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まじょがりっ!  作者: ハクアキ
第三章 Three Peace And ...
103/121

しあわせっ! Sakaki Angle 11/01 05:10

 11/01 05:10


 僕、桐里榊きりざとさかきはソファの上で目を覚ました。まだDLの部屋(広さ的には2DLだが)の中は薄暗い、ちらっと横目で壁に掛かっている暗闇でも見える丸いシンプルな壁掛け時計に目をやる。まだ短い針は五時をちょっと過ぎたあたりを指し、長い方をは二時を指していた。五時十分。まだ起きるには早すぎる時間帯だった。

 僕はどうしてこんな早い時間帯に起きてしまったのか、まだ完全に起きていない脳で考えてみる。ついでに時間を確認するために開けた目を閉じた。きっと考えている間に二度寝に落ちてしまうだろう。寝過ごしてもかまわない。どうせ今日は久々の休みだ。いつもと同じように六時半に起きても、十二時に起きても、明日の七時半まで寝ていても構わない、休息の日だ。

 昨日の夜に変わったことでもしたのかと昨日の出来事を思い返してみた。こならに借りたまま、返せなくなったCDを聴きながしながら、まとめ買いした百円の中古本を読みコーヒーを飲んで、本も区切りがいいとこまで読み進めと所でふと時計をみると、丁度十二時。明日になったので、そのままソファの上で毛布を持ってきて、かけて寝た、くらいだった。とくに何もない。いつもこんな感じだ。変わったこともしていない。

 ということは。

 僕は、手で僕の上に乗っているモノを確認するようにさすった。そこには確かに早く起きてしまった原因と思ったモノがあった。これが今日は僕の上に乗って来きて、寝苦しくなって、こんな早い時間に目が覚めてしまったのだ。まったく、寝ぼけてここに乗っかってくるのではなく、故意でやっているのだから、少しだけ怒りたくもなるし、少しだけ仕返しもしたくなる。

 再び目を開け、その僕の胸に顔を押しつけて寝ているモノの頭を見つけ、両手で持ち上げて僕の胸から離した。持ち上げられてもそいつは目を瞑り、小さな吐息を時計の針の動く音しかしない部屋でたてながら幸せそうに寝むっている。まだ夢の中、いや、さらに深い夢すら見ない眠りについているのかもしれない。なんて羨ましい神経だ。

「おい、いちり」僕はそいつの名前を小さく呼ぶが、反応はない。まだ起きないらしい。頬を抓って起こそうかと思ったが、過度の刺激は心臓に悪そうだし、あとで抓ったから頬が赤いあとがついたと文句を言われて騒がれても面倒だ。こいつがキーキー騒ぎながら怒るなんて、想像もつかないけど。

 抓るまでとはいかないが、顔を左手だけで持てるようにそいつ顎に手を動かして、自由になった右手の人指し指で頬を突っついてみた。当然のごとく、柔らかい。突っつくたび、ぷにっと音が出そうなくらい。

 あむ。

 急にそいつの頬を突っついていた僕の右手の人差し指が喰われた。甘噛で痛くもないが、なんというか、指の腹が舌触れていて、ぬるりと舌が動くのがわかった。うわ、味わっているよ、僕の指を……。

 さすがに口の中に入ってきた(というか、偶然入った?)異物に違和感を感じたのか、そいつはゆっくりとまだ眠そうに目を開けた。カーテン越しの夜明けの光は、部屋の中を照らすことはできていないため、そいつの顔の輪郭は薄暗くてはっきりとはわからないが目を開けたことくらいはわかる。まだ半分しか瞼は開いていないが、こいつの場合、これで全開だ。こならや百合子さんにも、いつも眠たそうにしてるけど、ちゃんと寝てる? といつも気にかけられているほどだ。ちなみに本当に寝不足か確かめるには、目の下にくまができているかどうかで確かめた方がいい。

