第2話 消滅した国からの手紙
震えるような筆跡が、書き手の窮状を如実に物語っていました。
『ヴィオラ様。突然の手紙、お許しください。元オウェル王国王太子の、ローランドです』
かつて私を「地味で貧乏くさい」と罵り、婚約破棄を突きつけた男。
その彼が、今は「様」付けで私を呼び、許しを請うている。
紙面からは、かつての尊大さは微塵も感じられません。
あるのは、滲み出るような惨めさと、必死さだけです。
「……内容は?」
レオンが固唾を飲んで見守っています。
私は手紙に視線を落とし、続きを読むことにしました。
『国が崩壊した後、私は父と共に王都の片隅で細々と暮らしておりました。しかし、父が流行り病に倒れ、今は明日をも知れぬ命です』
自業自得、という言葉が脳裏をよぎります。
私が城を出て行った後、彼らは物流と経済を立て直せず、民に見放されて国を失いました。
今の彼らは王族ではありません。ただの貧しい平民です。
『父は、譫言のように「王妃のロケット」を探しています。あれさえあれば、母が迎えに来てくれると……。ヴィオラ様、どうかお願いします。あなたが城から持ち出した荷物の中に、母の形見のロケットはありませんでしょうか』
ロケット。
記憶のインデックスを検索します。
……ありますね。
「オウェル城・宝物庫」カテゴリの、「装飾品」フォルダの中に。
金細工の中に王妃様の肖像画が入った、アンティークのペンダントです。
『金はありません。ですが、これからの私の人生の全てを捧げて働きます。どうか、父の最期に、あのロケットを握らせてやりたいのです』
手紙は、涙の跡で滲んで終わっていました。
「……ふぅ」
私は手紙をテーブルに置きました。
無視することもできました。
今の私には、彼らを助ける義理などこれっぽっちもありません。
彼らがどうなろうと、私の幸せな生活には何の影響もないのです。
「どうするんですか、奥様。捨てちまいますか?」
レオンが私の顔色を窺っています。
私は少し考えて、首を横に振りました。
「いいえ。これは『商談』です」
「商談?」
「ええ。向こうは商品を求めている。こちらは不要な在庫を抱えている。条件が合えば取引するのが商人でしょう?」
私は立ち上がり、窓の外を見ました。
私の収納の中には、あの夜、城から持ち出した膨大な家財道具が眠ったままになっています。
金貨や宝石などの資産価値のあるものは運用していますが、家具や衣類、そしてこのロケットのような「思い出の品」は、使い道もなく容量を圧迫しているだけでした。
「ずっと気になっていたんです。いつか処分しなければ、と」
過去の荷物を抱えたままでは、新しい思い出を入れるスペースが狭くなってしまいます。
娘も生まれ、未来へと進む今こそ、過去を精算するタイミングなのかもしれません。
ガチャリ、と玄関のドアが開く音がしました。
「ただいま。レオンが慌てていたと聞いたけど、何かあったのかい?」
ルーカス様が執務室に入ってきました。
私の深刻な顔と、テーブルの上の手紙を見て、瞬時に状況を察したようです。
彼は静かに私の隣に座り、手紙を読みました。
「……ローランドか」
彼の声が低くなりました。
怒りというよりは、心配の色が強い声です。
彼は私の手をそっと握り締めました。
「ヴィオラ。無理をする必要はないよ。君が会いたくないなら、僕が代わりに断りの手紙を書く。あるいは、ロケットだけ郵送してもいい」
「いいえ、ルーカス様。私が行きます」
私は夫の目を見て、はっきりと告げました。
「これは私の『荷物』です。私が自分で片付けなければ意味がありません」
「辛くはないかい? かつて君を傷つけた人たちだ」
「平気です。今の私には、あなたとリナがいますから」
私は微笑みました。
強がりではありません。
かつて感じた胸の痛みや悲しみは、驚くほど風化していました。
今の私にとって、ローランドは憎むべき敵ですらなく、ただの「遠い知り合い」でしかありません。
「それに、タダで返すつもりはありませんよ。しっかりと『対価』を支払っていただきます」
「……ふふ、君らしいや」
ルーカス様が吹き出し、肩の力を抜きました。
「わかった。君が決めたなら、僕は従うよ。もちろん、護衛としてついていくけどね」
「ええ。心強いです」
私はレオンに向き直りました。
「レオン、馬車の用意を。オウェル領へ向かいます」
「了解だ、姉御! あいつらに、今の姉御の幸せな姿を見せつけてやろうぜ!」
レオンが拳を突き上げ、部屋を出て行きました。
私は再び手紙に視線を落としました。
哀れな元婚約者からの、最後のラブレターならぬ、商談の申し込み。
「さて、在庫一掃セールですね」
私は心の中の収納リストを開きました。
そこにある「オウェル関連」のタグがついたアイテムたち。
これらを全て手放した時、私の心はどれほど軽くなるのでしょうか。
「行きましょう。最後の大掃除です」
私は手紙を丁寧に折りたたみ、ポシェットにしまいました。
これが、私の過去との、最後の旅になるはずです。




