勇者、読む
病室のベッドから抜け出し、ユードロスは病室の窓に足を掛ける。
他の負傷兵たちとともに病院へ運ばれ、治療を受け、ベッドに寝かされ……と大人しくしていたが、混乱が収まって治療を受けたユードロスの顔を古参の兵士が見れば彼が兵士ではないのがばれてしまうかもしれない。だから彼は夜のうちに病院を抜ける予定だった。
この事態に巻き込んだ負傷兵たちはぐっすりと眠っている。夜中にたたき起こされ何人もの兵士を治療した医師も今頃いい夢を見ているだろう。
死者がでなかったのが不幸中の幸いだったが、ユードロスは巻き込んでしまった負傷兵たちに負い目がある。
彼は足を窓枠にかけたまま両手をあわして目をつむり、無言で彼らたちに謝ってから寝静まったファルコンサインの街中へと降り立った。
侵入者がいたことで街中でもヴィリディス伯爵軍の兵士たちが目を光らせていた。
領館が少しとはいえ爆発したということで一部の家の住人も目を覚まし家の灯りを灯している。その灯りが外にも漏れ、思いのほか街は明るくなっている。
そんな中を歩いていく勇気はユードロスにもない。それに、ヴィリディス伯爵に化けている魔族が何をしようとしているのか見極めるためには、どこか拠点が必要だった。
幸いにして、彼はファルコンサインの町をよく知っている。隠れられるような場所も把握していた。
彼は哨戒の兵士たちをやり過ごしながら、その隠れ場所――教会へと彼は向かっていく。
教会はクールド教の教えを広める場であり、彼ら教徒の祈りの場であり、回復系のスキルを先天的に持って生まれた異能者が御使いとして修行する場である。
だからどの街の教会も複数人が生活できるだけの大きさがあり、ファルコンサインのような大きな町になるとその規模は領館に匹敵する。
それだけの大きさがあるのに、今その教会は最低限の人員しか居住していない。来賓が泊まる尖塔にも、誰もいない。
おそらくそうなっているだろう、と予想していたユードロスは、空き部屋の一つに腰を落ち着けて、最後に加わった『十三人の人類到達点』の一人を思いだす。
それは魔王との決戦の半年前。ファルコンサインに入ったユードロス達が魔族の猛攻を受けたときのことだ。
次々と傷つき戦えなくなっていく仲間たちに、ユードロスもさすがに死を覚悟した。そこに教会の人間たちに護衛されて現れた、ごくごく普通の――しいて特徴をあげれば黒髪黒目という、この国には珍しいモノトーンな色彩が印象的な少女。
「あ、わ、私が治しましょうか?」
彼女がおずおずと言い、負傷者に手をかざしたところ、骨折や切り傷はともかく、零れ落ちてちぎれた臓腑や石つぶてに潰された人体すら治してしまえば、彼女が教会の保有する異能者の中でも有能な人間だと誰だって理解できる。
真面目一徹のソフィアあたりは「あんな人材がいたのなら出し惜しみしなければより多くの人を救えたのでは?」と憤っていたが、その、シズン・タカッカという名前だと紹介された少女がつい最近になって教会に保護された異能者と説明されたあとは何も言わなくなった。どころか最終的に『十三人の人類到達点』の中でシズンと最も仲良くなったのがソフィアだったというのがユードロスにはおかしかった。
そうして強力な異能者を仲間に加えたユードロスたちは魔族の猛攻を防ぎ切り、反撃に打って出るだけの力をつけた。
そんな物語も今は昔。ヴラス卿に毒針で胸を貫かれ、死亡したシズンがクールド教国大聖堂に送られ復活したのかしないのか。それは分からないまでもシズンが今いないのは確かで、シズンがいない以上彼女の護衛についていた教会の人間もいない。
シズンがいた時点でもファルコンサインにいる教会の人間は少なかったというのに、魔族の大侵攻で教会の人間も数多く命を落とした今、人員が補充されていることはないだろうというユードロスの読みは当たっていた。
ほこりのかぶったベッドに横になったユードロスは、そういえばラーズラースも尖塔に泊まっていたんだよな……と思いだし、体を起こす。
管理と儀礼のためにいる教会の司祭や小姓数人を起こさないように気を付けながら、彼は尖塔の先にある部屋へと入る。
そこにはラーズラースの物と思われる荷物がそのまま残されていた。
彼が肌身離さずもっていた書物や巻物が床に転がっている。着替えのローブは壁にかけられて、開けっぱなしの窓から吹き込んでくる風に揺れている。
ここには泊まる人間しか入ってはいけないことになっているとはいえ、開けっ放しもまずいだろうとユードロスは窓を閉めた後、魔力を探知しようと集中した。
ラーズラースの持ち物である書物やローブに彼の魔力の反応がある。それは当然だとして切り捨て、それ以外を探す。
ベッド、机、燭台、棚、そして窓。
窓の外にラーズラースの魔力を感じて一度は閉じた窓を開き、そっと下を見る。尖塔の壁面に点々と彼の使った魔法の残滓が残っていた。
――なるほど、ここから逃げたわけだ。じゃ、いつ頃ラーズラースは逃げたんだ? 本当にヴィリディス伯爵が言っていたようについ最近逃げたのか?
彼は続けて魔力を探知する。今度は窓の反対側、扉から強い反応があった。それも扉全体ではなく、外側のノッカーのみに反応がある。その魔法はまだ生きていた。
ためしにノッカーをたたいてみる。
「なんじゃ。ワシは今忙しい」
まるで今部屋の中にいるかのような、ラーズラースの声が聞こえてきた。といっても実際に声がしたわけではない。そう思わせるようにノッカーを押した人の脳が「声がした」と錯覚するラーズラースお得意の魔法だ。
発動者の意思に関わらず、勝手に発動する罠のような魔法はラーズラース発明であるから、偽装されていたとしてもこの魔法が彼の魔法でないことはありえない。
だとすれば、ラーズラースはとっくの昔にこの街から逃げている。
安心したユードロスは、もう一度窓を閉じて部屋を後にしようとする。その拍子に、一陣の風が吹いた。
パラパラと床に転がっていた書物の一つが風に遊ばれてめくられていき、あるページがユードロスの目に飛び込んだ。
それはラーズラースのメモ書きだ。そこには興奮したと分かる筆文字でページ一杯にこう書きつづられていた。
「ミニャ殿下が国に捨てられた! 今ならヒトの愚かさを恨んだ昔の若造の気持ちがよく分かるわ!」