 まどろんだその三白眼が僕の顔をとらえた。

「……おはよう。はかき。もう、おきう、いかんあお?」

 しゃべるたびに口にくわえている僕の指に舌が触れる。

「まず、口にくわえている、僕の指をとってからしゃべりなさい」

「……うん」素直に口を開けて、僕の指を解放した。よくよく考えてみれば、僕から引き抜けば良かったのだが。寝起き直後でまだ頭が回っていないから、気づかなかったのだろう、と言うことにした。そして、こいつの唾液がついた指をどうするか迷う――事無く、テーブルの上に置いてあるティッシュボックスから一枚引き抜き、片手で拭いた。ゴミ箱はソファから手に届く距離ではないので、テーブルの上にティッシュを置いておく。本格的に起きる気になった時に捨てよう。

 その行動が終えるまで、まだ焦点の定まらない眼で見ていたそいつ――矢本やもといちりは僕に面と向かいあう。

「……わたしの口に指いれて、なにしてたの?」寝ぼけ眼で首を傾げた。もう起きているんだから、首を固定しなくてもいいかと、いちりの頭を支えている左手を顎から抜いた。いちりの頭はぽとっとそのまま僕の胸に落ちた。

「特に。何もしていないというか、頬つっついていたら、おまえから食いついてきただけ」

 納得がいかないのかいちりは言う。

「……えろいことしようとしてたんじゃなくて?」

「そんなフェチ、嗜好は僕にはないし、十分この状況がエロいでしょ。というか、どんな夢みてたんだよ? お約束の食べ物食べる夢?」

「……うーん。えろい夢?」とん、といちりの頭に右手を落とした。いちりは痛っと小さく呻いた。最近、こんなやりとりが続いているような気がする。

「そんなことより、また僕が寝ているソファに入ってくるんだよ? おまえの寝床はそっちのベッドだって、いつもいっているじゃん」

「……寝ぼけて」

ダウト。これで何度目だと思ってる?」

 うーんと考えてながら、ゆっくりと半分しか開いてない瞼が閉まりそうになる。考えている時点で故意だということは分かった。

「……じゃあ、故意で」眠気に負け、考えるのも億劫になったのか、そういって僕の胸に顔を押しつけて二度寝にはいる。

 そうか、わざとか。ならいいんだ。僕もまだ眠いし、深く追求するのも面倒だ。うん寝よ寝よ。

「って、おい」ノリ突っ込み。僕の方が寝ぼけているようだった。

「……ん? 何?」いちりは折角今から寝るのにと、ちょっと不機嫌そうに顔をあげた。

「だからさあ、こうやって二人、くっついて寝るのは駄目でしょ?」

「どうして? わたしはこうしたいから、こうしているだけ。榊以外に迷惑がかけてないし」

「僕に迷惑がかかっているのは承知なんだ……。それはいいとしてさ、もしも、もしもの事があったときに、こうやって二人で一緒の部屋に住むことを認めてくれた、おまえのお母さんやお父さんに迷惑がかかるじゃないか」もしもは強調するために二回言った。

 まあ、未成年の同棲を認めてくれたいちりの両親の前に、そんなことしでかしたら、恩を仇で返すようなもので、そんなことが自分の両親に知れたら、僕は殺され、はしないが縁を切られると思う。この同棲生活が始まる前、両親に、榊、男性ホルモンを減らす薬を処方してもらえ、と真顔で言っていたのだから。

「……迷惑? それは子供ができる事?」

 そうあっけからんことを表情も変えずに宣ったいちりに、僕は特に反応せず、ため息一つ、ついて言った。

「そうだけど。折角、遠回しに言ったのに、茶化そうとするするなよ」

「……じゃあ、ゴム付けないでセックスする事?」

「せめてオブラートに包みましょう」少しは羞恥心を持って話して欲しいと思う、今日この頃。

「……うん。でも、それは榊が我慢すればいい話」

「ひどいね。生殺しじゃんか」セックスに興味がないわけではないので、そう返す。

「……それも我慢できなければ、榊が一人でマスターベーションして、済ませればいい話」

「それは……、なんだか、空しいな……、ていうか、空しい……」異性と同棲して、隠れてすることは、考えただけでも悲しいし、そうやって済ませている自分はなんというか、変に意識しているように見えるのはどうしてなんだろうか……。もんもんと一人考えるのも空しくなってくるよな……。

