【第5話】メイドの日常
友情、親愛、日常。
かつて一度は捨て去ったそれらを思い出させてくれたのは彼女達に他ならなかった。
大陸歴九七六年。長い冬が終わり、春が訪れようとしていた。
女傭兵エレネアがメイドとなってから四ヶ月ほどの時が流れた。アンダルシア王城内にも友人ができ、行き付けの喫茶店や鍛冶屋の店主とも顔見知りになり、彼女はすっかり戦いとは無縁の日々に慣れ切っていた。
この日も早朝から朝食の支度に洗濯。それが終われば城内の掃除と、他のメイド達共々様々な仕事に追われていた。
今は午前中の仕事も一区切り付き、昼食の支度までの間の休憩時間。メイド達は休憩室で思い思いの時間を過ごしている。
「お疲れ様。フラン、ルネ先輩」
休憩室の丸椅子に腰かけたエレネアは同僚の先輩メイド達を労う。エプロンドレスに黒の編み上げブーツ、青い髪にホワイトブリムを着用した彼女の姿は、今やどこから見ても普通のメイドのそれだった。
「えぇ。エレネアもお疲れ様」
「お疲れだよっ!」
彼女のところへ二人のメイドが駆け寄ってくる。一人は平均的な身長をした黒髪に青い瞳の少女で、名をフランセットと言った。もう一人は小柄で元気一杯な、焦茶色のショートヘアが特徴的な少女で、ルネという名の最年少のメイドだった。当然ながら彼女達もエレネアと同様のメイド服を身に纏っており、足には黒のストラップシューズを履いていた。
「いつの間にか大分暖かくなってきたわね。そろそろ春かしら?」
エレネアは窓の外、王城の庭の木々を見て呟く。冬の寒さを耐え忍んだ木々が新芽を芽吹かせているのが見えた。
「過ごしやすい時期になるわね」
「朝も起きやすくて助かるよね~」
彼女と一緒に庭の木々を眺めながら、同僚達も各々の感想を述べる。朝はまだ肌寒かったが、昼のこの時間帯ともなると快適な気温だった。
「そう言えば……」
ふと、思い出したようにフランセットがエレネアの顔を見て言った。彼女の青い瞳にエレネアの姿が映る。
「どうかしたの、フラン?」
「あなたが来てからもう四ヶ月になるのよね、エレネア」
感慨深げに言うフランセット。
「言われてみればそうね……」
そう言えばもうそんなに経っていたのか、と彼女の言葉をきっかけにエレネアはこの四ヶ月を思い返す。戦いとは無縁の暮らしを送ったこの月日は、彼女にとって忙しくはあったが新鮮で面白いものでもあった。
「早いものだよね~。あたしも『先輩』になってからもう四ヶ月だもん!」
隣ではルネがうんうん、と頷いていた。最年少だがメイドとしての経歴では彼女の方がエレネアより一ヶ月長く、エレネアにとっては年下の先輩ということになる。その為かやたらと先輩風を吹かしてくる一面もあるのだが、そんなところもまた可愛らしかった。
「やっぱり後輩がいると先輩としてちゃんとしなきゃ! って自覚が湧いてくるよね~」
ルネは得意気に腕組みをして語る。そんな彼女を見て、エレネアは呆れたように溜息を吐いた。
「そう思うならつまみ食いする癖くらいは直してくださいね、ルネ先輩」
「もう! 今週はまだしてないよ~!」
膨れるルネ。そんな姿も子供っぽくて可愛らしく見えるのだから、不思議なものである。
つまみ食いの常習犯であり先週もメイド長にこっぴどく叱られていたのは事実なので、そこだけは直してもらいたいのだが。
◇
その日の午後。エレネア達メイドは王城にある兵士の訓練場を訪れていた。もちろん仕事で、兵士達の休憩所や詰所の清掃等が目的だった。
エレネア達の姿を見付けて一番に駆け寄ってきたのは彼女達と同年代の女兵士だった。
「フラン! それにみんなも! 来てくれたんだな!」
