第1話 小さな管理者の覚醒
小さな手が、黒い箱の中を懸命にかき回していました。
穏やかな午後の日差しが差し込むリビング。
五歳になった娘のリナは、お気に入りの「おもちゃ箱」に夢中です。
かつて世界を救った古代文明のスーパーコンピューター端末も、今やぬいぐるみと積み木で溢れかえっています。
「ないなぁ……どこいっちゃったのかなぁ」
リナが眉を寄せて呟いています。
その仕草が、書類を探す時の夫にそっくりで、私は思わずクスリと笑いました。
「リナ、何を探しているの?」
私は読みかけの本を置き、ソファから声をかけました。
「あのね、クッキー! 朝ごはんのあとに、こっそりいれたの。でも、なくなっちゃった」
「こっそり入れたの? それはパパには内緒ね」
私は娘の隣に座り、箱の中を覗き込みました。
表面にはガラクタが詰まっていますが、この箱の本質は「無限収納」の端末です。
物理的な深さとは関係なく、登録されたアイテムは亜空間に保存されます。
とはいえ、リナにはまだ権限がないはずですから、ただの「深い箱」として使っているだけのはずですが。
「ううん、もっとおくのほう!」
リナが目を閉じ、小さな指先を箱の底へ押し込みました。
その時です。
彼女の指先から、微かな、しかし確かな魔力の波が放たれました。
『検索クエリ、受信。カテゴリ「菓子類」。対象抽出……』
箱から、聞き慣れた電子音が小さく漏れました。
私の耳にしか届かないほどの小さな音。
そして、リナの手が空間をすり抜けるように沈み込み、何かを掴んで引き上げました。
「あった!」
彼女の手の中に現れたのは、確かに今朝焼いたチョコチップクッキーでした。
ですが、それは布に包まれてなどいません。
ラッピングされた状態のまま、何もない空間から「ポップ」したのです。
「……え?」
私は目を見開きました。
今のは、物理的に取り出したのではありません。
「検索」と「抽出」の魔法を行使しました。
それも、無詠唱で、無意識に。
「ママ、あげる! はんぶんこ!」
リナは無邪気にクッキーを割って、私に差し出してきました。
私は震える手でそれを受け取りました。
温かい。
時間停止機能が働いていた証拠です。
「リナ……あなた、今のをどうやったの?」
「え? クッキーたべたいなっておもったら、ぴゅってでてきたの」
感覚派です。
天才肌の父親に似てしまったようですね。
私は複雑な思いでクッキーを口にしました。
甘い味が広がりますが、心臓は早鐘を打っていました。
収納魔法。
かつて私が「地味だ」「倉庫番だ」と蔑まれた能力。
それが、この子にも遺伝していたのです。
不安がないと言えば嘘になります。
この力は便利ですが、同時に孤独を招くこともあります。
物を溜め込みすぎれば心は重くなり、管理を誤れば世界を敵に回すこともある。
この小さな背中に、そんな重荷を背負わせていいのでしょうか。
『警告。新規ユーザーの生体情報を検知』
不意に、ベータのホログラムが小さく浮かび上がりました。
彼はリナを見て、少し驚いたような表情をしています。
『マスター。この個体……リナお嬢様の魔力波長が、貴女と99パーセント一致しています。「サブ管理者」として仮登録が可能ですが、承認しますか?』
システム側も、彼女を後継者として認識し始めています。
私はリナを見つめました。
彼女は不思議そうに、光るベータのアバターをつついています。
「ママ、ベータちゃんがピカピカしてる!」
「ええ、そうね。……リナ、ママとお約束できる?」
私は娘の目線に合わせてしゃがみました。
「この箱はね、とっても便利な魔法の箱なの。でも、使いっ放しにすると、中身がぐちゃぐちゃになって、大切なものがわからなくなっちゃうのよ」
「ぐちゃぐちゃは、めっ、なの?」
「そう。だから、お片付けの練習をしましょう。ママが一番得意な魔法を、リナにも教えてあげる」
私は覚悟を決めました。
才能を隠したり、封じたりすることはしません。
正しい使い方、正しい「管理」の心を教えることこそが、親の務めです。
かつての私のように、荷物の重さに押し潰されないように。
「うん! リナ、お片付け上手になる!」
リナが元気よく頷きました。
その笑顔に、救われる思いがしました。
この子なら大丈夫でしょう。
私よりもずっと、器用で賢い管理者になるはずです。
「では、まずはこの積み木を『カテゴリ:遊具』に分類して……」
私が英才教育を始めようとした、その時でした。
リビングのドアが勢いよく開かれました。
「姉御! いや、奥様! 大変だ!」
飛び込んできたのは、息を切らせたレオンでした。
商会の制服が乱れています。
彼がこんなに慌てるなんて、ただ事ではありません。
「どうしたの、レオン。リナが驚くわ」
「す、すんません。でも、こいつを見ちまったら、居ても立ってもいられなくて」
レオンは震える手で、一通の手紙を差し出しました。
封筒は古びて黄ばんでおり、差出人の名前も書かれていません。
ですが、その封蝋に押された紋章を見て、私の血の気が引きました。
「これは……」
欠けた剣と、枯れた薔薇の紋章。
今はもう存在しない国。
かつて私を捨て、そして自滅した故郷。
オウェル王家の紋章でした。
「国境の警備隊から回ってきたんだ。『ヴィオラ・エルロッド様へ、至急』だとさ」
私はリナを抱き寄せ、手紙を受け取りました。
指先が冷たくなります。
終わったはずの過去が、忘れた頃に扉を叩きました。
「開けます」
私はペーパーナイフを取り出し、封を切りました。
中から出てきたのは、震える文字で書かれた、あまりにも身勝手で、そして哀れな「最後の取引」の依頼でした。