「……それもイヤなら、ちゃんと避妊してやればいい話」といちりさんは爆弾発言を投下した。

「そういうなら、本当に耐えきれなくなった時に、やっちゃうかもよ。コンビニまで走って、買ってきて、さ」僕がそう、交わることに臆病なっている、と思われたくないから、強がるのようにいうと、いちりは平然と宣言する。

「……それでもいいよ。わたしは、榊と一緒じゃなければ、できないんだから」

「そんな、いかにも、安売りしてます、なんてこというなよ」

「……違うよ。わたしは安売りなんてしてない」

「じゃあ何なの? 僕としたいからって誘っているの?」

「……そういうわけじゃない。そうね、例えば、この世界でたった一つだけしか成らない木の実があって、世界中の人々はそのたった一つの木の実が食べたくても、その木の実に近づくと、木の実から発する猛毒で、肺から毒が体中に回ってしまって、みんな食べる前に死んでしまうの。でも木の実は誰かに食べてもらわないと腐ることのない果肉が邪魔をして芽を出すことはできない――そんな木の実がある。その木の実は、芽を出したくて、日の光を浴びたくて、必死に食べてもらおうと、おいしそうに見せるの。でも、みんなその木の実に近づくと死んでしまうから、遠目でしか見ることしかできない。木の実はそのまま、果肉と一緒に腐れて芽も出さずに死んでしまうと思って、晴れの日も曇りの日も雨の日も風の日も嵐の日も、自分を食べてくれる相手を待っていたの。ある日、その木の実が発する毒が効かない人が、木の実の目の前に現れるの。ここで問題。その木の実はどうするでしょうか?」

「……なんで急に問題形式なの?」それに食べるって表現が隠語っぽいんだけど。

「……より深くわたしの気持ちを分かって欲しくて」

 そんなこと分かっている。その木の実は、その一回しかないチャンスを棒に振ってしまわぬように、精一杯、一生懸命、相手に媚びを売るだろう。もう、そんな偶然起こるわけないんだから、すべてを心も身も捧げて、相手に好かれようとするのだろう。食べてもらって日の光を、太陽の下で生きるために。殻にこもって暗闇に一生を奪われないために。

 何よりも、世界を愛するために。

「その男の立場からして、そんな怪しい木の実なんて食べるわけないけど」僕は意地悪くいった。

「……榊の意地悪」不機嫌になることなく甘ったるくいちりはつぶやく。「……なんで男性ってわかるの? わたし、男性っていってないし」

「なんとなく、ね。その男の僕に似ている気がして」

「……それって、わたしと初めて出会ったあと、そう思ってたの?」痛いところつくな、とくすりと僕は笑う。

「疑うに決まってるよ。逆の立場だったら、いちりだって疑うでしょ?」

「……疑わないな。わたしは」

「どうして?」

「……世間知らずだったもの。あの時に榊と出会うまでは」

 そう。ただの偶然だった。何も知らない僕がその誰も近づくことのなかった木の実に近づいて、自分の意志で手にとって、今も大事にこの胸に抱きしめて離さないでいるのだ。

 僕が彼女にとって特別な存在だと、自分自身を偽って、この場所に居続けるのだ。

 それはこう考えた日もあったからだった。別にこの僕の能力さえあれば、彼女にとっての大切な人は僕という個人じゃなくてもいいんじゃないか、と。さっきの彼女がいった例え話のように、ただ偶然通りかかり、毒にやられることなく近くづくことができた僕以外の人でも、こんな甘い関係になるんじゃないか、と。

 別に嫉妬なんて女々しいことはしていないし、第一、この世にいないかもしれない空想の人に対して妄想し、憤怒するのはおかしい。ただ、こう、能力さえ持っていれば、ポイっと捨てられ、乗り換えられる代用品だと思いたくないだけだ。簡単にいえばチャンスを逃したくないから、誰でもいいといわれているみたいで、悲しくなってくる。

