1章3話 『道徳』の万両
『近年急激な速度で砂漠化が進み――地球温暖化が――』
懐かしい夢だ、テレビで流れるニュースを見てギリアは思った。このニュースは、ギリアが自分の居た世界からいなくなる日の朝に見た物だっただろうか。その後すぐに学校に向かったのだ。近くの公立の高校に通っていたギリアは、自分の教室に向かった。そこでは朝早くから来ていた生徒たちが話をしていた。
「いいな~やっぱり彼氏がいると違うね~」
「か、彼氏じゃないって!」
「恥ずかしがることないじゃない。あんなに仲の良い関係でただの幼馴染は無いでしょうよ」
教室の前の方で、女子たちが集まっているのが見えた。その頃はまだ男だったギリアは、その集団をちらりと見ただけで、そのまま自分の席へと向かった。
どうやら彼女たちの中心に居る少女は、自分の幼馴染から贈り物をもらったらしい。ギリアは自分の前に座っている、その少女の幼馴染にして、ギリアの親友、坂野目勇樹を見た。
「彼女、ずいぶん喜んでるみたいだな」
「そうだと良いなあ……って、か、彼女じゃないよ!」
「否定すんなよ、満更じゃないくせに。良いじゃねえか、あんな可愛い彼女が出来て」
「だから俺たちは!」
「はいはい、わかったわかった」
そう苦笑して、ギリアは席に着いた。そこまでは普段通りだったろうか。それから確か……。
放課後に、一人で歩いていたら。前の方から、車がやってきて……車? ギリアは夢の中にも関わらず頭を抱えた。本当にそうだっただろうか。車に引かれてこちらの妙な世界に生まれ変わったのだっただろうか。
まあ、どうでも良いか、とギリアは首を振った。そんなもの、わかったところで意味はない。帰り道も無ければ、帰るつもりも無いのだから。
そうしてこちらの世界に来て、両親がすぐに死んだ。ギリアにはさすがにショックだったが、周りの大人たちの反応が、この世界では、人が死ぬことは元の世界よりも忌避べきものではないという事を教えてくれた。
魂と呼ばれるものは、常に世界を循環しているから、たとえ誰かが無くなっても、その人との別れは永遠ではないのだと、そう教わった。
ギリアも最初は疑ったが、この世界では確りと確かめられるものとして魂が存在しているのだった。人間を形取る要素は、体と記憶と魂だと、昔女神様がそう決めたのだそうだ。口伝だから、どこまでが正しいのかはギリアにはわからなかったが、少なくともこの世界ではそれが常識らしい。
だからお前が死んでも、いずれどっかで生まれ変わるさ。村の大人たちにはそう言われた。それが常識なのだ。そう教わった。
そうして、その常識に乗っ取ったまま、一族はギリア以外壊滅し、ギリアは村を出た。世界は広かった。何しろ、この世界が生まれて数千年、未だに地図が完成していないのだ。それに話を聞く限り、この世界はどうやら天動説で、しかも人間は女神様の手によって生み出されたらしいのだ。なんともおかしな話だと思った。しかしギリアは、それが常識なのだと自分に染み込ませた。
そうすると、この世界の冒険は随分と楽しいものになった。小さいころに夢に見た様なファンタジーの世界だ。楽しくないわけがない。
といっても、ギリアもまだまだ半人前なのだ。村や町をいくつか旅しただけなのだ。そこで知った。大罪宝具の話。「この国の闘技場では、地上と地下の両優勝者の記念試合の時にのみ、人々の前に姿を現す武器がある」と。知り合いからそれを聞いたギリアは、喜び勇んで闘技場にやってきた。今のギリアにとって、強くなること、戦うことは快楽なのだ。随分昔と性格が変わったものだ、と自分でも考える。しかしこれがこの世界に適した自分の姿なのだろう。
ふと、親友の姿が浮かんできた。どうだろう、彼は今も元気にやっているだろうか。もう幼馴染の少女と結婚して、子供もいてもおかしくないのだろう。ギリアは自分にしては珍しく、そう願わずにはいられなかった。
「妙にセンチメンタルだなあオイ」
目をさまし、自分に突っ込みを入れる。自分はこんな人間だっただろうか。軽く舌打ちをして起き上がった。
今日は試合の日だ。ギリアが準備を整えていると、先日ここを訪れた運営側の男性が、再び訪れた。
「おはようございますギリア様。お元気そうで何よりでございます」
「そう見えるならテメエの目が腐ってるんじゃねえの? それで? 今日も不戦勝か?」
「いえいえ、今日は予定通り試合がございます。良かったですね、対戦相手が狙われなかったようで」
「そうだな……」
「どうかなさいましたか?」
