【第3話】廃都の女神
彼女との出会いは私にとっては幸福だった。
しかし彼女にとって私との出会いは――彼女自身がどう考えているかは別として――幸福だったと言えるのだろうか?
アンダルシア王国第二の都市、サン・リエジュ。この街に今、十日ぶりに王国軍が入城を果たしていた。
休戦協定が締結されたとは言え、罠の可能性も捨てきれない。王国軍は厳戒態勢を解くことなく、街の目抜き通りを進んでいた。
金髪の女騎士、王国筆頭騎士セリーヌもこの部隊の一員として同行していた。目抜き通りを徒歩で行軍しながら、セリーヌは街並みを見回す。
「酷い有様ですわね……」
彼女はぽつりと呟く。砲弾の直撃を受けたのか崩落した建物、敵味方を問わず多数の死体と血痕。それらがこの街で起きた戦いの激しさを物語っていた。だが今ではそれが嘘だったかのように、辺りは不気味な程に静まり返っていた。
「完全にもぬけの殻ですわね。一体なぜ……」
なぜレメデア帝国軍は圧倒的に有利な状況からの撤退と休戦を決断したのか。罠の可能性も未だ捨てきれないとは言え、このもぬけの殻ぶりからするとその可能性は低いと言えた。
そして彼女としては気になることがもう一件。
「やはり遠すぎますわよね……」
彼方に見えるサン・リエジュ大聖堂の鐘楼兼時計台。目測での距離はあの時と同じ三百から三百五十ヤード。こうして改めて見てもやはり遠すぎる。念の為、彼女は隣を歩く騎士にも尋ねてみることにした。
「すみません、騎士団長」
「ん? どうした、セリーヌ。何か不自然な点でも見つけたかね?」
彼こそはアンダルシア王国騎士団団長オルディアス。立派な口髭を蓄えた壮年の男性だった。年齢は既に四十歳を超えているが、鍛え上げられた肉体には衰えが全く見られない。兵士達や若手騎士の中には彼を「騎士の中の騎士」と讃える者もいる程だった。
「いえ、そうではなくてお尋ねしたいことがありますの」
「ふむ。言ってみなさい」
「あの時計台からここを狙撃するなんてこと、可能だとお思いですか?」
「あそこからか? ふむ……」
騎士団長は時計台に目を向けると、顎に手を当てて考える。もちろん彼もセリーヌも行軍の足は止めない。少しして彼が口を開いた。
「いや、遠すぎるな。極めて腕の良い射手であれば、あるいは体のどこかに当てる程度なら可能かもしれんが……」
彼の答えは極めて真っ当かつ常識的なものだった。セリーヌとて同じ質問をされたら、つい十日前までなら同じように返していただろう。
「ではあの距離から人の頭部を狙って射るなんてことは……」
「まず不可能だろうな」
即答だった。
「……ですわよね」
セリーヌとて弓の腕では王国でも一、二を争う程の達人だ。だからこそ分かってしまう。あの距離での狙撃は不可能だと断言できる。そしてそれゆえにこそ撤退戦のあの日に見た光景が頭から離れないのだった。
だが今はそんなことよりも気を配らなければならないことが他にある。彼女は後続の隊列、その中心にある一台の馬車に目を向けた。王族専用の華美な装飾の施された馬車だ。
「それにしても王女様も、危険を賭してこんなところまで来られなくてもよろしいですのに……」
「王女殿下は責任感の強い方であられるからな。負傷者を発見した際、すぐに治療できるようにとのご配慮であろう」
「確かにわが国でも希少な治癒魔法の使い手ではあられますけれど……」
セリーヌは馬車の中に座す王女、ティアヴェラ・ローゼリナ・アンダルシアに想いを馳せる。直接話したことは片手で数える程しか無いが、少し離れたところから姿を見たことは何度もある。少しウェーブのかかった亜麻色のロングヘアの、まるでお伽噺の中からそのまま飛び出してきたような少女だった。
それに加えて彼女は希少な治癒魔法の使い手でもあった。かつて栄華を極めた魔導文明の崩壊から既に千年。今となっては希少な存在となった魔術師の中でも、更に希少な治癒魔法の使い手。それがこの国の王女ティアヴェラであった。
また、今回彼女が軍に同行しているのもそれが理由であった。生き残りの兵士を発見した場合、王都まで運ぶ手間暇をかけることなくその場ですぐに治療ができるようにとのことだが。
「この様子ですと王女様の出番は無さそうですわね」
現時点では生き残りの兵士は見つかっていない。味方も、敵さえも。それは結局その後も同様であった。
◇
セリーヌと彼女の麾下の部隊がティアヴェラ王女から召集を受けたのは、ちょうど捜索と安全確保が一段落した頃合いだった。
(王女様直々の任務ですって!?)