「……どうしたの?」

「いや、単におまえのそばに問題なくいられる人が、僕の他にいたなら、おまえはその人と一緒にいたかもしれないって考えると、少しブルーになるなって」

 ちょっとした弱音だった。いちりに向かって始めて言った気がする。

 最近の僕らはこんな感じで、お互いの気持ちを話し合っていることが多くなったなとふと思った。それぐらい、仲が良かった同僚のこならと百合子さんの死が、どうしようもないから切り替えようとしていた体の奥底から、じわりじわりと滲んで、僕たちを弱くさせたのか。

「……そんなのわたしだってそう思うよ。もし、わたしがこんな体じゃなかったら、別なわたしと同じ目にあっている女の子の事、好きになっていたんじゃないかって。もし、わたしの他も、同じ目にあっている子がいたら、そっちを好きになっているんじゃないかって」

 そういわれ、僕は少し呆気にとられた。少し考えてみるとすぐに結論に至った。考えてみれば分かることで、僕はそのことを考えてもいなかった。自分のことしか考えていなかったのだ。でも、そのおかげで少し気分が晴れた。

 そんなことよりも、同じようなことを考えて悩んでいたことがおかしくて、ちょっと笑った。

「……何がおかしいの? 変な寝癖でもみつけたの?」しきりに髪を気にし始めるいちり。

「いや、どっちも平々凡々な何にも能力がない人だったとしても、こうやって一緒にいるんだろうなって」

「……そうかな?」

「そうだって」

「……本当にそうなら……、幸せだな。わたし。榊を好きになれて」

「そう。それはよかった」

 そういわれて、なんとなく胸が暖かくなってくるような気がした。その生温い熱は心臓から送り出されて全身、体の至る所へと伝わって滲んで、弱気していた寒気を暖めていき、急に眠気が襲ってくる。体温があがったからだろうか。いちりが暖めてくれた、とは物理的に言いがたい(いちりは体温が低く、いつも冷たい)が。

 まだ日が昇らないのか部屋は薄暗い。壁掛け時計に目をやる。五時三十二分。起きるにはまだ早い。

「どれ」僕は上にのっかっているいちりをフローリングの床に落ちないよう、ソファの上に転がるように、どかして、立ち上がる。ついでにさっきのティッシュをゴミ箱に捨てておく。

 急に立ち上がったので、驚きながらも、ソファに上に体を起こすことなく、僕の方を見ていちりは訊いた。

「……お手洗い?」

「違うよ。ここで二人で寝るのはつらいでしょ? 折角ベッドがあるんだからそっちで寝よう」と僕はベッドを指さしながら提案した。ソファで、しかも、二人で寝るのは下にいる僕の体制がつらいという理由もあった。いちりの体重が重いというわけではなく、元から無理な体勢で朝起きると首がねちがえていることが度々あるから、その都度、ベッドで寝たいと思うのだ。でもベッドを買う予定はない。もう一つベッドを買っても、スペースもないし、何より、いちりが僕のところに来るから、もう一つ買っても意味ないな、と思うところもあるからだ。

 だが、いちりは動かない。もぞもぞと毛布が動いたと思ったら、僕の方に両手を向けて、

「……だっこ」催促した。さいですか。

「しょうがないな。このお姫様は」そういいながら僕は毛布をはいで、いちりをお姫様だっこして、ベッドへと運ぶ。いちりは小柄で軽い。人よりも非力な僕でも簡単に運べてしまうくらいだ。こちらとしては、軽すぎない方が健康的でいいと思っているが口には出さない。体重が異常に軽いのは、拒食のせいでも、病気でもないのだから、ゆっくりと健康的な平均体重まで増えていけばいい。そう楽観的に考えている。それもそのはず、初めてあったときよりも肉付きは良くなってきているからだ。

 ベッドにいちりをゆっくりおろして、ソファの下に落ちてしまった毛布を拾い、僕もベッドの上に寝そべる。いちりが僕の方へとすり寄る。僕は毛布も自分といちりにかかるようにかけた。

