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【第2話】撤退戦

 出会いや因縁、運命の分岐点。それらは時として意図せぬタイミングでそれと知らぬままに通り過ぎていることもある。

 思い返してみれば私にとってはこれがその時だったのだろう。




  大陸歴九七五年。王国第二の都市、サン・リエジュ。王都アンダルシアより北に十二マイル進んだ場所に位置するこの都市は古くから交易の拠点として、また、王都防衛の要衝として栄えた街である。否、「であった」と言うべきか。今、まさにこの街は戦火に包まれ、陥落寸前の窮地にあった。

「セリーヌ様! これ以上は持ち堪えられません!」

「本隊撤退までの時間は充分に稼げました! 撤退のご指示を!」

 悲鳴にも近い兵士達の報告と嘆願。大剣を背にした若い女騎士、セリーヌは彼らの顔と懐中時計とを交互に見比べながら考える。

(刻限まではまだ十五分ありますわね。今(わたくし)達まで撤退すれば本隊までも危険に晒すことに……)

 彼女の任務は撤退戦の殿しんがり、と言えば聞こえは良いが実質は単なる時間稼ぎの捨て駒だった。王国軍司令部はもはやこの街の防衛は不可能と判断し、全軍に撤退を指示。彼女達の部隊は王国軍本隊を一人でも多く王都に生還させる為の生贄も同然の存在だった。

 もし早まった撤退をすればそれだけ本隊を危険に晒す結果になってしまう。とは言え、部下に無駄死にを強いるのも彼女の本意ではない。

 悩むセリーヌ。彼女の思考を打ち切ったのは伝令兵からの報告だった。

「北部地区防衛線陥落! 繰り返します! 北部地区防衛線陥落!」

「! もう落とされましたの!?」

 北門はとうに落とされ、北部地区に作られた即席の防衛線も突破された。となってはもう悩んでいる余地はなかった。彼女は迷うことなく命令を下す。

「やむを得ませんわ! これより全軍撤退!! 副長、後の指揮はあなたに一任しますわ!」

「!? セリーヌ様!?」

「残り十五分とあなた達の撤退する時間くらい、私一人で稼いでみせますわ!」

 驚愕する兵達を横目にセリーヌは自分の馬に飛び乗ると、兜のバイザーを下ろし、背中の大剣を抜き放った。目抜き通りの北、伝令兵がやって来た方角に目を向けると、そこには既に迫り来る敵軍の姿があった。先行する騎士隊と、それに続く歩兵隊。接敵は時間の問題だ。

「危険です! セリーヌ様もご撤退ください!」

「心配ご無用ですわ! 適当に時間を稼いだら私も撤退いたします!」

 それだけを言い残すと、彼女は馬に拍車をかけ敵兵の只中に突撃した。



「はあぁぁぁぁっ!」

 先陣を切って迫り来る敵騎士隊。馬上のセリーヌが大剣を振るう度、彼らは一人また一人と絶命する。すれ違いざまに首を斬り落とされた者、姿勢を低くして馬の首に身を隠したところを馬ごと真っ二つにされた者、様々だった。だが……

(倒しても倒しても数が減りませんわね。これではキリがありませんわ……)

 セリーヌは今のこの戦闘だけでも五十人以上の敵兵を倒しているものの、敵軍の勢いにまるで衰えは見えない。だがそれも無理はないことだ。相対するレメデア帝国軍はこの街一つを攻略する為だけに六万を超える兵力を動員していると聞く。

(くっ、やはり私一人では……)

 正面から突撃を仕掛けてきた重装騎士を馬と騎兵槍ランスもろとも横一文字に斬り払い、返す刀で歩兵三人の上半身を一度に斬り飛ばしながら、セリーヌは歯噛みした。どれだけ腕を磨き戦果を上げ、王国の筆頭騎士と称えられようようとも一人では戦況を変えることは叶わない。彼女は思い知らされる。自分は伝説に語られるような英雄などではないのだと。

(時間は……充分に稼げましたわね)

 戦闘の最中、彼女は街の中央にそびえる大聖堂の時計台を横目で見やる。部下に撤退を命じてから既に二十分近くが経過していた。命令にあっただけの時間と部下の撤退時間。どちらも充分に稼げたと言える頃合いだった。

(よし、撤退しますわ!!)

 何波目かの敵部隊を凌ぎ切ったところで、彼女はすぐさま馬首をめぐらせ街の南門に進路を取った。だが彼女はすぐに自身の判断が甘かったことを思い知らされる。

(!? もうこんなところにまで敵兵が!?)

 敵兵の侵攻速度が予想以上に速い。セリーヌが時間稼ぎに徹していたニ十分弱の間にも、既に敵軍は街の大部分を制圧していた。結果的に彼女は敵に包囲されてしまった形になる。

「そこをお退きなさい! 勝ち戦で無駄死になど望むところではないでしょう!?」

 最早時間稼ぎの必要も無くなったセリーヌは敵兵の相手もそこそこにひたすらに南門を目指して突き進む。敵の追撃は意外にも激しくはなかった。既に勝敗の決した勝ち戦において、敵うはずのない敵――それもただ逃げるだけの敵に戦いを挑んで無駄に命を散らす程には敵も愚かではないからだ。

 このまま進めば撤退できる。希望が見えてきたセリーヌだったが、そんな彼女の前に立ちはだかる者が一騎。プレートアーマーに身を包み、長大な斧槍ハルバードを構えた大柄な騎士だった。