男が窺う様に聞いてくる。それに対し、ギリアは何でもないと首を振った。
「テメエがいつもオレを欲情した目で見るから、つい気になっちまってな」
「ああ、ばれてしまいましたか」
「……ッチ、さっさと行くぞ」
ギリアがそう言うと、男は恭しく頭を下げ、
「了解いたしました。それでは付いて来てください」
と歩き出した。
『まずはこちら! 機族にして大罪人『色欲』の称号を持つ美女! そのパーフェクトな美貌と、アンバランスな喋り方に、闘技場内でもファンが急増中の選手! ギリア・レプタンサ選手!!』
「ほんとかよ」
先日の自分の初戦と同じ実況者の声に呟いて、ギリアはフィールドに立つ。と同時に歓声が上がった。その歓声を背に、ギリアは仁王立ちで対戦相手の登場を待つ。すると実況の女性は、今度は相手側の紹介を始めた。
『対するは! 遥か極東からの挑戦者! 10戦全勝! ただのハゲじゃねえぞこいつは! 属性『道徳』! 万両選手!!』
向かい側から現れたのは、先端に鈴の取り付けられた木で出来た杖を持った、寺の坊主の様な格好をした中年の男性だった。
「道徳ね……小学校以来だわ聞くの」
呟いて、現れた相手を睨む。10戦全勝の相手なのだ。油断はできない。両者睨み合っている状態で、実況の声が会場中に響いた。
『それでは……試合開始!!』
その声と同時にギリアは相手の懐に飛び込んだ。そのまま右手を変形させて、力いっぱい相手を殴る。それに応じようと、万両が杖を構え、りぃん、と鈴の音が鳴る。
「先手必勝! 出し惜しみなしだ! くらいな! 淫凸!!」
渾身の力で叩き込んだ淫凸は、しかし万両の体に触れることなく空中で停止した。その事態に驚きながらも、すぐさま蹴りを叩きこむが、それも直前で停止する。
「『道徳:親切心』」
りぃん、と鈴の音が響く。そして攻撃は万両に届くことなく停止した。万両は瞳を閉じたまま、ゆっくりと杖を振っている。
「あなたは、自分よりも年上の人間を、躊躇も無く殺そうとしたな? 不徳成敗、神の裁き!」
「なっ!? があぁあああああ!!」
突然、ギリアの体を激痛が走りぬけた。何とか歯を食いしばり距離を取る。
「何だ今のは……てめえ仏教徒じゃねえのかよ!」
その言葉に万両は首を傾げた。まるで何を言っているのか分からないという顔だ。
「何を言っている? 我々は皆女神様を信仰しているではないか」
「しまった! ここ異世界だからそう言うの無いのか……」
「何を訳のわからないことを。まあいい、貴様が己の行いを認めているならば、神は貴様を罰してくださるだろう。前回あの大男を殺したな?」
舌打ちをして、ギリアは答える。
「それがどうした!」
「そこに少しでも罪悪感を覚えているのなら、貴様はその分の天罰をくらうというだけさ。不徳成敗、神の裁き!!」
10メートル以上離れた先で、万両が瞳を閉じ、りぃんと鈴を鳴らす。すると再びギリアの体を激痛が走る。痛む箇所を押さえるが、傷口が無い。ギリアはそのまま膝をついた。息も絶え絶えになりながら、ギリアが言う。
「な、クソッたれ、妙な杖が原因か……」
「その通り」
万両が杖を少し揺らしながら言う。その時も鈴が鳴るが、ギリアの体に激痛は来なかった。
「宝具、か?」
「ええ、属性『道徳』の宝具が一つ『罪と罰』だ。これを私が目を閉じ念じ、一度りぃんと鳴らせば、貴女は自分の罪によって殺される」
「10戦全勝ね、テメエの方がよっぽど殺してそうじゃねえか」
「いいえ、これは神の裁きなので、私の不徳ではない!」
『出たーー!! 万両選手の神の裁き!! この技ひとつで今まで勝ち残ってきた選手です!! この地下闘技場で戦う人間は、ほぼ全員と言っていいほど誰かを殺した事がある人間ばかりです! それは罪として咎められない場合も多いけれど、罪悪感は残るもの! そこを狙う、卑怯な宝具だーー!!! しかし私、ギリア選手の叫び声に奇妙な興奮を覚えずにはいられません!!』
「何言ってんだか……しかしまあ、なるほど、ね。人を殴るのは不徳ね。殴ることに罪悪感が無い人はどうなんだよ」
その言葉に、万両は用意していたかのように、にっこりと微笑む。
「無くせるのか? 罪悪感を」
言われ、ギリアは黙った。そう簡単に無くせるものではない。むしろ無くそうなどと意識してしまえばより一層心の中を占めるのだ。その事に気が付いたギリアを見て、万両はそうですと頷き話を続ける。
「無くせない。それに、もしも最初から感じない人がいたとしても、問題ではない」
そう言いながら再びりぃんと鳴らす。