「……ぎゅっとして」

「はいはい」

 言われるがまま、そういちりを抱きしめた。体温が低いから、暖めてあげなくては。

 僕の胸に顔を押しつける。そのまま寝てしまうのかと思ったが、顔を押しつけながらいちりは言った。

「……ねえ、怖いの。いつか、こならちゃんや、百合子さんみたいに、突然、予兆もなく、あっけなく死んでしまうのが。それがもし、榊だったら、わたし一人置いて、死んでしまったら。残されたわたしはまた、あの地獄につき落とされてしまう。それがたまらなく怖くて、一人で居るのは、もう、イヤなの」

「……」

「……だからわたしは、榊が死んじゃったら、後追って自殺する。また一人になりたくないから」

「すごいこと言うね。でも、僕はそんなことしてほしくないな」

「……だから、こうやって、ずっと一緒にいる。死ぬときも一緒がいい」

「そうだね。それがいい。何にも苦しまずに済むし」

「……でも、わたしが先に死んだら……榊はどうする?」

「訊かないでよ。そんなの分からない。ていうか、おまえのことだから、自殺なんてせずに生きてほしいってわがままいうと思ってたんだけど」

「……それじゃあ、わたしが死んだら、……泣いてね」

 大切な人が死んでしまった時に辛くても泣けなかったあの人が頭に浮かんだ。雨に打たれて、自分の過去、血に縛られて、大切なものを両手から落としてしまった人の事を思い浮かべた。もう雨に流されて拾うこともできずに立ち尽くしているあの人が。

「うん。泣くよ。おまえの事を想って」

 いちりはそれっきり何も言わなくなった。僕がそういって安心してくれたのだろうか。そんな僕の中の小さな不安を訊かずに二度寝に入ることにした。このまま昼過ぎ、夜まで寝ていたかった。いや、日の光には浴びたくないとか、引きこもりじゃなくて、この状態を続けていたかったからだった。


 とくとくとくとく。


 僕の体から伝導して伝わる、いちりの小さな鼓動。

 僕はこの音が好きだ。僕はこならと似たような能力をもっているから、触れていなくても、ちゃんといちりの鼓動を聞き取ることができるのだが、近づいて、身を寄せあって、ちゃんと動いていると耳で、体で実感できる方が、安心するというのだろうか、それが、心地よくて、たまらない。

 今日も僕が彼女を生かし続けている、小さな証の音。

 その音がこう近くにいて、僕に伝わるとき、僕はいつも思ってしまう。

 彼女と何度確かめあっても思ってしまう。

 

 確かに彼女には僕しかいないが、


 今の僕には彼女以外、沢山いるって。


 この距離、重なるほど、近くにいる距離から、自らの意志で離れていけるのは、僕だって。


 僕はいちりの頭に顔を埋めた。当然の如く、いちりの髪からは甘い花の香りのシャンプーとリンスの匂いがする。僕はその中のいちりの匂いだけをかぎ分けようとした。二度寝で見る夢はいちりと一緒にただ笑っている夢がいいと思ったからだ。その構築因子として、かき集める。いちりの他には何もない、ただ透き通る空間の中で笑いあっているだけの夢を作り上げようとした。

 僕は少しずつ微睡んでいき、だんだんと意識が遠のいていく。この瞬間が一番心地よく、さらに、いちりの鼓動が体を伝わり僕の耳に入っていくのがさらに良かった。きっと思った通りの夢が見れそうだ。


 そんなくだらない夢でも、夢の中では幸福だと、疑いなく感じることができるのを、僕は知っていた。



 †



 さて、僕たちの関係が気になると思う。

 簡潔に言ってしまえば、彼氏彼女のただイチャイチャバカップルだ。どうみてもそれにしか見えない。これは自負しているし、すごい運命の巡り合わせがあってこうなったといっても、ぱっと見の、一見だけじゃ、意味の百聞にはならないだろう。うわ、公衆の面前で盛っているよ、の一文で終わってしまいそうだ。まあ、公衆の面前ではそこまでやってはいないのだが。

