第9話 王国との決着、そして「収納」された真実
「この通りだ! 愚息の非礼を、どうか許してほしい!」
レグルス帝国の公爵邸、その応接室で、一国の王が床に額を擦り付けていました。
オウェル国王陛下です。
数日前まで尊大だったその背中は、見る影もなく小さくなっていました。
「国庫は空、書類はなく、城は機能不全。その上、帝国との国交断絶となれば、我が国は終わりだ……」
王は涙ながらに訴えました。
ローランド王子が逃げ帰った後、ルーカス様からの正式な抗議文を受け取り、慌てて飛んできたのです。
王子の姿はありません。
おそらく、謹慎処分か、あるいは廃嫡か。
今の私には興味のないことですが。
私はカップをソーサーに置きました。
カチャリ、という音が静寂に響きます。
「頭をお上げください、陛下」
私は淡々と告げました。
「謝罪は受け入れます。ですが、ただで済む話ではありません」
隣に座るルーカス様が、冷ややかな視線を王に向けています。
王はビクリと震え、脂汗を流しました。
「も、もちろん賠償はする! いくらでも払おう!」
「金貨ではありません。……いえ、金貨も頂きますが」
私はあらかじめ作成しておいた書類をテーブルに滑らせました。
「条件は三つです。一つ、オウェル王家および関係者が、今後一切、私とルーカス様に接触しないこと」
「や、約束する!」
「二つ、慰謝料として、オウェル王国の鉱山採掘権の一部をレグルス帝国へ譲渡すること」
「なっ……!?」
王が顔を上げました。
鉱山は国の生命線です。
しかし、私は譲りません。
「嫌なら構いませんよ。私はこのまま、収納している『王家の印鑑』と『重要機密文書』を、帝国の博物館に寄贈するだけですから」
「ま、待て! わかった、呑もう! 採掘権でもなんでも持って行け!」
王は青ざめて叫びました。
王権の象徴である印鑑がなければ、法令一つ出せませんからね。
「よろしい。では三つ目。これが一番重要です」
私はニッコリと微笑みました。
「二度と、私の名前を呼ばないでください。私はもう、オウェルの人間ではありません」
王は力なく頷きました。
そして、書類に震える手でサインをしました。
契約成立です。
「では、お返しいたします」
私は「収納」を展開しました。
宙に手をかざし、リストから『重要返却物』を選択します。
ゴトッ、ゴトッ。
テーブルの上に、王冠、王笏、そして国璽が現れました。
どれも私が磨き上げておいたので、ピカピカです。
「おお……! 我が国の至宝……!」
王は王冠を抱きしめ、安堵の涙を流しました。
その姿を見て、私は静かに席を立ちました。
これでもう、本当に終わりです。
あの国との縁も、未練も。
◇
王が帰った後のリビングは、いつもの穏やかな午後でした。
「終わったね」
ルーカス様が、私の淹れた紅茶を飲みながら言いました。
「ええ。すっきりしました」
私は暖炉の前に座り込み、まだ収納に残っている「雑多なもの」の整理をしていました。
城から回収した私物の中に、まだ未整理の箱があったのです。
「あれ?」
箱の底から、一冊の古びたノートが出てきました。
革の表紙は擦り切れ、角が丸くなっています。
「それは?」
ルーカス様が不思議そうに覗き込みました。
「……日記です。私がまだ、十歳くらいの頃の」
私はパラパラとページをめくりました。
拙い文字で、日々の出来事が綴られています。
『きょうは、ローランドさまにあいました。』
『お花をあげたら、わらってくれました。』
『いつか、ローランドさまのおよめさんになりたいな。』
手が止まりました。
胸の奥が、チクリと痛みます。
そうでした。
私は昔、あの王子のことが好きだったのです。
政略結婚だと知る前、ただの幼馴染として遊んでいた頃。
彼はまだ無邪気で、私の収納魔法を「すごいね」と褒めてくれていました。
いつからでしょう。
彼が変わってしまったのは。
私が変わってしまったのは。
「……ヴィオラ」
ルーカス様の声に、ハッとしました。
彼は心配そうに、私の顔を覗き込んでいます。
私が過去の思い出に浸り、悲しんでいると思ったのでしょう。
私は、ふっと笑いました。
「懐かしいです。こんな夢を見ていた時期もあったんですね」
私は日記帳を閉じました。
そして、迷うことなく、燃え盛る暖炉の中へ放り込みました。
「あっ」
ルーカス様が声を上げますが、私は止めません。
パチパチと音を立てて、革表紙が焦げていきます。
『およめさんになりたい』という文字が、炎に巻かれて灰になりました。
「いいの?」
「ええ。もう不要なデータですから」
私は立ち上がり、服についた煤を払いました。
不思議と、痛みはありません。
ただ、心の中の最後の澱が消えていくような、清々しさだけがありました。
「今の私には、もっと素敵な『現実』がありますから」
私はルーカス様に向き直りました。
彼は少し驚いた顔をして、それから、今までで一番優しい笑顔を見せました。
「……僕が、その現実を最高のものにするよ」
彼はそっと私を引き寄せました。
暖炉の炎が、二人の影を揺らしています。
「ヴィオラ。愛している」
「私もです、ルーカス様」
私たちの唇が重なりました。
それは、契約のキスではなく、誓いのキスでした。
幼い日の淡い恋心は灰となり、今ここにある確かな愛が、温かく私を満たしていきました。
「さて」
長いキスの後、ルーカス様は私の腰を抱いたまま、悪戯っぽく言いました。
「明日は忙しくなるよ。結婚式の準備を始めないと」
「ふふ、そうですね。招待客のリスト作成に、料理の手配、ドレスのフィッティング……私の管理能力の見せ所ですね」
「手伝うよ。僕も、君の夫として恥ずかしくないように」
窓の外では、春の訪れを告げる鳥たちが鳴いていました。
私の新しい人生は、まだ始まったばかりです。
そしてそれは、きっと「ハッピーエンド」まで一直線に続いているはずです。




