長くなったためか投稿が遅くなりました。


 次回からまたロザリアの話に戻ります。

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