「お退きなさい。と言って通じる相手ではなさそうですわね……」

 セリーヌは構えから相手の力量を推し量る。戦功に焦った身の程知らずとは全く異なっていた。彼女の戦士としての直感が告げる。この男は楽に勝てる相手などでは決してないと。

「いかにも。我が名は帝国騎士バーレス。貴公は筆頭騎士セリーヌで相違無いか?」

「えぇ、私がセリーヌですわ」

 返答と共にセリーヌも大剣を構え直す。レメデア帝国では特に優秀な騎士にのみ「帝国騎士」の称号を授けていると聞く。その称号を授かっていることからも、この男の実力が伺い知れるというものだった。

「やはりか。貴公の活躍は聞き及んでおる。いざ、尋常に勝負!!」

 その言葉を合図に、二人の騎士はほぼ同時に自身の騎馬に拍車をかけた。先に仕掛けたのはリーチのある斧槍を武器とするバーレスだった。馬の突撃力を乗せて突きを放つ。セリーヌはそれを大剣で弾くと、体勢を崩した敵に横薙ぎの斬撃を繰り出した。だが敵もすぐに態勢を立て直し、斧槍の柄で防御する。

 そんな攻防を幾度か繰り返した後、二人の騎士は互いに距離を取る。

「ほう、なかなかのものだ」

「そういうあなたこそ、見事な腕前ですわよ」

「ではこれならどうだ?」

 帝国騎士バーレスは戦術を変えてきた。斧槍の特徴を活かした突きと斬撃の複合攻撃だ。しかも斧槍の重量を感じさせない素早い連撃だった。しかしセリーヌは大剣を素早く的確に操り、それらをことごとく防いでいた。

 パワーではセリーヌに、スピードではバーレスに分があるが、その差はわずか。傍目には一進一退の攻防。しかしセリーヌは内心では焦りを感じていた。

(まずいですわね……互角とは言え、消耗している分だけ私の方が不利ですわ……)

 セリーヌには先程無数の敵兵達と戦った時の疲労が蓄積している。実力が互角であるがゆえ、そのわずかな不利が命取りと言えた。更に悪いことに、増援の見込めない彼女に対して、敵は無数の兵を残している。

 圧倒的に不利な状況下での攻防。幾度かの攻防の末、遂にその瞬間が訪れた。

「撃てーっ!」

 後方の屋根の上から唐突に聞こえた号令。同時に複数の風切り音。

「なっ!? 弓兵!?」

 振り返ったセリーヌの目に複数の矢が見えた。防御は不能と判断した彼女は、

(申し訳ございません!)

 心の中で謝りながら馬の背から飛び降りた。直後、先程まで彼女が座っていた場所に矢が突き刺さり、馬は力なく倒れる。

 しかし感傷に耽っている暇はセリーヌには無い。着地した彼女に、今度はバーレスの振り下ろす斧槍が襲い掛かる。大剣での防御には成功するものの、疲労が蓄積していた彼女は剣を弾き飛ばされてしまう。

「勝負あったな」

「くっ……ま、まだ私にはこれがありますわ!」

 弓兵の死角に逃れたセリーヌは腰から短剣ダガーを抜いて構える。だが長大な斧槍の前ではその小さな刃物はあまりにも頼りなく見えた。

(今度こそは死を覚悟した方が良さそうですわね。王女様、不甲斐ない私をお許しください。それからお父様、お母様、お兄様、最後に顔を見せられずごめんなさい)

 仕えるべき主君と故国に残してきた家族。彼女にとっての敬愛すべき人々に別れを告げ、少女は最後の戦いに望む。はずだった。

「その首、貰い受け――」

 帝国騎士バーレスの言葉はそこで途切れた。最初、セリーヌには何が起きたのか分からなかった。一拍どころか二拍ほど置いてからようやく状況を理解した。

(矢!? いったいどこからですの!?)

 バーレスの兜のバイザー、そのわずかなスリットに狙い澄ましたかのように一本の矢が突き刺さっていた。誰が射た矢かは分からないが、確かなことはバーレスは既に絶命し、セリーヌは生き延びたという事実だけだった。

「な、なんだ!? 何が起きた!?」

「矢だ! 狙撃だ!」

 屋根の上が俄かに騒がしくなる。敵の弓兵達も状況を理解したのだろう。

「一体どこから……?」

「あの時計台からだ!」

「馬鹿な!? 遠すぎる!」

 敵兵は混乱に陥っている様子だった。セリーヌにとっては願ってもない好機だった。彼女はこの隙に脱出を試みる。

 途中、彼女は大聖堂の時計台の方に目を向ける。目測では三百から三百五十ヤード。人間の頭部を狙撃するにはあまりにも遠すぎる距離だ。だが彼女は確かにそこに何者かの人影を見た。


    ◇


 この日、王国第二の都市サン・リエジュは陥落した。ここから王都アンダルシアまでは目と鼻の先。王都陥落は間近かと誰もが覚悟した。

 しかしその五日後、戦況は予想外の展開を見せる。レメデア帝国軍は突如としてサン・リエジュから撤退。更には帝国側から少なくとも一年を期限とした休戦の申し出がなされたのだった。

 もはや後の無いアンダルシア王国軍は迷う余地なくこの申し出を受諾。王国の命運は瀬戸際で保たれたのだった。

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