橙色のポニーテールを靡かせながらやってきた彼女は、赤い瞳をキラキラと輝かせ、嬉しそうに言った。
「訓練ご苦労様、アンジェ。今日はいつも以上に気合が入ってるわね」
「へへっ、当たり前さ! 帝国の連中、またいつ攻めてくるか分かったものじゃないからな。どれだけ訓練したってやり過ぎってことはないさ」
アンジェと呼ばれた兵士は腰に差した剣の柄を叩いて言った。
彼女は本名をアンジェリクと言い、フランセットの幼馴染である。同僚の幼馴染ということでエレネアやルネ達にとっても馴染み深い人物であった。
「張り切るのは良いけど訓練で怪我して実戦に出られない、なんてことにならないようにね!」
「あはは! あたしそこまでドジじゃないって!」
幼馴染の少女達は軽口を叩き合う。だがフランセットは途中から小声になって続ける。
「まぁ私はその方が……」
「? 今なんて?」
「ううん! 何でもない!」
アンジェリクに尋ね返され、フランセットは慌てて言葉を呑み込んだ。
隣で聞いていたエレネアには彼女が何を言わんとしていたのかがすぐに理解できた。要するに彼女は幼馴染に戦場に行ってほしくは無いのだ。だがそれを他の兵士達もいるような場所で言うのは避けたいということだろう。
この時のエレネアにはフランセットの思いが理解できるようなできないような、不可解な感覚だった。
戦場に立つ者にとって死は日常だ。死は戦場にありふれている。貴族にも平民にも、騎士にも雑兵にも、平等に訪れる。エレネアにとってはそれが日常だったし、彼女自身も百や二百では済まない数の敵の命を奪ってきた。
無論、次の戦いではエレネア自身が戦死するかもしれないが、それは自分の番が巡ってきただけのこと。不思議でもなければ不幸でもない。アンジェリクとて兵士である以上は同じ立場であり覚悟はできているはず。フランセットもその程度のことは把握しているはず。なのだが、
(アンジェが戦死、か……あまり想像したくはない未来ね……)
フランセットの気持ちが理解できてしまうエレネアがいた。まだ彼女達と友人になって日が浅いにもかかわらず、なぜそんな風に考えてしまったのだろうとエレネアは考え込む。
(おかしいわね……戦いから離れすぎたかしら……?)
あまりに平和な生活に慣れ過ぎてしまったのだろうか。彼女が一人で悩んでいると、不意にアンジェリクが話しかけてきた。
「そうだ、丁度良かった!」
「? どうかしたの?」
尋ね返すとアンジェリクは子供のように興奮した様子で続ける。
「エレネア、お前って確か傭兵だったよな」
「一応ね。今は休業中だから元傭兵ってところだけど」
「だったらあたしと手合わせしてくれないか? プロの傭兵の戦い方ってやつに興味があってな」
アンジェリクは期待に満ちた表情でエレネアに一振りの剣を差し出してくる。長さは一般的な長剣のそれだが、刃引きされた訓練用の剣だった。
「手合わせ、ね……」
エレネアはその剣を見て考え込む。彼女はこの四ヶ月ほど戦いから完全に身を引いて暮らしてきた。今のこの生活も別に嫌いではなかったが、いざ再び戦場に立った時に勘が鈍りすぎていては困りものだ。
メイド服の懐から懐中時計を取り出して時間を確認する。休憩時間はまだ充分あった。仕事の時間に遅れてメイド長から大目玉を食らう心配は無い。
妙な感傷に耽ってしまったのもきっと戦いから離れすぎたせいだろう。剣を振るえば綺麗さっぱり忘れられるはずだ。
「良いわね。受けて立つわ!」
エレネアは差し出された剣を受け取り、アンジェリクの瞳をしっかりと見据えた。
彼女は剣の柄を握りしめる。冷たく、適度な重量感のあるそれは不思議なほど手に馴染むように感じられた。