「何故こうも長々と話すか、不思議か? 意識させることで威力が増すのだ。それに、罪悪感など関係のない罪もある」
万両はゆっくりとギリアに近づき始めた。
「例えば、多くの異性と関係を持つことなんかが最たるものの一つだな。何せ、7つの大罪の一つだからな。それは大きな罪だろうさ。まあいい」
そう言うと、万両は杖を高く掲げ、地面に叩きつけた。そして鈴の音が響き渡る。
「思い出すがいい! 今まで最も残酷だった殺人を! そしてその罪で死ぬがよい!!」
「がぁああぁあああああああああ!!!」
『決まったーー!! しかし良い声ですね』
万両はそっと杖に手を当て、実況席の方に振る。
「『道徳:純粋』さっきから貴様の邪な――」
『本当にすいませんでした』
激痛の中で、ギリアは思い出す。一番の虐殺、最初の虐殺、一族殺し。最大の不徳だ。その罪悪感がギリアを締め上げる。さらに、元々ギリアは人を殺してはいけないという教育を受けて育ったのだ。いくら慣れたとは言っても、罪悪感など消えるものではない。しかし。
『立っている! ギリア選手まだ立っています!!』
「知っている、オレは、教わったぞ。この世界は、魂が循環するのだから、悲しまなくて良いんだったな」
思い出す。一族の、村の人間に言われたこと。たとえお前が死んでも少しも悲しくなどない、と。ならば、心を痛める必要などないのだ。ギリアは前を向いた。
「この世界では、むしろ、そっちが常識!!」
「ああ? なんだ貴女も人殺しは不徳ではないと言えてしまう性質か」
「そんなん、知らねえよ。ただ、罪悪感は無いってだけだ」
万両はその言葉に、悲しげに深く溜息をついた。
「ああ、ならば貴様を確実に殺そう。必殺だ」
べえ、と舌をだし、嘲る様にしながらギリアは言った。
「今度はどんな道徳だ?」
「純潔だ」
何を言うのかと首を傾げるギリアに万両が言う。
「純潔。生涯を、一人の人に捧げ通す道徳。浮気や多気は不徳とされる。なあ『色欲』、あんたはどれだけ不純なんだろうな」
その言葉に、吹きだすようにギリアがお腹を抱え笑い出した。
「ばーか、『色欲』が、性欲に罪悪感なんて感じるわけないだろ。あんたのその防御。突然の出来事には効かないんだろう?」
ギリアは確認を取る。今度は、万両が侮蔑の表情を向ける。
「たとえそうだとしても、貴様は死ぬさ。さっきも言っただろう、7つの大罪と。これは世界に認められた大罪ぞ。犯すものは皆この属性『道徳』に裁かれる!!」
『確かに『色欲』は大罪!! それならば、先ほども言ったようにその関係の多さに罰せられるはず!!』
その声を背に、右手に淫凸を携え、笑みを浮かべギリアは踏み出した。
「無駄なあがきを! 必ず殺す!! さあ思い出すがいい! これまで貴様を抱き、そして貴様に捨てられていった男たちの顔を!! 死ね大罪人!」
万両は杖を振り上げ、瞳を閉じ、心の中で強く強く念じながら、思い切り地面に叩きつける。りぃん、と辺りに鈴の音が響いた。ギリアは地面を踏みしめ、そして。
「――ッ!!」
喉を潰したような悲痛な叫びが一面に広まった。その音と共に再び杖を叩きつけ、鈴を鳴らす。
「ッ!」
鳴らす。瞳を閉じ、ただ捨てられた男のことを思い、鳴らす。強く叩きつけ、鳴らす。りぃん、りぃんと、何度も鳴らす。
「ふん、やはり大罪人。しかしこうもあっけなかったか」
りぃん、りぃんりぃん。そしてようやく杖を止め、目を開くと、眼前には満面の笑みで淫凸を構えるギリアの姿があった。
「なっ!?」
「びっくりしたな?」
とっさに危険を感じ、万両は叫んだ。
「『道徳:親切心』ッ!!」
絶好のポジションで淫凸を振りぬこうとしながら、ギリアは口を開いた。
「実はオレな、処女なんだ」
『「嘘だろッ!?」』
万両と実況の声が重なる。その様子に、舌をぺろりと出しながら、淫凸を万両にぶつけた。先ほどの様な、止められる感触はない。そのまま淫凸は万両の体へと吸い込まれるように衝突した。
「超秘密な、恥ずかしいし」
そう言ってニィっと笑うギリアの前、血を流しながら倒れる万両を見て、実況は声を上げた。
『勝者、ギリア選手!!』
そのまま淫凸を解いた右手を掲げ、実況席の方を見る。思えば、ずいぶんと恥ずかしい戦い方をしたのかもしれない。そんなギリアに向かって、実況の女性は歓声を上げた。
『いやしかし、素晴らしいですね淫乱処女! 私はもうこういうのが大好きで大好きで!!』
「死ね!!」
そう言い残し、笑みを深くしたギリアはその場を後にした。




