第6話 公爵様は独占欲を隠さない
これほどまでに、人の手のひらというものは簡単に返るものなのでしょうか?
帝都の王城で開かれた戦勝記念パーティー。
シャンデリアが煌めく会場で、私は壁の花になるどころか、黒山の人だかりに囲まれていました。
「ヴィオラ嬢! 先日の戦場での補給、見事でした!」
「我が侯爵家にも、ぜひその収納魔法の指導を!」
「いやいや、まずは我が家とのお見合いを……」
次々と声をかけてくるのは、帝国の高位貴族や若き将校たちです。
彼らの目はギラギラと輝いています。
オウェル王国で向けられた「蔑み」の視線とは真逆の、「羨望」と「欲望」の視線。
私は扇で口元を隠し、愛想笑いを浮かべました。
「恐れ入ります。ですが、私はルーカス様の……」
「契約社員だろう? なら、より良い条件を提示すれば移籍は可能だ!」
「君のような才女、放っておく男はいませんよ」
一人の男性が、強引に私の手を取ろうとしました。
その瞬間です。
ピキキ……ッ。
空気が凍りつく音がしました。
比喩ではありません。
物理的に、私の足元の床が白く霜で覆われたのです。
「……僕の管理官に、気安く触らないでくれるかな」
地を這うような低い声。
人垣が、モーゼの海割れのように左右に開きました。
現れたのは、不機嫌を隠そうともしないルーカス様でした。
漆黒の礼服に身を包んだ彼は、冷ややかな魔力を全身から立ち上らせています。
「ル、ルーカス公爵……」
「ひぃ、目が笑っていない……」
男たちが青ざめて後ずさります。
ルーカス様は無言で私の隣に立つと、私の腰に腕を回しました。
そして、ぐっと自分の方へ引き寄せます。
「彼女は僕の婚約者だ。公私共にね」
「こ、婚約者!?」
会場がどよめきました。
私は目を丸くして彼を見上げました。
確かに「深い契約」とは言われましたが、正式に婚約発表などしていません。
しかし、ルーカス様は私の耳元でボソリと囁きました。
「……話を合わせて。こうでもしないと、君が連れ去られそうで不安なんだ」
その声は、先ほどの威圧感とは裏腹に、少し震えていました。
私は苦笑して、彼の腕に手を添えました。
「ええ。私は公爵様のものですわ」
私が肯定すると、周囲の貴族たちは「氷の公爵が相手では勝ち目がない」と悟ったのか、蜘蛛の子を散らすように去っていきました。
◇
喧騒から逃れるように、私たちはバルコニーへ出ました。
夜風が火照った頬に心地よく当たります。
ルーカス様は、私の腰から手を離しません。
むしろ、先ほどより強く抱きしめてきました。
普段の自信なさげな彼からは想像できない強引さです。
「……怒った?」
彼は私の肩に額を乗せて、拗ねたように呟きました。
「いいえ。助かりました。あの方々の香水の匂い、少しきつかったので」
「そうじゃなくて。勝手に婚約者だなんて言って」
「事実上の『永久就職』なら、間違いではありませんから」
私が答えると、彼は顔を上げました。
月明かりの下、アイスブルーの瞳が潤んでいます。
「僕は、君をただの『便利な管理官』として見ているわけじゃない」
彼の指先が、私の頬を優しく撫でました。
その熱に、私の心臓がトクンと跳ねます。
「君が他の男に笑いかけるのを見て、胸が焼けるかと思った。魔法で会場ごと吹き飛ばしたくなるなんて、初めての感情だ」
それは、紛れもない嫉妬でした。
子供のような、けれど大人の男の独占欲。
「ヴィオラ。君は僕の部屋も、食事も、生活も全部管理してくれた」
彼は私の手を取り、その指先に口づけを落としました。
「だから責任を取って、僕の心も管理してくれないか? 君以外には、もう預けられない」
甘い言葉でした。
オウェル王国では「道具」としてしか扱われませんでした。
でも、この人は違います。
私の能力だけでなく、私という人間そのものを求めてくれている。
私は彼の胸に手を当てました。
トクトクと、早い鼓動が伝わってきます。
「……管理料は、高いですよ?」
「いくらでも払うよ。僕の全財産と、これからの人生全部で」
二人の距離が近づきます。
唇が触れ合いそうになった、その時でした。
「失礼いたします」
背後から、セバスチャンさんの硬い声が響きました。
私たちは慌てて飛び退きました。
「せ、セバスチャン!? 今は取り込み中だと……!」
ルーカス様が顔を赤くして抗議しますが、セバスチャンさんの表情は深刻でした。
「申し訳ありません、旦那様。しかし、緊急の来客です」
「来客? こんな夜更けに誰だ」
セバスチャンさんは私を一瞥し、静かに告げました。
「オウェル王国からの使者……ローランド王子ご本人が、到着されました」
その名を聞いた瞬間、私の背筋に冷たいものが走りました。
楽しい夢の時間は終わりです。
現実が、過去という名の悪霊を引き連れてやってきたのです。
ルーカス様の表情が、一瞬で「氷の公爵」に戻りました。
「……僕の大切な時間を邪魔するとは、いい度胸だ」
彼は私の肩を抱き寄せ、低く呟きました。
「行こう、ヴィオラ。ゴミの分別をする時間だ」
その言葉に、私は深く頷きました。
もう、私は守られるだけの弱い令嬢ではありません。
最強の魔導師が、隣にいるのですから。