敬愛するティアヴェラ王女からの任務と聞いて、セリーヌの疲労は一瞬で吹き飛んでいた。
期待に胸を膨らませた彼女が王女の馬車に向かうと、そこには既にオルディアス団長の姿があった。遅れて他にも数名の騎士がやってくる。全員が揃ったのを確認すると王女は話を切り出した。
「皆、よく来てくれました。唐突なお願いだけれど、大聖堂に行きたいの。護衛をお願いできる?」
「サン・リエジュ大聖堂ですな。確か王女殿下がまだ幼い頃、陛下と王妃様と共に訪れたことがあると……」
事情を察した様子の団長に、王女は目を伏せるように頷いた。
「えぇ。我儘を言ってるのは分かっているけれど……思い出の場所だから、どうしてもね」
王女は申し訳無さげだが、敬愛する彼女の願いとあれば騎士達にとっては望むところであった。こうして一行は街の中心に位置するサン・リエジュ大聖堂へと向かうこととなった。王女の乗る馬車は周りを手練れの騎士達に固められながら、ゆっくりと大聖堂へと進む。
騎士や兵士達は王女直々の任務とあって俄然張り切った様子を見せる。だがセリーヌだけは複雑な気分であった。
(はぁ……私だけの特別任務とかなら良かったですのに……)
周囲への警戒は怠らないものの、大きく落胆の溜息を吐くセリーヌ。
敬愛する王女とは言ったものの、ことセリーヌに限ってはその意味は他の騎士達とは異なる。率直に言えば彼女はティアヴェラ王女に恋をしていた。
王女との出会いは幼少期にまで遡る。親の仕事でアンダルシア王国を訪れた際、パーティーで遠くから彼女を見たのがセリーヌにとっての彼女との出会いだった。童話の中のお姫様が本当にその場にいる! それが第一印象であり、セリーヌにとっての初恋でもあった。
無論、王女は覚えてもいないだろうが、セリーヌにとってはそんなことはどうでも良かった。ただ彼女の傍にいたい。その一心で母国を離れてアンダルシア騎士団に志願したのだった。
程なくして一行は大聖堂に辿り着いた。砲弾が直撃したのか屋根の一部は崩落し、正面扉はひしゃげてはいたものの、その壮麗な姿は未だ健在だった。しかしセリーヌはそんなことよりもここへの道中で見た光景の方に違和感を覚えていた。彼女は小声でオルディアス団長に尋ねる。
「団長、お気付きになりましたか?」
「何がだね?」
「ここに来るまでの道中ですわ。夥しい数の敵兵の遺体でしたけれども……」
「……我が軍の兵達の遺体が不自然なまでに少なかった。かね?」
「! えぇ、その通りですわ」
やはり団長も同じことを考えていたか、とセリーヌは納得する。激戦地となったのだから兵士の死体が転がっていること自体は不自然ではない。不自然なのはそれらがほぼ全て敵兵のものだった点にある。通常なら双方の兵士の死体があってもおかしくはない。こちらの方が劣勢だったのならなおさらだ。
二人の騎士達が考え込んでいると、王女から声がかかった。
「中も覗いてきていい? ちょっとだけだから、ね」
彼女の視線の先には大聖堂の入口がある。許可すべきかどうか、危険は無いのか。セリーヌが悩んでいると、オルディアス団長が先に答えた。
「仕方ありませんな。少しだけですぞ」
この騎士団長はどうにもティアヴェラ王女には甘いところがあるのが玉に瑕だった。彼は騎士団の軍歴が長いこともあって子供の頃から彼女のことを見てきたという。そんな事情から王女を娘のように見ている面がある為、致し方無いことなのかもしれないが。
「うん、ありがとう!」
「本当に少しだけでございますぞ!」
騎士団長の許可を得たティアヴェラ王女が大聖堂の入口に駆け寄る。彼女はひしゃげた扉の隙間から中を覗き込むと、
「あれ? 誰かいるみたい。女の子……?」
中に誰かの姿を見付けた様子だった。それを聞いて最悪の事態がセリーヌの脳裏に過る。もしもその人物が敵兵だったとしたら?