 だから、理由を述べよう。こうべったりくっついている言い訳を言おう。


 まず、僕。桐里榊、今年で十七歳になる。身長は約百七十センチ、体重約57キロ。魔女と呼ばれるの者を捕獲し保護する心欠落障害捜査機関の捕獲員だ。そういう訳で高校には行っていない。捕獲員といえば、超能力を持っている人種として言われているので、僕も一応能力は持っているのだが、その超能力は相手の心臓の音を耳で聞き取ることができることと、近くにいる人の鼓動のリズムを自分の思うままに動かせるという能力だ。心臓の音は遮蔽物があったとしても聞き取れ、半径五メートル以内だったら、間違うことなく聞き取ることができる(人の密度にもよるが)。その近く、正確には三メートル内の相手の心臓の鼓動を操ることができるのだ。鼓動を一定時間なら止めることも可能で、一見、反則臭い強い能力だと思うが、相手は心臓のない魔女には、全く歯が立たないどころか役に立たない能力なのだ。だが、心臓のない魔女を見つけることができるから、機関の中では重宝がられているので、よく魔女保護のために仕事に駆り出される。こならという仕事の同僚も同じような能力を持っていたが、彼女の能力では心臓の無い魔女が近づけばノイズが聞こえる(僕の場合は無音なので近く隠れていても聞こえない)のと彼女自身、道具を駆使して魔女と戦っていたので、その点では僕の方が仕事には役立たずだが、一応、二つ能力を持っている点では僕の方が高い能力だと言えると思っている。その同僚も今はいないけど。

 僕のことはここまでして、次は僕の彼女、矢本いちりについて話そうと思う。同い年の十七歳。身長は小柄で約155センチ、体重は軽い(詳しくは知らない方がいいのだと思う)肩まで延ばしたセミショート、三白眼、口調はおっとりとしていて、少し間が空いてからしゃべる。性格は寂しがりの人恋しい、いつも誰かと一緒に居たいと思っているのだと思う。一人で居たら、多分、死んでしまうと言うよりは自殺しそうになるくせに、初対面の人にはおろおろする極度の人見知り、そんな見ていて危なかっしい子。いちりも心欠落障害捜査機関の捕獲員として働いており、能力は僕と同じで二つ持っていると言える。一つは水を自由自在に操ることだ。水を自由自在に操るというものは、例えば、コップ一杯の水を空中に浮かべたり、こぼした水を元に戻したり、蒸発させたり、凍らせたり、状態変化も可能の攻撃型の能力だ。先天的な能力者は、攻撃的な能力ではなく自己防衛の能力を持つ、といわれている(僕もこならも、敵が近くに接近するのを感知する、防衛の能力だ)が、いちりの能力はどっちにも考えられる特殊なものとして言われている。特殊だからといって常識を覆すような能力ではないらしい。前例はかなり多くあるからだそうだ(僕の心拍を制限する能力も、相手を倒す能力であるといえる)。この能力でいちりは捕獲員の中で二番目に魔女を保護した数が多い。ちなみに一番はひかりさんだが、問題を引き起こしすぎて機関の中では悩みの種として、称えられず、代わりに次点のいちりが方が良く言われるのだが。

 そして、もう一つのいちりの能力――というより、呪い、といってもいいかもしれない。

 昔、いちりが小学校に入って丁度慣れてきたの頃、小さな魔女に出会って捕まりかけ、呪いをかけられ、命からがら逃げ出すことができた。

 この魔女というのは、誇張表現でも何にでもなく、あの人喰いの心臓無き、魔女のことだ。

 その呪いは魔女の能力であって、弱体化能力する能力を与えて、弱ったところを食らうという能力だった。

 その能力は、呪いは、


 『人に近づいたら心臓が止まる』


 というものだった。

 言葉にするのは簡単だ。でも、その呪いはいちりの世界をすべてをぐちゃぐちゃに蹂躙した。

 人に近づくことができない。近づいてしまったら、自分の心臓が止まり、脳に酸素が行き渡らなくなり、まず気絶、そして、そのまま酸欠で死にいたる。効果はシンプルな呪いだ。シンプルゆえに最悪だった。

