デジー公は油断しない
デジー公は御年五〇歳。軍の中でもかなり高齢な部類になるが、十四歳で初陣を迎えてからずっと戦場を駆け巡ったその肉体は今も衰え知らずだ。
彼が魔王軍との最前線基地であったファルコンサインの城主となったのは数ヶ月前。その守城の手腕を見込まれての事だったが、それより先に勇者たち『十三人の人類到達点』たちもファルコンサインに来たために、共に戦ったデジー公の手腕よりも勇者たちの個の強さばかりが注目されてしまっている。
彼自身はそれでも街を守れたのだからいいと思っているものの、彼直属の公軍兵士には不満を持つ者がいるのも確かだった。
魔王が滅ぼされ、一部の『十三人の人類到達点』たちが蘇生したと知らされて魔王軍との戦が終わった今、彼の頭を悩ませるのはそんな公軍兵士と冒険者や傭兵との喧嘩だった。
公軍の兵士からしたら自分たちも勇者たちと轡を並べて戦い、街を守り切ったという自負がある。傭兵や冒険者としてもそれまで劣勢にたっていたファルコンサインをなんとか守っていたのによそ者がデカイ顔をするなという怒りもある。
どちらの言い分にも納得できる部分があるのが悩ましいところだった。
その日も彼は最近薄くなってきた髪を丁寧に撫で付け、見張り中に殴り合いの大げんかをした兵士と冒険者の仲裁に入るべく、街の一番外れの物見塔に登っていた。
彼のような高い官職についているものが直接下っ端の仲裁に入ることなど普通はありえないのだが、彼は元々人民の声を自ら聞く良い為政者として知られていたし、魔王の死によって攻撃を受けることがなくなった今だからこそ、ヒト同士の諍いを収めるのが重要だと考えていた。
老体に鞭打って見張り台いに登り、喧嘩をしたのだろう、額にたんこぶを作った兵士に人当たりのいい柔和な笑みを向けて声をかける。
「やあやあ、何やら騒ぎがあったと聞いたんだが」
兵士は答えない。不敬にもほどがあるが、一点を向いて口をあんぐり開けるばかりで、デジー公のほうを見ようとすらしない。
兵士と喧嘩をしたのだろう青あざをつくった冒険者も、それを後ろから羽交い締めにしている冒険者たちも、喧嘩に割って入ったのであろう非番の兵隊たちも、皆が皆一様にぽかんと口を開けて立っている。
何事かとデジー公が男たちの見ている方に目を向けると、そこにはいつもと変わらない魔の大森林が広がっている。
否、そう思えたのも一瞬で、はるか遠く、地平線の先で何かが動いた。
ここからなにか動いたと見えるということはかなりの大きさの物が動いているということだ。
「こ、公爵閣下……。こここれは、何が起きているのでしょうか……?」
デジー公に気づいた兵士の一人が震える声で尋ねてくる。デジー公にも分からなかった。
分からなかったが、彼にはこういう時に備えた便利な物があった。
懐から筒状の物を取り出し目に当てた彼に、冒険者のほうが聞いてくる。
「デジー公……い、いや、こう……爵閣下? それは……なんですかい?」
「これか……? 単眼鏡と言うそうだ。ほら、『十三人の人類到達点』の一人にちっちゃい、黒髪黒目の子がいたろう? あの子考案だそうだ。ワシみたいな魔法が苦手なもんでも遠くのものを見れるようにしてくれる優れ物さ」
にこやかに答えたデジー公の顔が、単眼鏡を覗いた途端に険しい物になる。
周りにいた屈強な男たちが狭い物見塔で一歩後ずさるほどの顔つきだった。
「木が……倒れておる。どのくらいの大木……いや大木という言葉も生ぬるい。どれほどの年月を生きてきたかも想像できん巨木が……次々と倒れておる……」
デジー公のつぶやきに、周囲の男たちは浮足立つ。巨木が次々倒れているということは、その下には巨木を倒すだけの力を持った何かが存在しているということだ。
地平線の彼方であろうとも見える距離であれば遠いなどとは言えないということを彼らは五年間に渡る魔王軍との戦いの中で思い知っていた。
「落ち着け!」
浮足立つ男たちを一喝したデジー公の顔は、柔和で民に愛される公爵ではない。戦場を駆け、数多の敵を自ら屠ってきた歴戦の勇士の顔だった。
「伝令を出せ! 見張りを増やすのだ! どんな些細な変化も見逃すな! 魔王軍には確かに恐ろしい機動力をもった部隊がおる! しかし大多数の部隊が得意とするのは油断をしたところを数で持って攻めてくる戦法だ! 長期戦になることも覚悟して油断をしないよう各部隊に伝えろ!」
「は、はいっ!」
冒険者や兵士たちが散っていく。
こういう時にいちいち副将から軍団長から……と命令を通していては間に合わないことがある。まずは混乱もあるが警戒を強め、そこから各方面に正確な指示を出す。
それが彼のやり方だった。
魔王が死んでからここファルコンサインで戦闘は行われていない。
今回のこともただの杞憂かもしれないとデジー公は思う。だが、そういった楽観視が出来ないのが彼の武将としての才覚であり、実際に一週間後、ゴブリン中隊によってファルコンサインは襲われた。
闇夜に紛れた奇襲ではあったが、デジー公に最低でも一ヶ月は警戒を続けろと固く命じられていた兵士たちに油断はなく、更になぜかゴブリンの軍勢は多くが傷ついていて力を発揮できなかったために一人も漏らさず討ち取られることになった。
不可解なことに、討ち取られたゴブリンは誰も彼もが笑っていた。
デジー公は自らが討ち取った兜をかぶったゴブリンを見下ろしてこう思う。
ゴブリンの軍勢には巨木を倒すほどの膂力がある者も、勇者の持っていた聖剣シミリスのような切れ味するどい業物を持っていた者もいない。
それにゴブリンたちは誰かと戦ったような形跡がある。
ならば巨木を切っていたのはゴブリンと戦っていた者に違いない。なぜ魔の大森林でゴブリンと戦っていたのか、何が目的だったのかは分からないが、こうして結果的に危機を知らせてくれた何者かに感謝しよう。
名前も知らぬ何者か……まさしく『十三人の人類到達点』のメンバーのような勇者じゃないかね。またいつか、彼らに会いたいものだ。
そうして彼は魔の大森林に向けて最敬礼する。
デジー公はその後三〇年生き、八〇歳という高齢で親類縁者や領民たちに見守られながらその生涯を閉じた。彼が勇者と評した何者かがまさしく彼と共にファルコンサインを守った勇者であることを知ることなく、勇者たち『十三人の人類到達点』の誰とも再会することもなかった。