「! あの子、怪我してるみたい!」
「いけません、王女様! お待ちください!」
セリーヌは叫んだが、王女はその制止の声を振り切って扉の隙間から大聖堂の中へと入っていってしまった。
「お待ちくだされ、殿下! ……追うぞ、セリーヌ!」
「言われずとも分かっておりますわ!」
会話が終わらぬうちに二人の騎士達は既に駆け出していた。
◇
大聖堂の中に入ったティアヴェラは最奥にある女神エルナの神像、そしてその台座に寄りかかって眠る少女の下へと駆け寄る。大聖堂の屋根は一部が崩落していたが大半はまだ健在だった。そればかりか屋根に空いた穴から差し込んだ陽光が神像と少女に降り注ぎ、いっそう神秘的な光景となっていた。
(何だかまるで一枚の絵画みたい……いや、今はそんなことよりも!)
ティアヴェラはその光景に見惚れて一瞬我を忘れそうになったが、すぐに思考を切り替えた。神像に寄りかかる少女の傍まで来ると、まずは彼女の容態を調べる。
気を失ってはいるが息はある。深手を負ってはいるが、幸いにも致命傷ではなさそうだ。血色は……あまり良くなかった。
ティアヴェラは少女の体にそっと触れると、精神を集中し、詠唱に入る。
「慈愛と救済の女神よ、定命なる我らに救いの手を差し伸べたまえ! ヒールライト!!」
詠唱を終えたティアヴェラの手からは白く淡い光が放たれ、少女の体へと吸い込まれていく。と同時に彼女の傷が塞がり、血色も少し良くなったようだ。
一段落したティアヴェラは少女を改めて観察する。青いショートヘアの、外見だけなら可愛らしい少女だった。年齢はティアヴェラと同じく十代後半。麻の普段着の上に革鎧だけを着用した軽装備。兵士には見えないが単なる町娘というわけでもなさそうだった。傍らにある剣と弓は彼女の得物だろうか。
「王女殿下! ご無事ですか!?」
「勝手に動かれては危険ですわ!」
護衛の騎士達が追い付いてきたのはティアヴェラが少女を観察している時だった。
「二人とも、ごめんなさい」
軽率な行動ということは分かっていた。彼女は素直に二人に頭を下げる。けれど、
「けれどどうしても彼女だけは助けたくて……」
そう言って王女は傍らで眠る少女に視線を落とした。
「その者は一体?」
「兵士……ではなさそうですわね。傭兵ですの?」
「分からない。でも怪我してて……」
ティアヴェラは二人に事情を説明した。重傷を負って気を失っており、今しがた治癒魔法をかけたことを。
一呼吸置いて、彼女は続けた。
「ねぇ、お城で治療してあげられないかな? ダメ?」
実際のところ、この少女自身に何か特別なものを感じたなどではなかった。絵画のように神秘的な光景には目を奪われたし、外見に関して言えば美少女の部類ではあるものの、言ってしまえばそれだけ。何ら特別なことは無い。
それでも彼女を助けたかったのは、ティアヴェラ自身の無力感から来る想いだった。王女の身でありながら、国難の時にあって何もできないのが歯痒い。彼女なりに力になりたいと考えて今回の動向を願い出たのだが、未だに誰一人救えていない有様だった。
せめて誰か一人だけでもこの手で救いたい。ただそれだけの想いだ。
「ふぅむ……分かりました。ひとまずは城に連れて帰るとして、陛下に掛け合ってみましょう」
その想いが通じたのか、意外にも騎士団長オルディアスからはすんなりと許可が降りた。
「団長殿の判断でしたら私も異論はありませんわ。ただ……」
筆頭騎士セリーヌも同意はしたものの、何か言いたいことがある様子だった。
「? どうかしたかね?」
「ただそれはそれとして、団長殿は王女様に甘すぎますわ!」
「む……自覚はしておる。善処しよう……」
単なるお小言であった。こうして見るとどちらが大人なのか分かったものではなかった。
その後、王女一行は未だ気絶したままの青髪の少女を連れて王都へと帰還する。
歴史の分岐点はすぐそこまで迫っていた。




