第7話 氷の公爵のデレ
パチパチと、薪が爆ぜる音が夜の静寂に溶けていきます。
帝都への帰り道。
私たちは街道沿いの草原に馬車を止め、野営をしていました。
見上げれば、吸い込まれそうな満天の星空。
かつて地下迷宮の制御室で見た、赤い警告灯だらけの地図とは違う、美しく澄んだ本物の空です。
「……寝たかい?」
馬車の中から、ルーカス様が毛布を抱えて出てきました。
声を潜めています。
「ええ。遊び疲れてぐっすりです」
私は焚き火のそばで微笑みました。
リナは今日一日、はしゃぎ回っていましたから。
馬車の中で、私たちがかつてどうやって出会い、どうやって世界を救ったのか、そんな昔話を目を輝かせて聞いていました。
もちろん、多少の脚色は加えましたが。
ルーカス様は私の隣に座り、毛布を肩にかけてくれました。
夜風は少し冷えますが、彼の隣にいれば寒さは感じません。
氷の魔導師である彼が、体温調節をしてくれているからでしょう。
なんて便利な暖房器具……いえ、頼もしい旦那様でしょう。
「お疲れ様、ヴィオラ。今日は大変だったね」
「いいえ。むしろ、スッキリしました」
私は炎を見つめながら答えました。
オウェル領での商談、そして在庫処分。
長年心の奥底に沈殿していた澱が、綺麗さっぱり洗い流された気分です。
「今の私は、かつてないほど身軽です。収納の容量も空きましたし、心にも余裕ができました」
「そうか。それはよかった」
ルーカス様は優しく目を細めました。
そして、焚き火にかざした右手を、すっと空に向けました。
「じゃあ、空いたスペースを少し埋めてもいいかな?」
「え?」
キラキラキラ……。
彼の手のひらから、ダイヤモンドダストのような光の粒が舞い上がりました。
それは空中で集まり、形を変え、一つの結晶となって私の目の前に降りてきました。
それは、氷で作られた一輪の薔薇でした。
花弁の一枚一枚までが精巧に再現され、焚き火の光を受けて七色に輝いています。
冷たいはずなのに、どこか温かさを感じるような、不思議な輝き。
「綺麗……」
私は思わず手を伸ばし、それを受け取りました。
ひんやりとしていますが、冷たすぎて痛いということはありません。
永遠に溶けない魔法がかけられているのでしょう。
「君の収納にあった、過去の荷物。辛い思い出や、誰かのために背負わされた責任。それらがなくなった今、その場所を埋めるのは僕でありたい」
ルーカス様は私の手を取り、氷の薔薇ごと包み込みました。
その瞳は、出会った頃のアイスブルーではなく、焚き火の色を映して情熱的に揺らめいています。
「これからは、僕とリナとの思い出だけで、君の収納をいっぱいにしたいんだ。……ダメかな?」
「……ふふ」
私は吹き出してしまいました。
この人は、出会ってから何年経っても変わりません。
帝国の筆頭魔導師であり、世界を救った英雄の一人。
それなのに、私の前ではいつも、こんなに不器用で、一途で、少しだけ不安そうな顔をするのです。
「ダメなわけがありません。むしろ、予約済みですよ」
私は氷の薔薇を胸に抱き、彼の肩に頭を預けました。
「私の収納の『カテゴリS』は、あなたとリナ専用です。他の誰にも、何にも譲るつもりはありません」
「ヴィオラ……」
「愛しています、ルーカス様。過去の私がどれほど不幸だったとしても、今の幸せと引き換えなら、喜んで受け入れますわ」
ルーカス様が私の顎に手を添え、ゆっくりと顔を近づけました。
星空の下、焚き火の明かりに照らされて、私たちの影が一つに重なります。
触れ合う唇。
それは甘く、優しく、そして長い口づけでした。
新婚の頃のような初々しさはありませんが、代わりに、共に修羅場をくぐり抜け、日常を積み重ねてきた夫婦だけの、深い安心感がありました。
「ん……」
名残惜しむように唇を離すと、ルーカス様はとろけるような笑顔を見せました。
普段はクールな「氷の公爵」が、妻の前だけで見せる、とびきりのデレ顔です。
「……もう一回、いい?」
「リナが起きますよ?」
「結界を張ったから大丈夫。防音は完璧だ」
「まあ。用意周到ですね」
「君に似てきたのかな」
私たちはクスクスと笑い合い、再び唇を重ねました。
夜は更けていきます。
かつては「荷物は邪魔だ」と言われ、居場所を失った私。
でも今は、こんなにも大切な荷物を抱え、帰るべき場所がある。
「見てください、ルーカス様」
キスの合間に、私は遠くを指差しました。
草原の向こう、地平線の先に、ぼんやりと明るい光が見えました。
帝都の明かりです。
私たちの家があり、商会があり、仲間たちが待っている場所。
「見えたね。僕たちの街だ」
「ええ。帰りましょう。明日からはまた、忙しくなりますよ」
「望むところだ。パパ業も商会の手伝いも、全力でこなしてみせるさ」
ルーカス様は私の腰を抱き寄せ、力強く宣言しました。
その横顔を見ながら、私は心の中で、新しい「収納リスト」の項目を作成しました。
『名称:星空の下のキス』
『日付:今日』
『備考:一生忘れない』
さあ、あと少しで到着です。
私の、最高の人生の続きへ。




