勇者、可能性に気付かない
魔王がてきとうに言った
「今なら魔の大森林の、糞仲間がつくったルート上に弱っちい貴様が死んじまうようなヤツもいないし急げば?」
という言葉は正しくはなかったが、間違ってもいなかった。
はぐれたゴブリンや人の身長ほども太さ(・・)がある大蛇と戦うことにはなったが、ユードロスは幸運にも死ぬことなく、大した傷を負うこともなく、魔の大森林を進んでいく。
適度に敵にあったおかげで経験と技量のズレをすりあわせていくのもだんだんと上手くなっていった。
シズンの残したリボンと魔王の|アドバイス(悪意)によってのおかげでその歩みはこれまでとは別人のように順調だった。
そして、ついに、あっけなくその時をむかえる。
ユードロスは地平線まで続く草原と、その向こうに見える要塞を目にして、感慨に浸る。
後ろには来るものを拒むかのように鬱蒼と茂る大森林。前には草原。
まさに今、ヒトの生活圏と魔族の支配権――魔王がいなくなった今、支配下にあるとは言えないのだが――の境目に立っている。
ここまで来るのに一年と一か月と一〇日という時間が過ぎていた。二回も死んだ。それでも三回目の挑戦にして、ようやく、大森林を抜けることが出来た。
彼を苦しめていた不快感と倦怠感ともオサラバである。
長いようで短かった道程にしばし思いを馳せていた彼だったが、すぐに頭を振って自分の頬を叩いた。
――いけないいけない。まだファルコンサインにすらついてないのに休んでなんかいられない。これからじゃないか。
オルビニャがファルコンサインの教会に『十三人の人類到達点』の誰かが来ていると言っていたのを思い出し、彼は魔の大森林に別れを告げ、足早に草原を歩いていく。
腰ほどの高さまであるこの草原地帯に道はない。ファルコンサインがヒトにとって世界の果てだったからだ。魔の大森林に足を踏み入れる物好きはそう多くはないし、多くはない物好きも誰も帰ってこないため道を作る必要がなかったのだ。
腰まで生い茂った草は足元を隠して進みづらくさせるが、大森林に比べてしまうとまるで舗装された街道のように進みやすい。
不思議なことに、大森林ではあれだけたくさんいた危険な野生動物も草原地帯に一歩足を踏み入れてしまえばいなくなる。
毒蛇やオオカミくらいはいるがそれだって数は少ない。ヒトの生活圏にわざわざ出てくる魔族も早々いないため、大森林を歩き続けてきたユードロスにとっては散歩のようなものだった。
青々とした草が肌を切っていくのも構わず、小川を飛び越え、目の前を急に横切ったつがいの山鳥をほほえましく眺めながら早足で駆けていくと、要塞となっているファルコンサインの外壁と、一際高い教会の尖塔はどんどんと大きく見えてくる。
――あそこに仲間がいる。友人がいる!
はやる気持ちを抑えかねて、とうとうユードロスは走り出す。
息が切れるのも構わず走る。走る走る。
――あともう少しだ・あともう少し……!!
自然とユードロスの顔に笑みが広がる。彼の眼にはまわりの風景どころか、ファルコンサインの外壁すら映っておらず、教会の尖塔しか見えていなかった。
だから、急に草むらから飛び出てきた少女に気付かなかった。
「うおっ!」
「ぎゃっ!」
ユードロスとぶつかってきた少女にはかなりの体格差があった。彼はかなり背の高いほうで筋肉もついており、どちらかといえば重量級だったのに対して少女のほうは背こそそこそこ高かったものの、ガリガリに痩せている。
結果として、ユードロスは横からの衝撃に驚いただけだったが、少女のほうは盛大にしりもちをついてしまった。その拍子に、茶色く汚れきったシャツの胸元から錆びた釘やらナイフやら欠けた槍の穂先やらを入れた、これまた雑巾のような包みが飛び出した。
そのナイフの穂先には見覚えがあった。一年前――ユードロスにとってはちょっと前――戦ったゴブリンの持っていた物だ。魔王軍を表す紋章が入っているのがその証明だった。
「ちょっとアンタ! どこ見て歩いて――」
日焼けした赤い肌とぼさぼさの赤髪を紐でくくっただけの少女は尻をなでながら、ユードロスに抗議しようとする。そこで彼の眼が袋から飛び出したゴブリンの所有物に向かっているのに気づき、サッと素早く懐にしまう。
そしてユードロスを真正面に見て、罵声を浴びせる。
「なんか文句あんのかい!」
「い、いや」
その勢いのすさまじさに彼が戸惑っている内に、少女は彼を睨み付けて、そのまま草原の向こうに走っていく。
ファルコンサインへの、仲間への一直線すぎる思いを挫かれた形になったユードロスはしばし呆然と少女の背中を見つめたあと、少女が落としていった槍の穂先を拾う。
錆びきっているが、あれだけ集めて素材として買い取って貰えば水一杯分くらいのお金にはなるだろう。掘り出し物があればそれ単体でも売れる。
戦場だった場所でああいいう風に死人の持ち物を剥いで生活の足しにする人間を彼はよく目にしていた。
だからまともな職業についているヒトの子供はああいうことはしないと知っている。
養ってくれる人間がいず、まともな仕事をもらえない子供――つまり後見人のいない孤児がやることだった。
ファルコンサインは一度、魔族が虐殺の限りを尽くし、壊滅している。今あの街にいる人間は後から入ってきた傭兵や兵士、彼らを相手取った商売を行っている商人たちだ。
数少ない、元々の住人たちの生き残りも生活しているが、ヒトに化けて街に入り込み、内部から暗殺や諜報といった工作活動を行った魔族がいたということもあり、後ろ盾のない子供や老人の保護は戦時中ということもあり監視され、街から省かれた。
彼らは魔族の侵攻が終わった今も街から戻ることは出来ておらず、ファルコンサインから離れた草原で細々と暮らしている。
ユードロスにそこまで理解できたわけではなかったが、それでも魔族の侵攻がヒトの生活に影を落としているのを感じてしまい、昂ぶっていた心が冷めていく。
赤髪の少女の背中が消えるまで見つめてから、彼はまた街へと歩き出す。先ほどよりも地に足をつけて、しっかりと。
もしも彼が何かの気まぐれで少女の消えた方へと足を向けていたならば、少し違った未来もあったかもしれない。だが、遠見を使えるわけではない彼がその未来に気付けるわけもなく、魔王城からユードロスと少女とを交互に覗き見ていた魔王オルビニャ(全裸)だけが愉快そうにケタケタと笑っていた。




