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まじょがりっ!  作者: ハクアキ
第二章 Mywonderworld Breaker
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ばらばらっ! Marimo Angle

誤字脱字等有りましたら指摘お願いします。

 自分は助かりたかったのでしょうか?

 それとも、救われたかったのでしょうか?

 “助ける”と“救う”には明確な違いがあると、おかーさんが買ってきた小説に書いてありました。

 “助ける”のは、その一時的な事だけで、“救う”のは、その救った人の一生を変える程の事だということ。

 自分は、いや、人はこれを無意識に言っているんじゃないか、と思うことがあります。

 誰か、困っている人を助ける――――例えば、食べる物がない痩せ痩けた貧乏な人に、ぽんと、お金をあげるとか、そういことを平気でやって、心のなかのもやもやとした罪悪感が晴れた、と思うのは、ただ自己満足に浸っているだけの気がします。これであの貧乏な人たちは、食べ物を買い、明日を生きていける。自分がそうしてあげたんだ、と誇らしげにいうのです。

 “助けてあげた”と、無意識にいうのです。

 でも、それはあくまで一時的な解決法です。その貧乏な人は明日は生きていけるかもしれませんが、明後日、しあさっては、食べ物をお金もないのに、どうやって生きていけばいいのでしょうか? 

 それでは、助けた意味がないのと等しいのではないのでしょうか。

 確かに、一時的に困っている人もいるかもしれません。“助ける”だけで、“救われる”人もいるかもしれません。

 でも、多くの人は、“助けられる”だけでは“救われる”ことはないのです。。

 本当の“救う”というのは、貧乏な人に、お金を与えるのではなく、この先の生きる知恵を授けたり、働いて賃金をもらえる仕事を与えることなのです。

 一方から見ると、自分で何とかしろ、といっているみたいで、冷たく見えてしまうかもしれません。

 でも、生き続けるためには、後々、自分で何とかしないといけなくなるのです。

 

 話は戻りますが、この自分、苦竹鞠藻は、救われたかったのでしょうか? それとも、助けてもらいたかったのでしょうか?

 

 たぶん、助けて欲しかったのでしょう。


 苦しくて、辛くて、一刻も早く逃げ出したかった、楽になりたかった、からなのでしょう。

 


 だから、自分は、救われなかったのです。



 最後になりますが、


 自分の最愛の友人に向けて、

 

 こならちゃん、ごめんね。


 そして、こんな自分を、許してくれて、ありがとう。


 そのおかげで、自分は、“助かった”よ。

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