 この呪いを発動させないためには、人に近づかないで生活するしかない。誰でも分かるだろう。でも、それがどれだけ辛いことかは、ちょっと考えてみないと分からない。

 人に近づかないで生活をするとなると、まず、二階建て以上の家には住めない。頭上、真下の部屋に人がいれば容赦なく呪いは発動し、心臓を止めてしまう。地下もしかりだ。この呪いには遮蔽物も関係ないから、壁の隣の部屋に人がいたとして、見えないからと壁に近づいたところ、呪いによって心臓が止まる可能性だってある。部屋の中でもこのような状態なのだから、外なんて以てのほかである。だから、心臓を止めない為に、小さないちりは、無駄に広い部屋に隔離されての生活を余儀なくされたのだ。

 最愛であった両親とも触れ合えない。誰とも触れ合えない。触れ合う前に、心臓が止まって意識が飛び、気づいたらベッドの上で一人目を覚ます。その繰り返しだったと言っていた。

 病気にかかったとき、風邪を引いたときは、とても辛かったと言っていた。無理もない。誰も小さないちりを助けられないのだ。病院に行くことも、看病してもらうことも、全部がいちりの心臓を止めてしまう脅威であったからだ。風邪が肺炎まで悪化したときは死を覚悟したこともあったらしい。

 だが、いちりが諦めなかった。きっと、助かる、いつか、この呪いが解けてくれると信じていた。信じる以外何も出来なかったからだった。

 いちりの両親もどうにかして、娘とコミュニケーション取れるように携帯やパソコンを買い与え、使い方を紙に分かりやすく書いたりして教え、やっと話せるようになった時はさすがに泣いたらしい。やっと近くで話せたと喜び、一日中しゃべっていたと言っていた。その小さな事がいちりにとっての生きる希望となった。少しずつだけど前に進める、近づけると。

 信じて、信じて、誰とも触れあわずに毎日を生きてきた。

 だが、信じた分、過ぎ去った時間が重く積み重なり、不安となり、心に積もった。

 そして、ついに限界が来てしまった。

 いちりは、もう耐えきれなくなってしまった。

 死んでもいい、

 寂しくて、人恋しくて、

 誰かに触れたくて、

 部屋から外へとでてしまったのだ。


 奇跡だったのか、偶然だったのか、兎に角、すごい確率なのはわかっている。


 いちりが外に出て初めて出会った人が僕だった。


 心臓を思いのままに動かす事ができる能力を持った僕だった。


 たとえ呪いで止まる心臓でも強制的に動かす能力を持った僕だった。


 いちりはどうして心臓が止まらないのか、あわてて取り乱していた。慌てて取り乱していたいちりに、僕は自分の能力のことを打ち明けた。

 

 次の瞬間。


『……あなたは、わたしを世界へと連れってくれる、人なんです。だから、だから、わたしとずっと一緒にいてください。お願いします。あなた好みの女の子になります。わたしのことを好きにしてもかまいませんから。何だってします。イヤなことでも喜んでしますから。だから、だから、だから、わたしと一緒に居て……』


 しゃがみ込んで、頭を下げて、泣きながら、懇願するように僕にそう頼んだ。


 必死で、支離滅裂で、臭くて、嫌な告白だった。


 こうして、僕らは一緒にいることになった。

 最初はなんだがギクシャクした関係だったが、徐々にお互いのことが分かるようになってきて、異性なんだから、当然のごとく、彼氏彼女の関係、最終的には将来まで誓いあうまで発展した。

 そういう訳で、こうやってべったりと一緒にいる。

 いちりは、今まで一人だった時間を僕で埋めるようにくっつき、その産物である彼女の僕への純真の愛を、僕は悦に浸りながら啜り、寄生共生関係は廻り続ける。それがお互いに一番気持ちがよくて、たまらないから。

 不純だと言われようが、幼稚だといわれようが、どんな罵詈雑言を受けようが別にかまわない。

 そう言われたら、僕はこう返すようにしている。

『だって、こんなに僕を必要として、一点の曇りすらなく好いて愛してくれて、僕が居なくなったら、本当に生きていけない子なんて、この子の他に絶対にいないでしょ? そう頼られて拒むなんてできないし、むしろ、僕が必要とされていることを嬉しく感じるんだ』

 だから、僕は小さな彼女が離れていかないように、こうやって、抱きしめておくのだ。

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