第8話 次世代への継承
「ママ、みて! ペッタンできたよ!」
元気な声と共に、インクの匂いが漂ってきました。
帝都、エルロッド商会本店。
最上階にある私の執務室は、今日から小さな「見習いさん」の遊び場を兼ねることになりました。
五歳のリナが、子供用の小さな机に向かい、書類の端っこに「検品済」のスタンプを一生懸命押しています。
もちろん、それは破棄予定の裏紙ですが、彼女の表情は真剣そのものです。
「あら、上手ねリナ。真ん中に綺麗に押せているわ」
私が褒めると、リナはえっへんと胸を張りました。
「リナね、おおきくなったら、ママみたいにおしごとするの!」
その言葉に、ペンを走らせていた手が止まりました。
オウェル領への旅を経て、彼女の中で何かが変わったようです。
かつて私が「悪役令嬢」と呼ばれながらも築き上げたこの商会。
そして、世界を繋ぐ物流の仕事。
それを、この小さな瞳はずっと見ていたのでしょう。
『マスター。報告します』
空中にウィンドウが開き、ベータの少年アバターが現れました。
彼はリナの手元を興味深そうに観察しています。
『対象リナ・エルロッドの作業効率、および集中力。現時点での成長率は予測値を15パーセント上回っています。「次期管理者」としての適性はSランクです』
「気が早いわよ、ベータ。まだ五歳です」
『教育に早すぎるということはありません。特に、惑星管理システムの運用には、膨大な知識と倫理観が必要です。今から帝王学をインストールすることを推奨します』
『当機も同意します』
今度はアルファが、お茶の用意をしながら会話に入ってきました。
彼女はすっかり、リナの専属メイド気取りです。
『リナ様の魔力操作は繊細です。お掃除スキルにおいても、すでに「拭き掃除」の基本をマスターされています。将来有望です』
二人のAIは、完全にリナを後継者としてロックオンしているようです。
私は苦笑して、ため息をつきました。
「あなたたちね……。私は、この子に自分の道を強制するつもりはありませんよ」
私は椅子から立ち上がり、リナのそばに行きました。
彼女はスタンプ押しに飽きたのか、今は「黒い木箱」を触っています。
箱が淡く光り、リナの魔力と戯れるように明滅していました。
「リナ。商会のお仕事は、とっても大変よ? 毎日たくさんの数字を見なきゃいけないし、遠くへ行くこともあるわ」
「うん、しってる。でもね、ママもパパも、おしごとしてるとき、キラキラしてるもん」
リナは箱の中から、お気に入りの絵本を取り出しました。
「検索」も「取り出し」も、呼吸をするように自然に行っています。
「リナもキラキラになりたい。みんなをニコニコにする魔法、つかいたい!」
その純粋な言葉に、胸が熱くなりました。
かつて私が「便利屋」と蔑まれたこの魔法を、彼女は「みんなを笑顔にする魔法」だと言ってくれたのです。
「……そう。あなたがそう望むなら、ママは全力で応援するわ」
私は娘の銀色の髪を撫でました。
強制はしません。
でも、彼女が望んでこの道を選ぶなら、私が持っている全ての知識と技術を授けましょう。
それが、先代である私の責任であり、親としての愛です。
「リナ、お勉強の時間だぞ」
執務室のドアが開き、ルーカス様が入ってきました。
彼は手仕事の最中だったのか、袖をまくっています。
その手には、氷で作られた小さな教材――幾何学的なパズルが握られていました。
「パパ!」
「今日は魔力制御の練習だ。この氷を溶かさないように、魔力で包んでごらん」
「はーい!」
リナはルーカス様の膝の上に飛び乗り、パズルを受け取りました。
彼女の指先から微弱な魔力が放たれ、氷をコーティングしていきます。
氷魔法の才能は、完全に父親譲りです。
「すごいな。僕が五歳の時より上手だよ」
ルーカス様が目を細めて、私を見上げました。
「ヴィオラ。この子はきっと、僕たちを超えるよ」
「ええ。末恐ろしい才能ですね」
「君の管理能力と、僕の魔力。最強のハイブリッドだ」
彼は愛おしそうに娘の頬にキスをしました。
平和な光景です。
かつて世界を救うために命を燃やそうとした彼が、今はこうして次世代を育んでいる。
その事実が、何よりも私を安心させてくれました。
私は窓の外を見ました。
帝都の街並みが、夕日に染まっています。
たくさんの人々が行き交い、荷物が運ばれ、生活が回っている。
この当たり前の景色を守るために、私たちは戦ってきました。
そして今、そのバトンを受け取ろうとする小さな手が、ここにあります。
『マスター。リナ様専用の「キッズ・インベントリ」権限を作成しました。おやつとおもちゃの管理から始めさせます』
「あら、仕事が早いわねベータ」
『当然だ。私は優秀な補佐官だからな』
「ふふ、頼みますよ。先生」
いつか私がこの世を去る時が来ても、このシステムは止まらないでしょう。
アルファとベータがいて、そしてリナがいる。
私の想いは、形を変えて、未来へと受け継がれていくのです。
「さて、私も負けていられませんね」
私はデスクに戻り、ペンを執りました。
娘が大人になるまでに、もっともっと、この世界を「整理整頓」しておかなくては。
彼女が働きやすい、素敵な世界にしておくために。
「リナ、それが終わったら、ママとお片付けの競争よ」
「うん! まけないもん!」
頼もしいライバルの登場に、私は今日一番の笑顔で応えました。
私の人生の「収納」は、まだまだ容量がいっぱいになりそうにありません。
これからの数十年も、きっと退屈することはないでしょう。




